長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『すべてが変わった日』

2021-08-16 | 映画レビュー(す)

 トーマス・ベズーチャ監督の『すべてが変わった日』はとても2020年の映画とは思えないオールドスタイルの1本だ。1960年代、愛息を落馬事故で失った老夫婦には若くして未亡人となった嫁と、最愛の孫だけが遺された。数年後、嫁は再婚するが、その相手はノースダコタを牛耳る犯罪一家の息子だった。老夫婦は孫を救出すべく、住み慣れた土地を離れ、旅に出る。

 ベズーチャ監督はこの20年間で監督作4本目とは信じられない円熟した演出手腕だ。セリフを極力排除し、間合いと省略の妙で見せる冒頭部から釘付けになってしまった。『マン・オブ・スティール』唯一の功績だったケヴィン・コスナーとダイアン・レインが再び夫婦に扮し、息子の死後、口に出されることのない彼らの溝を演技の行間から醸し出すことに成功している。元保安官のジョージは口数も少なく、方や妻マーガレットは常に能動的に行動し、夫と物語を牽引していく。老いてますます味わい深いダイアン・レインという偉大な女優によって、マーガレットが2020年の映画に相応しい人物像を得ていることはもちろん、決して共感しやすい人物でないことも重要だろう。巻頭、産湯を熱しすぎてしまった嫁ローナがマーガレットに子守を代わられるシーン1つとっても、この若い女性にとって夫の実家が居心地の良いものではないことがわかる。ローナはわずかばかりの主体性を持ってノースダコタへついて行ったのかもしれないのだ(『プライベート・ライフ』で印象的なブレイクスルーを果たしたケイリー・カーターがローナに扮している)。

 ジョージとマーガレットのブラックリッジ夫妻がノースダコタにたどり着くと、いよいよこの違和感は大きくなる。マーガレットは意気揚々と聞き込みを続け、ローナが引き取られたウィボーイ家を突き止める。『ファントム・スレッド』でダニエル・デイ=ルイスの姉を厳しく演じていた英国女優レスリー・マンヴィルが、ウィボーイ家の家長ブランシュを怪演する。彼らは無法のならず者だが、突如押し寄せて孫を引き取ろうとするマーガレットにも道理を見出しにくい。そしてついに凄惨な暴力によって、事態は最悪の方向へと発展してしまう。

 違和感の正体を解き明かすのが2度登場する先住民族の青年ピーターだ。荒野で1人暮らす彼はかつてアメリカ政府の同化政策によって両親から引き離され、“白人化”させられた結果、今や部族の言葉を話すこともできなくなっていた。法の外で子供を奪い合うブラックリッジとウィボーイのリバタリアニズム、ビジランティズムがアメリカと"西部劇”というジャンルを成してきたのかも知れないが、その血と暴力の歴史の影には同じく我が子を奪われた声なき先住民族の姿があるのだ。マーガレットが最後までピーターの善意を無意識に搾取し続ける一方、かつて『ダンス・ウィズ・ウルブズ』はじめ多くの西部劇に出演してきた白人高齢男性のケヴィン・コスナーがすべてを背負って退場する。そこに僕は無法の者共によってついには連邦議事堂が占拠された2020年代の映画としての意味を見るのである。原題“Let Him Go”というタイトルも、なんとも後を引くではないか。


『すべてが変わった日』20・米
監督 トーマス・ベズーチャ
出演 ケヴィン・コスナー、ダイアン・レイン、ケイリー・カーター、レスリー・マンヴィル、ジェフリー・ドノヴァン、ブーブー・スチュワート、ウィル・ブリテン

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