昨日の我が家の新聞のコラムからの引用だが、「入道雲にのって夏休みはいってしまった」とあって、その忘れ物として三つあげられていた。
その一つは「セミ」・・新聞を読みながらふと見上げた桜の葉っぱに「抜け殻」が見えた。
間違いなく夏の忘れ物であろう。
もう一つが「麦わら帽子」。
一昔前の夏の子供達の定番の姿と言ったら、ランニングシャツに短パン、手には虫取りの網、そして麦わら帽子は欠かせない必需品だったろう。
今はそんな恰好した子供はもう見られなくなって久しい。
半世紀前は恐らくそんな恰好をしていたであろう御仁が鶴岡の映画村にいた・・映画のエキストラとして映画撮影の帰りだったのだろうか?
実はただの訪問者なのだが、何故か風景に溶け込んでいて、半世紀前の夏の忘れ物を思い出させてくれたワンショットとなった。
最後が「波の音」。
夏の今頃の波の音は何故か物悲しく感じるものです。
何かやり残したことは無いのかと、慌ただしくも有るのです。
毎年「忘れ物」をして繰り返して行く・・そしてその内、何を忘れたかも忘れてしまうのだろう?
物悲しくもあり寂しくもあり、そんな一瞬なのだ。
*「忘れ物」の中で一番は麦わら帽子でありましょう・・そんな時代が有ったのだと懐かしくなるのです。
裕福では無かったが、当時どこでも同じ様なものだった・・むしろ精神的には今よりは豊かだったのかも知れない。
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