長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『足跡はかき消して』

2019-04-24 | 映画レビュー(あ)

父娘は緑深い森の奥で暮らしている。ライターを使わずに火を起こす。卵の殻を畑に撒いて肥料にする。狭いテントで身を寄せ合い、野犬に怯えながら夜を明かす。文明から隔絶された生活。

決して世界が滅んだワケではない。ここはアメリカ・ポートランドの国定公園。父娘は時折、森を出て町に降りる。イラク帰還兵である父の身分を使えば病院で処方薬を貰える。それを同じ公園内で暮らしている退役軍人に売れば幾らかの稼ぎになるからだ。2人はそうやって必要最小限の物を得てきた。

 

『ウィンターズ・ボーン』以来8年ぶりの新作となるデブラ・グラニク監督は今回も削ぎ落した演出で多くを語ろうとはしない。この家族には妻(母)の姿はなく、いつから、なぜホームレス生活を始めたのかも定かではない。娘は15~16歳だろうか。背は父親程に伸び切り、大人と子供の境目にある。

やがて2人は行政に保護されるが、父はその生活を良しとしない。戦争のPTSD、という言葉だけでは量り切れない苦痛を抱えた父をベン・フォスターが寡黙に演じる。近年、『最後の追跡』など良作が続いてきたがグラニクの演出を受けてクサさが抜けた。名演である。

半ば逃亡者のように保護下を抜け出した2人はワシントン州山間部にあるトレーラーハウス集落に流れ着く。『ウィンターズ・ボーン』同様、グラニクはアメリカ映画が描いてこなかった辺境の断絶と絶望を捉える。「アメリカを再び偉大にする」と標榜する大統領が現れて久しいが、果たしてそんなアメリカ的価値観が正しかった事などあったろうか?本来ならば”戦争の英雄”である父は社会から孤立し、帰還兵達の多くがホームレス暮らしである。


では希望はどこにあるのか?

木々のように深い緑の瞳を持った少女トーマサイン・マッケンジーだ。僕はミツバチの場面でアリーチェ・ロルヴァケルの『夏をゆく人々』を思い出した。少女の神性を呼び起こす蜜蜂の存在。それが父の解放へとつながっていく。


個人的な話だが、この映画を見ている最中、僕は自分の父を思い出した。重い鬱病を患っている父はある日、消息を絶った。数日後、帰宅した父から聞いた所、山奥で1人キャンプ生活を送っていたのだという。後に「死に場所を探して夜が明けるまでさ迷った」とも述懐している。それでも死ねなかった。それは家族の存在があったからかもしれないし、そうでないかも知れない。

この映画で娘の成長を知った父は救われたのだと僕は思った。そして娘の人生もこの映画の終わりと共に始まるのである。

 

『足跡をかき消して』18・米

監督 デブラ・グラニク

出演 ベン・フォスター、トーマサイン・マッケンジー

 

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