真実一路くんのひとり言

だれがやっても同じやとあきらめず、一歩ずつ
長いものには巻かれず、真実を大切にして。

  憲法9条こそ、この国の志  

2015-01-16 | 平和

 “”子育ての時、まず金もうけを考える人間を育てようとしますか。正しい志を抱く若者を育てなければ、ということに誰も反対しないでしょう」
 正しい志。この国の志はどこにあったのか。「世界の平和に役立つ国であり続けること。憲法9条に書かれているのだけれど。そこから、いろんな問題を考えてどうしていけないのだろうか」“”
 山田洋二監督の毎日新聞インタビューでの言葉です。聞く耳を持たない人に聞かそうとしても無理な話…、なのだが…。
 では、どうする。聞く耳を持つ人に変わってもらわねばなりませんね。

応援よろしく

この国はどこへ行こうとしているのか 巨大与党の下で 映画監督・山田洋次さん

=内藤絵美撮影
=内藤絵美撮影
 

 ◇差別の先に戦争が来る−−山田洋次さん(83) http://mainichi.jp/shimen/news/20150109dde012010003000c.html

 東京都中央区の松竹本社に映画「男はつらいよ」の山田洋次監督を訪ねた。試写室脇の古めかしい鉄扉を開くと、そこは「活動屋の世界」だ。楽屋のような廊下の壁に「学校」「武士の一分」など山田作品のポスターがずらり。布のれんが下がっているのが監督の仕事部屋。今にも「寅さん」が入ってきそうだ。

 早速、持参した「与党圧勝」を伝える昨年12月15日の新聞各紙を並べた。

 「喜んでいるね」

 山田さんが小さな声を発した。一瞬、意味が分からなかった。視線の先を追うと、新聞紙上の安倍晋三首相の写真があった。確かに満面の笑み。でも「巨大与党」が続く選挙結果を、安倍氏が喜ぶのは当然ではないのか……。

 山田さんが「新憲法が施行された時は中学生だったけれど……」と切り出した。施行は1947年5月3日だ。山田さん一家はその年に旧満州(現中国東北部)から山口県に引き揚げてきた。「戦前の修身の時間は社会になっていた。社会の先生というのが登場するんだ。若くて、栄養失調でガリガリに痩せていた。その先生が民主主義をテーマに延々と授業をする。今でもくっきりと覚えている」

 語られたのは映画「学校」シリーズのような熱い授業だ。「先生が『諸君はやがて選挙権を持つ。選挙では、何を基準にして候補者を選ぶべきか。1番、人格。2番、政権。3番、政党』と質問した。ほぼ全員が人格と答えると、『違う』と。東京から疎開してきていた秀才がハイと手を挙げた。『僕は政党だと思います』。皆がどよめいた。そういうことか」

 当時、中学社会科で使われていた教科書「あたらしい憲法のはなし」にはこう書いてある。

 <ドイツやイタリアでは政党をむりに一つにまとめてしまい、また日本でも、政党をやめてしまったことがありました。その結果はどうなりましたか。國民の意見が自由にきかれなくなって、個人の権利がふみにじられ、とう〓おそろしい戰爭をはじめるようになったではありませんか>

 巨大与党、ひいては一党独裁が招くのは恐ろしい結末だという反省だ。「先生が一生懸命教えることを、僕たちは本当に真剣に聴いたね。そうなんだ、選挙とはそういうものなのだと。大人たちも選挙に夢中になった」

 新憲法下で初の衆議院選挙(49年1月)の投票率は74%。それに比べ、今衆院選の投票率は52%と史上最低だ。

 「国民の半分が投票しなかった。民主主義の根幹が揺らいでいるような気がする。安倍さんたちは悩んでいるだろうか。それどころか、50%前後の投票率というのは分かっていた数字なんだ。おおよその議席数も。結末を手に入れて選挙をしているのだろうなと思う。一体、この国の民主主義はどうなっているのだろう。この結果に大喜びしていちゃいけないんだ」。再び写真に視線を落とした。

 選挙前、安倍首相は「映画」に言及している。解散を表明した日の夜、ニュース番組で特定秘密保護法の問題を問われ「工作員やテロリスト、スパイが相手で、国民は全く関係ない。例えば映画が作れなくなったら私はすぐ首相を辞めてもいい」と発言した。

 映画界からは「特定秘密保護法に反対する映画人の会」が同法廃止を求める声明を出している。山田さんも呼びかけ人の一人だ。戦前の39年施行の映画法は「映画の質的向上を促す」として検閲を義務付けた。「亡くなった黒沢さんから聞いた話だが……」と、黒沢明監督の第1作「姿三四郎」(43年公開)の検閲試写の模様を映画のワンシーンのように再現してくれた。

陸軍将校 これはラブシーンといって英米思想である。カットすべきだ。(試写室が異様な雰囲気に)

司会 では、専門家の意見も聞いてみましょう。

小津安二郎監督 この映画を100点満点で採点しろ、と言われれば120点をつけるでしょう。黒沢君、おめでとう。(将校の顔が真っ赤に。「姿三四郎」は検閲通過)

 「小津さんには頭が上がらない、と黒沢さんは言っていた。でも名作『無法松の一生』(稲垣浩監督)は有名なラブシーンがカットされ、黒沢さんも戦争末期に1本だけ戦意高揚映画を撮らされている」。絞り出すように話し、気を取り直して続けた。

 「その映画にも検閲試写があるわけよ。女子工員たちが誕生日を祝うシーンがあった。陸軍将校が『あれはバースデーといって英米思想である。カットすべきだ』。よーし言ってやろうと黒沢さんは思ったと。『わが国には4月29日の天長節があります。畏れ多くも天皇陛下の誕生日であります。これも英米思想ですか』。将校は真っ青になった」

 山田さんは「当時も英米思想がいけないという法律はどこにもないのだけれど、将校や官僚、権力者がむちゃくちゃなことを言って通ってしまう。それをどう防ぐか。政府は真剣に考えなければいけないはずです。特定秘密保護法だって忘れたころに、やいばをむくかもしれない」と語る。

 「戦後生まれの政治家は戦争を肌で知らないから、その怖さを感じていないんじゃないかな」。国策会社・南満州鉄道株式会社(満鉄)に勤めていた父親と旧満州にわたり、現地で終戦を迎えた山田さんにはそう思えるのだ。

 戦時中を描いた山田作品「母べえ」(2008年公開)には、戦争批判をした父親を特別高等警察が娘たちの面前で縛り上げるシーンがある。「僕のおやじはエンジニアだったから、日本がアメリカに勝てるわけないと思えた。でも、それは家庭でもいえない。息子が学校で『日本は負けるぞ』と言ったら、警察に捕まる時代だった」

 しかし、旧満州での日本人支配層の暮らしは豊かだった。中国人が凍死する厳冬でも、セントラルヒーティングの住宅でバターにチーズ、パンにハムなどの豪華な食事が普通だった。「植民地の収奪の上に僕らの豊かな暮らしが成り立っていた。日本人がどれほど中国人を侮蔑していたかを肌感覚として覚えている。少年時代の僕たちは無意味に差別し、時として殴ったりもした。戦後、大連や長春を訪れて、昔知っていた人たちがここにいると思うと、申し訳ない気持ちがするんだよね」

 近年、日本では嫌中嫌韓の出版ブームやヘイトスピーチが社会問題になっている。「戦前からの意識の根を引きずっているのではないか。あの戦争は差別意識の上に起きた」。物静かな語り口が変わった。「僕たちは徹底的に反省すべきではないだろうか」

 12月に公開予定の映画「母と暮せば」は原爆で息子を失った母親の物語。被爆国・日本で、しかも東京電力福島第1原発の事故後に巨大与党は原発再稼働を進める。「今はなんたって経済です、というと皆黙ってしまう。まずはお金だと。本当にそうだろうか。食えなきゃどうしようもない、というのは俗論だと思う。子育ての時、まず金もうけを考える人間を育てようとしますか。正しい志を抱く若者を育てなければ、ということに誰も反対しないでしょう」

 正しい志。この国の志はどこにあったのか。「世界の平和に役立つ国であり続けること。憲法9条に書かれているのだけれど。そこから、いろんな問題を考えてどうしていけないのだろうか」

 9条を、国として、人としての志と捉える−−その姿勢にはっとした。

 翌日、「実は語り忘れていたことがあります」とファクスが届いた=別項。

 読みながら、お正月に「寅さん」を見て笑った時代を思い出した。山田監督は20年ぶりの本格的な喜劇映画「家族はつらいよ」(16年公開予定)にも取り組んでいる。不安な時代に、コメディーを送りだそうとするその心が、平和な町の明かりのように胸に染みてきた。【浦松丈二】





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