長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『エイリアン:コヴェナント』

2017-09-23 | 映画レビュー(え)

モンスター映画のスリルを求めるのは諦めた方がいい。
エイリアンを通路に追い詰め、扉を開けて、宇宙船の外へ追い出す。リドリー・スコット監督は自身が手掛けた第1作のクライマックスをアップグレードして焼き直すが、さすがに新鮮味は感じない。

それよりも中盤のドス黒い、邪悪な気配は何なのだ。
新型エイリアン“ネオモーフ”の襲撃から主人公らを救ったアンドロイドのデヴィッド(マイケル・ファスベンダー)は、かつてその惑星を支配していた宇宙人“エンジニア”の街へと彼らを導く。真っ黒に焼け焦げた無数の死体で覆われている死の街。前作『プロメテウス』の後、この星へたどり着いたデヴィッドは死の病原菌をばら撒いてエンジニアを皆殺しにし、そこで変異した生物の研究に没頭していたのだ。

古城のような研究室の禍々しい美と狂気は、モンスター映画を期待した観客を戦慄させる。ロウソクの灯で撮られたような薄暗いライティング、内臓感覚あふれるモンスターの標本、そしてエイリアンの原案者H・R・ギーガーの直筆を思わせる寄生の過程を描いたスケッチ。そこで対面するデヴィッドとウォルターという、2人のマイケル・ファスベンダーの異様。『エイリアン:コヴェナント』を覆う死臭は実弟トニーの自殺後、リドリーが発表した『悪の法則』を彷彿とさせるものがあり、ファスベンダーという符合がリドリーの抱える諦念、死生観を体現しているようにも思えた。『オデッセイ』で人生を賛歌したように見えたリドリーだったが、どこかに人知れぬ鬱を抱え込んでいるのかも知れない。

一方で『エイリアン:コヴェナント』は創造者と創造物による支配と抵抗の物語にも見える。
冒頭、ウェイランド社長(ガイ・ピアース)によって創造されたデヴィッドは、自身の誕生の理由も計り知れない人間を下等と見なす。デヴィッドはエイリアン創造というプロセスを経て自身を人間、あるいはそれ以上の存在にたらしめようと企む。

リドリーは自身の創造物である“エイリアンシリーズ”を取り戻そうとしているのではないか。
ジェームズ・キャメロンの『エイリアン2』以後、シリーズはグレードを下げ、ついには『エイリアンVSプレデター』によってその邪悪な神秘性は失われてしまった。『プロメテウス』から始まるこの新シリーズにおいてリドリーは長年の謎とされてきたスペースジョッキーの正体、そしてエイリアン誕生の秘密を明らかにし、暗黒の神話性をもたらして不可侵のコンテンツへと再定義しようとしているように見える。

だが一度、産み落とされた創造物は創造者の意志を超える。
ウェイランドに作られたデヴィッドが自由意志を得たように、リドリーが再定義した『エイリアン:コヴェナント』はこれまでのシリーズとは違う、別の暗黒宇宙へと漕ぎ出した(不思議なことにリドリーのもう1つの代表作『ブレードランナー』にも緩やかな弧を描きながらかすっていく)。果たしてこれは僕らが期待していたエイリアンシリーズなのだろうか?

その結論は企画されているさらなる続編に持ち越されるだろう。
 デヴィッドは『エイリアン』第1作目には存在しない。彼もまた自ら生み出した創造物に超越される運命が待ち受けているからだ。


『エイリアン:コヴェナント』17・米
監督 リドリー・スコット
出演 キャサリン・ウォーターストン、マイケル・ファスベンダー、ダニー・マクブライド
 

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