goo blog サービス終了のお知らせ 

長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『レイモンド&レイ』

2023-01-24 | 映画レビュー(れ)

 現代アメリカ映画界屈指の名優へと成長したイーサン・ホークとユアン・マクレガーが義兄弟に扮する『レイモンド&レイ』は、ユアン演じるレイモンドが父の訃報を伝えるため、疎遠の弟レイの元を尋ねる場面から始まる。このオープニングだけで本作が名優2人の巧みな演技ラリーに支えられた作品であることは明らかだ。『彼女を見ればわかること』『アルバート氏の人生』など、主に女性ドラマを手掛けてきたロドリゴ・ガルシア監督による脚本は舞台劇のようなオーセンティックさで、名優2人の実力を存分に引き出す。100分というランニングタイムも語りのペースを心得た然るべき時間だ。

 母親が異なるレイモンドとレイは対象的な性格ながら、しかし多感な時期を共にした親友のような兄弟だ。2人は威圧的で時に暴力を振るった父の虐待に今も苦しんでいた。葬式に立ち会えばこのトラウマを乗り越えられるかもしれない。しかし、いざ式へ向かってはみたものの、葬儀に訪れた人々の想いは兄弟とまるで異なるものだ。父は女性のみならず同性をも魅了した真性の人たらし。少ないながらも彼を愛した人々が集い、レイモンドとレイは知る由もなかった父のもう1つの素顔を知る事となる。父の遺言はうつ伏せにした“一面”だけを見せて納棺すること。人間とは悪しき面だけで語り尽くせるような単純な存在でなければ、その人生は割り切れるものではない。声高に旧き家父長制を糾弾するに終わらない語り口はガルシアの知性である。

 辺境を舞台に、人間の機微を描く細やかな本作の筆致は今やメインストリームで見かけることが少なく、アカデミー作品賞受賞作『コーダ』の買付といい、“アメリカ映画”の伝統をろくろく作品のPRもしないAppleが支えた支えたことが2022年の驚きであった。


『レイモンド&レイ』22・米
監督 ロドリゴ・ガルシア
出演 ユアン・マクレガー、イーサン・ホーク、ソフィー・オコネドー、マリベル・ベルドゥ
※AppleTV+で配信中※
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『レニー・ブルース』

2022-06-07 | 映画レビュー(れ)

 1950年代から60年代半ばにかけて活躍したコメディアン、レニー・ブルースは現在Amazon primeで配信中のTVシリーズ『マーベラス・ミセス・メイゼル』で、主人公ミッジに笑いの薫陶を受ける師匠として描かれる。物語自体はフィクションだが、ルーク・カービーが洒脱に演じるレニー・ブルースはさながら主人公の守護天使であり、74年のボブ・フォッシー監督作でダスティン・ホフマンが演じたそれとは随分、解釈が異なる印象だ。レニー・ブルースがオーバードーズでこの世を去ったのは1966年。フォッシーが同時代を駆け抜けた人物であり、年齢も2つしか違わない。そんな距離感の近さが74年の本作『レニー・ブルース』には反映されている。

 2作品に共通するのは“死の匂い”だ。レニーが現れると、華やかなプロダクションデザインの『マーベラス〜』にはそれまでの賑やかさを打ち消すような、全く異なる気配が漂い始める。一方、『キャバレー』『オール・ザット・ジャズ』『シカゴ』でミュージカルに退廃的なエロスを持ち込んだフォッシー監督版は全編、凍てつくようなモノクロームだ。人種や性、政治など当時はタブーとされていたネタに斬り込み、その過激さから“公然わいせつ罪”として当局にマークされていたレニーのステージには警察官が居並び、やがて彼は活動の場を奪われていく。本作がフォッシーのいずれの作品に比べても過酷であるのは、弾圧によって死の影を背負ってしまったレニーに人並みならぬシンパシーを抱いていたからに他ならない。そして2022年の現在、レニー・ブルースはカウンターカルチャーという一時代の芸人に留まらず、そのネタは時代を超えて社会を射抜く普遍性を持っていたことがわかる。だからこそ『マーベラス〜』は自らの声を手に入れ、世界を変えようとするヒロインの守護天使としてレニーを描いているのではないだろうか。

 フォッシーは本作の後、『シカゴ』『オール・ザット・ジャズ』を手掛け、ダスティン・ホフマンは『大統領の陰謀』『クレイマー・クレイマー』とキャリアを代表する傑作を得ていく事となる。


『レニー・ブルース』74・米
監督 ボブ・フォッシー
出演 ダスティン・ホフマン、ヴァレリー・ペリン
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『レア・セドゥのいつわり』

2022-04-11 | 映画レビュー(れ)

 フランスの名匠アルノー・デプレシャンの新作が前作『ルーベ、嘆きの光』に続いてまたしても日本劇場未公開となった。2018年に亡くなったアメリカ文学界の巨匠フィリップ・ロスの小説『いつわり』の映画化だ。ロスが人生を取り巻く女性たちとの会話を地の文なしに書き綴り、デプレシャンはそれを時間も場所も(時には脳内世界にまで到る)超えて言葉を交わし合う会話劇に昇華した。この奔放さこそデプレシャン、と言いたいところだが、かつてトリュフォーの再来と称された俊英も62歳。さすがに『そして僕は恋をする』や2015年作『あの頃エッフェル塔の下で』の瑞々しさには及ぶわけもなく、愛人に魅せられたロス同様、レア・セドゥに前のめりでカメラを向けているのが現在(いま)である。

 それにしてもレア・セドゥの輝きたるや!『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』でジェームズ・ボンドを攻略し、『フレンチ・ディスパッチ』でウェス・アンダーソン映画を乗っ取り、ここでは文豪の心を奪った愛人役で観る者の心を陶酔させる。ここ数年の活躍ぶりからも、彼女はキャリアの1つのピークに達しつつあると言っていいだろう。
 デプレシャンはセドゥの他、ロスの旧友役に初期作からの盟友エマニュエル・ドゥボスを配し、アメリカ編では若手レベッカ・マルデールが小さい役ながらも印象を残すなど、作家としての腰はやや重くなったが、相変わらず女優の趣味はいい。


『レア・セドゥのいつわり』21・仏
監督 アルノー・デプレシャン
出演 レア・セドゥ、ドニ・ボダリデス、レベッカ・マルデール、アヌーク・グランベール、エマニュエル・ドゥボス
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『レッド・ノーティス』

2021-12-14 | 映画レビュー(れ)

 ライアン・レイノルズが心配だ。かつて次世代セクシースターとしてハリウッドの期待を集めたものの、2011年『グリーン・ランタン』の大失敗によりキャリア失墜。素顔を隠してマーベルのアンチヒーローに扮した『デッドプール』でようやく復活したのは2016年の事だった。第4の壁を破り、人を食った“けしからん”ギャグで周りのみならず自分を徹底的に笑ったユーモアセンスはその後、レイノルズの“持ちネタ”として定着していく。トボけたSNS投稿、終了して間もない『ゲーム・オブ・スローンズ』最終回のネタバレをカマシた『ワイルド・スピード/スーパーコンボ』のカメオ出演…そんな彼の才能がFOX買収後のディズニーで公開された『フリー・ガイ』で大きく実を結ぶ。ひょっとすると独自の路線をゆく喜劇役者になるのでは…近年の彼からはそんなキャリアの成長を感じ取る事ができた。

 だからこそ、レイノルズに加えドウェイン・ジョンソン、ガル・ガドットが結集しながらいつもの“B級Netflix映画”の域を出ない本作で、「お喋りでお調子者」「映画ネタを喋りまくるメタ芸」というレイノルズが作り上げた持ちネタが無惨にもコスリ倒される様は見るに忍びなかった。こんな事ではせっかく浮上したキャリアもあっという間に食い潰してしまうのではないか。そんな余計なお世話が頭を巡り続け、ご都合主義のプロットは全く頭に入って来なかった。

 この『レッド・ノーティス』で損をしているのはレイノルズだけではない。ドウェイン・ジョンソンもガル・ガドットもこれまで自身が演じてきたキャラクターのイメージを充てがわれているに過ぎず、活気に乏しく、ガドットに至っては出演するだけ損をしているような印象すらある。そしてこの3人に対抗できる悪役など配置できるワケもなく、気付けばなんのサビもないまま映画は『インディ・ジョーンズ』の劣化コピーのようなカーチェイスでクライマックスを迎えてしまう。コロナ禍に入って以後、“映画館で見るべき映画”と“配信で見る映画”の2極化が進んでいるが、“配信で良い、手頃な映画”としてこのレベルの娯楽作がうず高く積み上げられ、ライブラリの並列化が推し進められるのには正直うんざりだ。


『レッド・ノーティス』21・米
監督 ローソン・マーシャル・サーバー
出演 ドウェイン・ジョンソン、ガル・ガドット、ライアン・レイノルズ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『レジェンド 光と闇の伝説』

2021-11-16 | 映画レビュー(れ)

 82年の『ブレードランナー』が興行的に失敗して以後、リドリー・スコットはしばらくの間、低迷期に突入する事になる。85年に公開された本作『レジェンド』もオリジナルフィルムが140分、インターナショナル版が94分、アメリカ国内版は89分、そして僕が見たディレクターズカット版は114分といくつものバージョンが存在する混乱ぶりだ。本編も前半20分はほとんど何も起こらず、決してファミリー向けとは言い難いダークなファンタジー世界はマーケティング面でも苦労した事が伺える。

 しかし、この徹底したリドリー美術による世界観はおそらくピーター・ジャクソンの『ロード・オブ・ザ・リング』3部作にも影響を与えており、ブームを15年も先駆けてしまったのは間違いない。中でも注目したいのは後半、魔王の城に舞台を移してからの邪悪とも言える美術の迫力だ。この“暗さ”は後年、弟トニー・スコットを亡くしてからより死の匂いとなってリドリー映画にまとわりつき、特に『エイリアン:コヴェナント』ではマイケル・ファスベンダーの居城が映画のバランスを破壊するほどの威容だった。

 また全てのショットが“絵画”であるリドリー映画において、キャストの顔は時代の流行が定めた美醜に左右されるものではない。彼ならではの美意識が映画から時代感覚を奪い、特異な普遍性を獲得している事に気付かされた。短パン姿も愛らしいトム・クルーズの美しさはもちろん、魔王に魅入られてから豹変するミア・サラの妖艶さ、そしてハリボテメイクでもプリンセスを拐かすには十分な色気を放つ魔王役ティム・カリーに目を見張った。

 おそらくリドリーがこのジャンルに戻ってくることはないだろうが、彼のファンなら見逃す手はない1本だ。僕は十分に楽しめた。


『レジェンド 光と闇の伝説』85・米
監督 リドリー・スコット
出演 トム・クルーズ、ミア・サラ、ティム・カリー
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする