長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ミスター・ガラス』

2019-03-10 | 映画レビュー(み)

劇中、サミュエル・L・ジャクソン演じるミスター・ガラスことイライジャは言う「19年かかった。正気を疑ったこともあったよ」。
 これは監督M・ナイト・シャマランの正直な実感でもあるだろう。本作は2016年に大ヒットした『スプリット』の続編にして、2000年に公開された『アンブレイカブル』の19年ぶりの続編だ。まさに執念の映画化であり、そして信念についての映画でもある。

『スプリット』事件の後、24人格のケヴィンは再び少女を誘拐し、凶行に及ぼうとしていた。『アンブレイカブル』の後、19年間に渡って街の平和を守ってきた影の仕置き人デヴィッド・ダンはついにケヴィンの居場所を突き止め、対決を挑む。24人格の頂点に立つビーストの殺人的怪力も“アンブレイカブル(壊れない)ダン”には通用しない。だが、この宿命の対決はステイプル博士によって水入りとなってしまう。彼女は自分をスーパーヒーローと思い込んでいる人の“治療”を目的とした精神科医だ。

『アンブレイカブル』『スプリット』『ミスター・ガラス』はシャマランによる“アメコミ”である。19年の時を経てアメコミ全盛期の今日、完結されたのは必然の流れと言ってもいいだろう。本作はスパイダーマンもX-MENもバットマンも包括したアメコミ批評としても機能している。異常なスーパーパワーを矯正するための施設というのは同性愛を異常と見なした施設に由来するし、異能者が弾圧される『X-MEN』を彷彿とさせる。その責任者を『カッコーの巣の上で』のラチェット婦長を主人公にしたスピンオフ、というにわかに想像し難いドラマに主演しているサラ・ポールソンが演じているのも意味深なキャスティングだ。そしてヒーロー誕生のためには究極のヴィランが必要であると考えるミスター・ガラスはバットマンにおけるジョーカーが想起させられる。ミスター・ガラスは2人の超人の戦いを人類に見せつける事で、真に優れた者達に声を挙げよと促す。イライジャはデヴィッド、ケヴィンという役者が揃うまで実に19年の歳月を埋伏していたのだ。

その信念は本作を手掛けるシャマラン自身の信念ともダブる。
『シックスセンス』で大ブレイクを果たしながらもやがて業界から忘れ去れ、それでも自宅を抵当に入れながら己が信じる映画を作り続けてきた彼は『スプリット』が大成功した事でようやく本作に着手できた。ゆえにミスター・ガラスは大量殺人者でありながらまるで求道者のような高潔さがあり、彼の遺志が引き継がれていく終幕は感動的ですらあるのだ。そしてこれはシャマランという求道者が宿願を達成した瞬間でもある。『アンブレイカブル』でブルース・ウィリスの息子を演じていた子役が成長して再び同役として登場するのも嬉しいサプライズだった(カメオ程度の扱いではない。俳優として訓練されているのだ。ずっと役者を続けていたのか!)。

 妥協なきアーティストの作品に揚げ足を取ろうとするだけの些末な批評は通用しない。シャマラン、ついに勝利を収めた。


『ミスター・ガラス』19・米
監督 M・ナイト・シャマラン
出演 ジェームズ・マカヴォイ、ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン、アニャ・テイラー・ジョイ、サラ・ポールソン
 

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