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長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『蜜蜂と遠雷』

2020-02-02 | 映画レビュー(み)

 コンクールに集まった天才ピアニストたちを描く本作でまたしても松岡茉優はその天性の才を発揮する。母の死をきっかけにエリート街道から転げ落ちたヒロインを動物的とも言える演技勘で演じきって見せるのだ。日本映画特有の不自然なセリフや展開、本作のブルゾンちえみに代表されるキャスティングのノイズ等によって度々、足が乱れる演出のテンポを何度も救い、まさに主演スターの存在感である。共演の森崎ウィン、鈴鹿央士らも健闘しているが、ずば抜けている。

 一方、松坂桃李が楽器店勤務の“市民ピアニスト”を地に足付いた演技で見せており、演技的質の異なる対照的なキャスティングが面白い。彼が演じる高島は誰にでも伝わる市井の音を目指す苦労人であり、その地道な努力によって生まれた音は天才たちへインスピレーションを与えていく。それはあたかも実直な演技で若手キャストの地軸となる松坂自身にも重なる。2019年はスマッシュヒット作『新聞記者』にも主演、演技派としての成長が著しい。

 “天才vs凡人”という二項対立で語られがちな今日、時に凡人が天才へインスピレーションを与え、天才は天才同士でさらに高め合う本作の世界観は幸福だ(もちろん、天才も死ぬほど苦悩し、練習している)。石川慶監督はポーランドの映画学校卒と聞き、本作との親和性に納得した。俳優よりも原作の描写に合わせてピアニストからキャスティングしたという作家主義は凡百の日本アカデミー賞候補の中でも一際、孤高の存在感を放っている。


『蜜蜂と遠雷』19・日
監督 石川慶
出演 松岡茉優、松坂桃李、森崎ウィン、鈴鹿央士、臼田あさ美、ブルゾンちえみ、福島リラ、斉藤由貴
 
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『未来を花束にして』

2019-07-26 | 映画レビュー(み)

原題は"Suffragettes”。19世紀末から20世紀初頭、英国で女性参政権を求めて投石や爆破等、過激な行為に及んだ人々を指す。今でこそ当たり前に享受されている権利だが、先人の不断の努力なくてして有り得なかった事に改めて身の引き締まる思いだ。東西問わず政治への無関心、忌避が極右勢力をのさばらせている昨今、見るべき所の多い映画である。

またMe tooに先駆ける事2015年に公開された本作はネオウーマンリヴの一翼も担っている。キャリー・マリガン演じる主人公は幼い頃に両親を亡くしてからというもの、洗濯工場で上司のセクハラに耐えながら、奴隷と何ら変わない労役を課せられてきた。言うまでもなく政治における“公平”さとは女性への差別問題とセットであり、現在の歪さは人権意識の欠如によるものだ。マリガンはじめヘレナ・ボナム・カーターら女優陣は皆、力演である。

一方でこのSuffragettes運動に歴史が正当な評価を下していない事がこの映画の弱点にもなっており、惜しい。ダービー観戦中のジョージ五世に直訴しようとしたエミリー・デイヴィソンが馬にはねられ、死亡した事件が本作のクライマックスとなっており、あたかも彼女の“殉死”が参政権獲得に寄与したかのように描かれ方だが、ストーリー展開上、唐突な感は否めず、歴史的正確性も疑わしい。彼女を主役にできなくてもマリガンがエミリーと触れ合い、感化されていく過程は必要だっただろう。Me too以後に製作されていれば視座も異なっていたかもしれない。そんな所からも近年における映画界のダイバーシティが日進月歩である事が良くわかる。


『未来を花束にして』15・英
監督 サラ・ガブロン
出演 キャリー・マリガン、ヘレナ・ボナム・カーター、ベン・ウィショー、メリル・ストリープ、ブレンダン・グリーソン、ロモーラ・ガライ、アンヌ・マリー・ダフ


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『ミスター・ガラス』

2019-03-10 | 映画レビュー(み)

劇中、サミュエル・L・ジャクソン演じるミスター・ガラスことイライジャは言う「19年かかった。正気を疑ったこともあったよ」。
 これは監督M・ナイト・シャマランの正直な実感でもあるだろう。本作は2016年に大ヒットした『スプリット』の続編にして、2000年に公開された『アンブレイカブル』の19年ぶりの続編だ。まさに執念の映画化であり、そして信念についての映画でもある。

『スプリット』事件の後、24人格のケヴィンは再び少女を誘拐し、凶行に及ぼうとしていた。『アンブレイカブル』の後、19年間に渡って街の平和を守ってきた影の仕置き人デヴィッド・ダンはついにケヴィンの居場所を突き止め、対決を挑む。24人格の頂点に立つビーストの殺人的怪力も“アンブレイカブル(壊れない)ダン”には通用しない。だが、この宿命の対決はステイプル博士によって水入りとなってしまう。彼女は自分をスーパーヒーローと思い込んでいる人の“治療”を目的とした精神科医だ。

『アンブレイカブル』『スプリット』『ミスター・ガラス』はシャマランによる“アメコミ”である。19年の時を経てアメコミ全盛期の今日、完結されたのは必然の流れと言ってもいいだろう。本作はスパイダーマンもX-MENもバットマンも包括したアメコミ批評としても機能している。異常なスーパーパワーを矯正するための施設というのは同性愛を異常と見なした施設に由来するし、異能者が弾圧される『X-MEN』を彷彿とさせる。その責任者を『カッコーの巣の上で』のラチェット婦長を主人公にしたスピンオフ、というにわかに想像し難いドラマに主演しているサラ・ポールソンが演じているのも意味深なキャスティングだ。そしてヒーロー誕生のためには究極のヴィランが必要であると考えるミスター・ガラスはバットマンにおけるジョーカーが想起させられる。ミスター・ガラスは2人の超人の戦いを人類に見せつける事で、真に優れた者達に声を挙げよと促す。イライジャはデヴィッド、ケヴィンという役者が揃うまで実に19年の歳月を埋伏していたのだ。

その信念は本作を手掛けるシャマラン自身の信念ともダブる。
『シックスセンス』で大ブレイクを果たしながらもやがて業界から忘れ去れ、それでも自宅を抵当に入れながら己が信じる映画を作り続けてきた彼は『スプリット』が大成功した事でようやく本作に着手できた。ゆえにミスター・ガラスは大量殺人者でありながらまるで求道者のような高潔さがあり、彼の遺志が引き継がれていく終幕は感動的ですらあるのだ。そしてこれはシャマランという求道者が宿願を達成した瞬間でもある。『アンブレイカブル』でブルース・ウィリスの息子を演じていた子役が成長して再び同役として登場するのも嬉しいサプライズだった(カメオ程度の扱いではない。俳優として訓練されているのだ。ずっと役者を続けていたのか!)。

 妥協なきアーティストの作品に揚げ足を取ろうとするだけの些末な批評は通用しない。シャマラン、ついに勝利を収めた。


『ミスター・ガラス』19・米
監督 M・ナイト・シャマラン
出演 ジェームズ・マカヴォイ、ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン、アニャ・テイラー・ジョイ、サラ・ポールソン
 
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『ミュート』

2018-03-08 | 映画レビュー(み)

初の大作『ウォー・クラフト』が案の定(?)大失敗したダンカン・ジョーンズ監督の新作はNetflix製作のSFノワールだ。近未来のドイツはベルリンを舞台に口の利けない男(MUTE)アレクサンダー・スカルスガルドが消えた恋人の行方を追う。

 ジョーンズらしい美意識が貫かれているが、自ら務めた脚本に駆動力があるとは言えず、未来のベルリンは2049年ではなく1981年の『ブレードランナー』の影響下であり、2018年に見る未来のランドスケープとしてはあまりに古臭い。『ビッグ・リトル・ライズ』で賞レースを席巻したスカルスガルドは旬の俳優ならではの充実で無言演技に取り組んでいるが、実質のW主演である“アントマン”ことポール・ラッドはミスキャストで、足を引っ張られた。またしてもNetflixのクオリティコントロール不足と言わざるを得ない。

 かつてデヴィッド・ボウイはベルリンの街を愛し、数々の楽曲を残した。未だ見ぬ親の姿を求めるこの物語は、ジョーンズにとって亡き父ボウイの幻影を探し求めた作品だ。彼の作家性を構築する上で、もっと重要な1本になるハズだったのではないだろうか。


『ミュート』18・英
監督 ダンカン・ジョーンズ
出演 アレクサンダー・スカルスガルド、ポール・ラッド、ジャスティン・セロー
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『ミッドナイト・スペシャル』

2017-03-27 | 映画レビュー(み)

 何度でも呟いて、その感触を確かめたくなる魅惑的なタイトルだ。
次世代アメリカ監督の中でも最重要の1人、ジェフ・ニコルズ監督の新作『ミッドナイト・スペシャル』は闇夜に身を晒した時の、あの抗い難い夜気の悦びを彷彿とさせる。超能力を持った我が子を守り、旅を続ける父。彼らを追う謎の教団、アメリカ政府…と粗筋を書けば胸躍る冒険SFものに聞こえるが、ここには娯楽ジャンル映画の高揚感は皆無だ。少年の起こす奇跡を妄信する大人たちはどこか狂気的であり、ニコルズの確信に満ちた語り口はそもそもSFというジャンルを描くこと自体が狂気であるようすら思える。かねてより往年のニューシネマに近いルックを持ってきたニコルズ作品だが、本作では同じスピルバーグ映画でも『E.T』ではなく『未知との遭遇』の歪さに近い。

オープニングが素晴らしい。
とあるモーテルで男達が誘拐事件のTV速報を見ている。マイケル・シャノンにジョエル・エドガートン、ごつごつした顔の険しい表情。容疑者として映るのはシャノンだ。彼らは何丁もの銃で武装している。

「行くか」

奥からゴーグルをかけた少年を抱きかかえ、彼らはモーテルを後にする。
シャノンと少年の抱きしめ方を見れば、彼らが父子の情愛で結ばれている事は一目瞭然だ。
甘美な夜闇が車を包むと、まるでそれこそが世界の真実であるかのように音楽が高鳴り、タイトルが現れる。これまでのニコルズ作品を手掛けてきた撮影監督アダム・ストーンの夜間撮影が冴える。

少年は陽の光を浴びると身体が異常を示し、体力を奪われてしまう。彼らは少年の言う座標を目指して旅を続けるが、その道中も少年は成す術なく衰弱していく。
 マイケル・シャノンという符合がニコルズのデビュー作
『テイク・シェルター』を連想させる。世界の破滅が来ると信じたシャノンは災厄に備え、地下シェルター作りに憑りつかれていく。明らかに統合失調症の妄想に見えるのだが、ニコルズは心理スリラーに終わらせず、本当に世界の終わりを到来させる。それは不思議と荘厳な光景であり、僕たちは信念とは狂気をはらみ、狂気は美しさを内包する事を知るのである。

だが『ミッドナイト・スペシャル』は狂気的な信念の旅から、親子の物語へと変奏していく。
少年は自身の力で陽の光を克服し、両親の庇護下から巣立っていく。憑き物が取れたかのような清々しく、慈愛に満ちた父シャノンと母キルステン・ダンストの表情を見よ。これは子育てを終える親たちのイニシエーションの旅でもあるのだ。

ニコルズも人の親になったのか、子を送り出したのだろうか。
 作家としての成熟が伺える、ネクストステージの1本だ。

『ミッドナイト・スペシャル』16・米
監督 ジェフ・ニコルズ
出演 マイケル・シャノン、ジョエル・エドガートン、キルステン・ダンスト、アダム・ドライバー、サム・シェパード
 
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