祭壇の地下に入ってきました。信者さんか観光客かわかりませんがぞろぞろ順番待ち。この先にはキリストとは切っても切れない厩があるのです。
待ちに待ってようやく撮影できる時間が巡ってきました。ここが「うまや」だそうです。金網に覆われた向こうがどうなっているのかよく分かりません。神聖な場所故よく分からない方がいいのかもしれない。私はイエスは馬小屋で生まれたものと思っていたのに、ここは、マリア様が受胎を告知されて、故郷であるこの地に帰ってきたものの宿が無くて夫のヨセフとこの馬屋で暮らしていた・・・との書き物もありました。生まれたイエスがここにあった飼い葉桶に入れられたといいます。
馬小屋のすぐ隣がここ。狭い間口の奥に、イエスが生まれた場所を示す銀の星「ここでイエス・キリストは聖母マリアから生まれた」と、ラテン語で書かれているという。これを「ベツレヘム・スター」と言うそうです。クリスマスツリーの先端に飾られる星はここからきているんですって。イエスが生まれたのがいつなのかほんとのところはわからないようですが、この場所で西暦の暦がめくられ始めたのだと思うと胸に来るものがあるのでした。
よく分からないという表現ばかりでいけませんが、これは時の王様が2歳以下の男の子を殺す(なぜなのか不明)というお触れを出すことを聞いたマリア様がイエスを連れてエジプトへ逃げるの画だという。中央のマリア様の周りが白くなっているのは、イエスに与えたお乳がこぼれて一面がこの様だといいます。
生誕教会の見学を終えて再び坂道を下ります。 奥にモスクのミナレットが見えます。
ぜひ分離壁のところを通ってくれとお願いしていたのですが、残念ながら願いはかないませんでした。ここまで分離壁を造れないのでしょう。バラ鉄線でしょうか、ず~っと柵が連なっていました。
緑のあるところ、どこにもこうした点滴灌水用のパイプが張り巡らしたあるのです。ガラリヤ湖から運ばれた水が緑を育てているのでしょうか。
イスラエルをそしてエルサレムを訪ねていただいてありがとうございました・・・といって、こんな免状をいただきました。国の観光局長とエルサレム市長でしたっけ。将来は外国から2000万人(2014年は1000万程度)のお客さんを迎えようとしている日本国の観光大臣(観光庁長官)と京都市長は京都を訪れたお客さんに、何か贈り物をしているのでしょうか。