超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

屁理屈天国 客観的普遍妥当性の欠如

2008-06-08 05:56:56 | Weblog
日本語には二種の感情が付いている。
それは音韻という衝動感情と感情と名のつけられた前感情である。

二種の感情は、前感情として一群化している。

*。
西欧から移入した理性語にも感情がつく。

日本の判決はすべて屁理屈と言われる。
判決だけでなく、日本の世間自体が屁理屈だ。

*。
どういうことか。

判決だろうと、言葉の展開は、
そのベースに気持ちがある。

気持ちが良くないと、それだけで排除される。

*。
感情言語が、屁理屈の正体だった。

              *。
頭に来ると、
つまり不快になると、
それ全体を否定排除する。

日常は、人情世間体で組織化されている。

*。
人情世間体は、行動にも感情が付いていることだ。

言葉と意味と気持ち、
日本人の会話や文章は、この三要素からなる。

非常心の時はこれらが分離している。

*。
衝動レベルが上がると、
これらはフリーズして、激情が炸裂する。

言葉と感情がショートする。

するといい気持ちでないものは、異物として排除される。

              *。
判決が屁理屈だと言う事は、
バカ死ねと言っていることだ。

判決する側も、される側も、バカ死ねと言っているのだ。

*。
屁理屈だという側も屁理屈となる構造がある。

日本全体がは理屈なのだ。

「我こそ生後」と非難する方も、
「我こそ正義」なのだ。

*。
即ち日本人には、客観的普遍妥当性がない。

即ち、財布がない→お前が取った→金を返せ。

双方がこう言っている。

結局権力の強い方が押し切る。

             *。
客観的普遍妥当性、そんなものはない。

これがお上の立場だ。

そしてこれを維持できる。

*。
お上とは、屁理屈を通せる立場だ。

これを批判する人は、お上にはならない。

*。
かくしてこの国は、
所得・消費・欲望を丸出しで生きるのだ。

このベースに、いい気持ちがある。

              *。
正しさよりも、いい気持ち原理主義だ。

いい気持ちの時は、優しい人。

いい気持ちが犯されると、残酷になる。

*。
本人は、残酷と思わず、毅然とした態度と思うばかりだ。

相手にはただの残酷だ。

               *。
屁理屈のない世界はない。

日本人の常識だろう。

日本人は、客観的普遍妥当性こそ妄想と思う。

*。
人や自然は機械である。

この間違った世界に、科学と産業が成立した。

*。
人は間違いにしか生きられない。

こう仮定して見ると、
大体正しいことなんてあるかとなる。

間違いの中に、如何にいいものを作るか。

                 *。
間違いを生きる、
これが人の立場ではないかと推察される。

*。
間違いの中に作るまともなこと。

正しいと言うことはこの程度ではないか。

*。
玉蔓の、ウソの中にこそ真実がある。

事実を生きることこそ、ウソを生きることだ。

二つの立場の非可逆性、
ここに現実がある。

*。
存在するもの、すべて幻である。

幻に中に作る、真実。

                *。
人は現世に幻を作り、
それを現世に戻す。

現世に戻せない幻が、虚偽と偽善だ。

*。
Gёdelの不完全性定理とナッシュ均衡論の到達点だ。

                *。
間違いと言うことは、間違いだ。

そういうことも間違いだ。
それが人の立場ではないか。

*。
これがGёdelの不完全性定理であろう。

これを知れば、
人のやることは、間違いの中に、魂を作ることだ。

これがナッシュの均衡理論だ。

               *。
いい気持ちや癒し、
これこそ我こそ正義の屁理屈だ。

自分にバカ死ねと言っている事だ。

*。
これは心のない世界だ。

               *。
自分が自分に、バカ死ね。

これが一億玉砕への万歳突撃だろう。

これを理解するには、
客観的普遍妥当性が必要だ。


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