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世界の彼方此方へ行きたい

気ままな旅の様子を綴っていきます

気の向くままに、旅の様子を載せていきます。

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今帰仁城跡(2022南西諸島no10)

2022-08-04 | 沖縄

 走るバスの中から周りをフクギに囲まれたお墓を写してみました。宮古島でもそうでしたが、沖縄のお墓はとにかく立派なのです。

   城跡に入るそこに全体の姿を紹介する奇妙な色で装った城郭のジオラマがあった。でもその画は理解しにくいものでした。

 入城の時いただいた格調ありのパンフレットの表紙。四つ折りを開くと次の城跡説明書きがあります。

 ○ にナンバーを入れて、そこが何であるのかコメントが添えられて案内されます。⑫ はかっての集落の跡だと説明されている。私たちは ② 平郎門から入って見学路を歩きます

 

 世界遺産「今帰仁城跡」ほか2000年(平成12)に登録された世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の9か所が表示されていました。かつて琉球には北山(ほくざん)中山(ちゅうざん)南山(なんざん)の三つの勢力に分かれた「三山(さんざん)時代」と呼ばれる戦国時代があり、今帰仁城は本島北部から遠くは奄美地方まで支配していた北山王の居城でしたが、1416年 (室町時代) に中山を支配していた尚巴志(しょうはし)によって滅ぼされ、彼が三山を統一し、琉球王国が誕生したというのです。城壁の長さは約1.5km。高さは最も高い所で8mもあり、城全体の規模としては首里城に次ぐ大きさだそうです。

 遺産とされたその9か所は沖縄本土の広い範囲に散らばっていました。

 昭和37年(1962)に修復されたという「平郎門」ここがグスク(お城)への入り口です。

 このコースには100段の階段があることを承知のうえで、4つあるコースの中からの苦渋の選択でした。その理由は、昔の琉球の城跡を見たかった。ただそれだけ。待ち受のている階段を上ります。頼りにしていた手すりはありません。「大庭」まで続く七五三の階段。七段、五段、三段の繰り返しで造られている。ほんとに100段あるのか数えながら登ってみました。ゆっくりゆっくり。仲間に若い人いないんだから皆がゆっくり時間。

 登り終えて「97段だったよ」って言ったらガイド嬢が笑ってた。

 「御内原」まで随分歩いた。ここが一番眺めの良い場所だと説明している。「今帰仁城」の魅力のひとつは、城跡を囲む野面積みの石垣、そしてその波打つ城郭の曲線だといいます。手前に見えている広場は「大隅」戦時に備え馬を養い、兵馬を訓練した場所として伝えられおり、最も高い石垣が築かれた堅牢な城郭だと説明します。遠く東シナ海が見渡せ、左に見えている赤い屋根は、この後訪ねる今帰仁村歴史文化センター。

 

 下に見えているのが、⑨ で案内している志慶真門郭(しげまじょうかく)お城の一番奥まったところだ。今帰仁城に仕えた人たちが暮らした場所だとの説明。

 その志慶真門郭へ降りる階段がありました。私は写真撮影だけで「もう沢山だ」と降参するのでした。

 主郭(本丸)には、沖縄では各家庭に必ずあるという、家とそこに住む人々を守ると信じられている「火の神」が祀られていた。

 

 1982年 (昭和57) から4年をかけて発掘調査がされたという。13世紀末頃から17世紀前期までの今帰仁城の変遷が、いろいろとわかって来たようです。主郭が変遷してゆく姿と出土品が示されていました。

 ガイドさんと一緒の方、お帰りの路です。

 見学を終えて文化センターへ向かうとき、振り返って城跡を撮影。この辺はかっての集落跡と説明されていたところか。

 今帰仁村歴史文化センター。今帰仁村の歴史と文化が紹介されていました。今帰仁城跡から出土した陶磁器などの資料も展示しています。

 ふむふむと、とりあえず写してみました。

 こちらだと少し様子が分かる。並木植えの中を石段がまっすぐのびていて、突き当たったところが展望の素晴らしかった「大庭」か「御内原」かなと・・・

 

 

 

 

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