朝日新聞7.8.1、29面の王海藍さんの修士論文をコピペした。
豊かな消費文化が生み出す精神的飢餓感、
つまり孤独と空虚、即ち心の空白、
社会や共同体を、冷ややかに傍観することで、
そこに生まれる寂寥感と喪失感。
つまり孤独と空虚を、寂寥感と喪失感で埋めると、
それが揶揄と賞賛をない交ぜにした、
ユーモアやからかいとなり、
孤独と寂寥感、空虚と喪失感が、
互いに打ち消しあい、
不思議ないい気持ちが漂い、
そこにたゆたう寛ぎ、
ゆるりと気持ちを温める温もりが沁みだしてくる。
孤独+寂寥感=寛ぎやいい気持ち、
空虚さ+喪失感=温もりやユーモア。
*
つまり村上文学は感情を計算している!
加法群構造、
いい気持ちという絶対者を単位元=0にとり、
いろいろの感情を組み合わせて、
足したり引いたりして、ゼロにする。
乗法群構造、
人間の尊厳を単位元=1とし、
いろいろの感情や理性を割り算掛け算で、1にする。
ゼロなる絶対感情はいい気分、
この時、悪い気分も発生する。
1なる人間根源感情は満ちたりが気分を生成する。
この時は感情の二サイクルエンジンとならない。
悟った世界ではないか。
ここでサリンジャー的精神障害と自殺の問題は、
神の絶対で生まれることが分かる。
人間の尊厳を生きれば、
その問題に悩まされないことも分かる!
まだ村上文学は加法群段階だ!
源氏物語は乗法群世界にある!
豊かな消費文化が生み出す精神的飢餓感、
つまり孤独と空虚、即ち心の空白、
社会や共同体を、冷ややかに傍観することで、
そこに生まれる寂寥感と喪失感。
つまり孤独と空虚を、寂寥感と喪失感で埋めると、
それが揶揄と賞賛をない交ぜにした、
ユーモアやからかいとなり、
孤独と寂寥感、空虚と喪失感が、
互いに打ち消しあい、
不思議ないい気持ちが漂い、
そこにたゆたう寛ぎ、
ゆるりと気持ちを温める温もりが沁みだしてくる。
孤独+寂寥感=寛ぎやいい気持ち、
空虚さ+喪失感=温もりやユーモア。
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つまり村上文学は感情を計算している!
加法群構造、
いい気持ちという絶対者を単位元=0にとり、
いろいろの感情を組み合わせて、
足したり引いたりして、ゼロにする。
乗法群構造、
人間の尊厳を単位元=1とし、
いろいろの感情や理性を割り算掛け算で、1にする。
ゼロなる絶対感情はいい気分、
この時、悪い気分も発生する。
1なる人間根源感情は満ちたりが気分を生成する。
この時は感情の二サイクルエンジンとならない。
悟った世界ではないか。
ここでサリンジャー的精神障害と自殺の問題は、
神の絶対で生まれることが分かる。
人間の尊厳を生きれば、
その問題に悩まされないことも分かる!
まだ村上文学は加法群段階だ!
源氏物語は乗法群世界にある!