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長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ハリエット』

2020-06-08 | 映画レビュー(は)

 2020年、新20ドル札紙幣への印刷が決まっている奴隷解放運動家ハリエット・タブマンを描く伝記映画。日本での公開が当初予定されていた3月から6月へと延期された事でさらに時事性を得ることになった。アメリカではまたしても白人警官による黒人殺害事件が発生し、コロナ禍にも関わらずロス暴動以来と言われる大規模なデモ、暴動に発展しているからだ。

 1849年、ハリエットはミンティという名の奴隷だった。別の家でやはり奴隷として生きている夫とはろくに会う事もできず、所帯を持つことも叶わない。ある日、自身が売り渡される事を知ったハリエットは脱走、およそ160キロを経てフィラデルフィアで奴隷救出活動を始める事になる。

 何とも現代的な人物だ。自由か死か、という言葉をモットーに自身の道を選び、結婚も捨て去る。外の世界を知らないか弱い女性が赤や黒のコートを颯爽と身に纏い、銃を手に戦いを挑んでいくのだ。彼女は多くの脱走奴隷達を1人も欠けることなく北部へと逃がす事に成功し、ついには南北戦争で部隊を率いたという。
 力強く、感動的な演技を見せるハリエット役シンシア・エリヴォはアカデミー賞で主演女優賞にノミネートされた。既にトニー、エミー、グラミー賞のタイトルホルダーであり、近年は映画界でも注目作に相次いで出演。スティーヴ・マックイーン監督作『ロスト・マネー』ではその高い身体能力を披露し(本作でもスカートながら足の速さがわかる)、スティーヴン・キング原作のTVドラマ『アウトサイダー』では超常現象と対峙する私立探偵を妙演するなど、高い演技力を持ったカメレオン女優である。いずれオスカーも獲得してグランドスラム“EGOT”を達成するだろう。

 ケイシー・レモンズ監督の演出は明朗で(スコアがやや感傷的すぎるが)、マックイーン監督の『それでも夜は明ける』のような目を覆いたくなる描写も抑えられており、思いのほかエンターテイメントとして間口が広い。その軽さに批評は割れたようだが、ここには『それでも夜は明ける』でブラピが演じた理知的な白人も、『ヘルプ』でジェシカ・チャステインが演じた白人に虐められる白人も存在しない事に注目してほしい。今日のBlack Lives Matterは黒人はもとより、無自覚に特権を持ってきた白人層が怒りの声を強く上げている。誰かが差別されている事を論じるために他の誰かの苦境を並べ立てる必要もなければ、多人種への過度な配慮も必要ないのだ。Black Lives Matterを「黒人の命“も”大切だ」と誤訳していることからも僕達が本質を見誤っているのがわかるだろう。そういう意味でも非常に現代的な映画である。

 本作で最も台詞が多い白人はハリエットを追う奴隷主ギデオンだ。彼は『それでも夜は明ける』のマイケル・ファスベンダーのようにハリエットを愛しながらも奴隷として蔑んできたため自分の感情の正体がわからず、暴力を働いていいと思い込んでいる。2人は幼少期に共に育った事が示唆されている。生まれながらの真正のレイシストが存在しないのであれば、環境と誤った教育が差別主義者を生むのだ。

 アメリカの黒人差別の歴史を知る上で本作はまさにBlack Lives Matter入門編。海の向こうの特殊な事情と思わず、ぜひとも本作を機に考えるきっかけを持ってみてほしい。


『ハリエット』19・米
監督 ケイシー・レモンズ
出演 シンシア・エリヴォ、レスリー・オドム・Jr.、ジョー・アルウィン、ジャネール・モネイ
 

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