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長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『ラブレス』

2018-06-04 | 映画レビュー(ら)

アンドレイ・ズビャギンツェフ監督作はヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞した『父、帰る』以来の鑑賞だが、本作『ラブレス』を見ると処女作にして既に作風が完成された名匠である事がわかる。静謐だが、どこか不穏さを抱えたカメラ。そして『父、帰る』で地中から掘り起こされた謎の小箱のように、映画の中心に存在するマクガフィン。今回の『ラブレス』では息子の“不在”がそれだ。

ロシア。ある家族が離散の時を迎えようとしていた。父も母も既に他所で新しい家族を作っており、幼い息子に居場所はない。愛されていない事を知った息子が人知れず嗚咽する場面は本作で最も心痛む場面だ。程なくして息子は姿を消す。

家出なのか。それとも何か事件に巻き込まれたのか。大規模な捜索隊が組まれ、探せども息子は見つからない。その間も両親は愛人宅に耽り、自分しか愛せない貧しさを露呈する。とりわけスマホが手放せず、自撮りに余念がない母親には監督の憎しみすら感じる。

 『ラブレス』の怒りの正体が明らかになるのは映画の最後だ。夫婦が横目で見るTVニュースはロシアによるウクライナ侵攻を報じている。この映画はロシア・プーチン政権はもちろんのこと、あらゆる独裁を黙認する我々の無関心さを告発しているのだ。


『ラブレス』17・露
監督 アンドレイ・ズビャギンツェフ
 
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『ラブバトル』

2017-10-22 | 映画レビュー(ら)

終始、面食らいっ放しだ。
ちゃんと見ていたハズだが、いつの間にか男女が殴り合う話になってる。
名もない男と女は毎日会ってはちょっとだけ話をし、あとはひたすら『ファイト・クラブ』の如く殴り合う。
カットが変わると女=サラ・フォレスティエの衣装が変わって、次の日も殴り合っている。だんだんそれがファニーに見えてくる。

男と女は所かまわず殴り合う。室内を転げまわり、外に出れば泥だらけになる。その取っ組み合いはまるでコンテンポラリーダンスのように激しく、美しい。2人は殴り合う毎に愛を確かめ、エクスタシーを貪り、満たし合っていく。

監督のジャック・ドワイヨンはこれを“普遍的な男女の物語”と言う。会話も劇的なシークエンスも削ぎ落され、完璧なコレオグラフィと美しいセリフで構成された映画文法の読後は意外や、ロマンチックコメディを見終えた時の多幸感に近い。私たちはいったいどうしたら愛し合えるのか。男と女の肉体のぶつかり合いはそんな根源的な葛藤でもあるのだ。

 本作のサラ・フォレスティエを映画館で見られた事は今後、フランス映画を観続ける上で重要な瞬間になるかも知れない。アザだらけの身体で融け合う怒れる君は何より美しい。


『ラブバトル』13・仏
監督 ジャック・ドワイヨン
出演 サラ・フォレスティエ、ジェームズ・ティエレ
 
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『LION 25年目のただいま』

2017-05-03 | 映画レビュー(ら)

 5歳の時にインドで迷子になり、やがてオーストラリアへ里子として渡った少年サルーは25年後、何とグーグルアースで故郷を見つけ出し、帰宅を果たす。しかしながら、この感動的な物語からは世界を取り巻く差別と貧富の格差、ひいては多様性とは何かという問いかけが浮かび上がってくる。

オーストラリアの白人夫婦はサルーを養子に迎えた翌年、新たにインドからマントッシュ少年を養子にする。
人懐こいサルーとは違い、うつむき加減なこの少年は全く見慣れない白人文化にパニックを起こす。貧しい国の子を裕福な国の大人が養子とする事は美談であり、子供にとっての幸福と思い込みがちだが、言語も文化も宗教も違う国へ連れて来られた子供のアイデンティティはどうなってしまうのだろう?これは白人文明の特権意識ではないだろうか?ハリウッドではスター達が第3国の子供を養子として迎え入れるロールモデルとなってきた。劇中のオーストラリア人夫妻を演じるのは実生活でも養子を育てるニコール・キッドマンだ。

本作の存在自体がブームへの反証となっているようにも見える。
新鋭ガース・デイヴィス監督はこのいくらでも美談に仕立て上げられる題材に真摯に向き合っており、その誠実さが本作の魅力だ。
ニコール扮するスー夫人が、養子を育てる理由を語るシーンは本作のハイライトである。それは圧倒的な人類愛であり、ニコールは深く情感に満ちた演技でサルー共々、僕たちを引き込む。同時にこれはニコール自身の考え、気持ちであるかのようにも見えるのだ。
キャスト陣では息をするかのように自然なルーニー・マーラ、ついに大人の俳優として代表作を得たデヴ・パテルら全員が素晴らしい演技を見せている。

タイトルの意味は映画の最後で明かされる。その思いがけない由来に言葉の違い、多様性の素晴らしさを再認識させられるはずだ。

『LION 25年目のただいま』16・豪
監督 ガース・デイヴィス
出演 デヴ・パテル、ルーニー・マーラ、ニコール・キッドマン、デヴィッド・ウェンハム
 
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『ラブソングができるまで』

2017-04-30 | 映画レビュー(ら)

 作り手が楽しんで撮っているのが伝わってくる好編だ。冒頭、“80年代に一世を風靡したポップグループ”という設定でPVが流れる。この愉快でちょっと恥ずかしい80’sの徹底際限からしてマーク・ローレンス監督に抜かりはない。しかもキラッキラの衣装で腰を振るのがヒュー・グラントだ。「80年代に大人気だった落ち目のポップスター」という役柄はさながら彼自身のようであり、不惑を過ぎたロマコメの帝王でしかやれないシニカルなセルフパロディである。往年の二枚目俳優がシリアス路線へ転向したのとは違い、彼は二枚目が格好良く老けられない現実を芸風にしているようにも感じられる。

そんな“あの人は今”な主人公ヒューのもとに現れるのがドリュー・バリモアだ。彼女も十二分にエイジレスで…いや、むしろ年々キュートになってないか?ほとんど天使のような存在感で共に新曲作りに取り組んでいく。

 2人が新曲を提供する(ブリトニー・スピアーズみたいな)ポップスター役でヘイリー・ベネット(『ガール・オン・ザ・トレイン』)が映画デビューを飾っているのも今となっては見逃せない。彼女が踊る勘違い仏教ソング(?)のPVも異常に凝っていて、愛がある。ちなみにベネットはこの翌年、ホントにCDデビューもしたらしい。

 クライマックスはもちろんハッピーエンドだが、頑張るのはヒューの方である。恋愛に労力を割けなくなってしまった中年男がどん臭くもひたむきになる姿は単なるハッピーエンド以上に感動的なのだ。やはりヒューは独自のニッチを手に入れた稀有なスターかも知れない。


『ラブソングができるまで』07・米
監督 マーク・ローレンス
出演 ヒュー・グラント、ドリュー・バリモア、ヘイリー・ベネット
 
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『ラン・オールナイト』

2017-04-28 | 映画レビュー(ら)

 気鋭のB級職人ジャウム・コレット=セラ監督が『アンノウン』『フライト・ゲーム』に続いて再びリーアム・ニーソンとタッグを組んだ2015年作。これまでのギミック重視のプロットから一転、任侠の世界に身を費やした父親ニーソンの贖罪を描くハードボイルドとなっており、グッと味わい深く、大人っぽい映画になっている。

かつては凄腕のヒットマンだったが、今は酔いどれているニーソン(やや生真面目が過ぎるが)と親分エド・ハリスとの仁義、そして避けがたい“落とし前”は名優二人のおかげで往年のギャング映画を彷彿とさせる渋味がある。ここに長年、ニーソンを追う刑事役に貫禄タップリなヴィンセント・ドノフリオ、息子役にジョエル・キナマンといい役者が揃った。

ところが、これだけの材料を揃えながら良くも悪くも重くならないのはこの監督の個性か。
 NY中を駆け回るカメラワークは“警察、ギャングの双方から一晩逃げ切れ”というゲーム的プロットにセラが寄りかかっている事を表しており、本作に何とも不釣り合いな軽さをもたらしている。セラでなければ大傑作に化けたのでは…という惜しい気持ちが残る1本。


『ラン・オールナイト』15・米
監督 ジャウム・コレット=セラ
出演 リーアム・ニーソン、ジョエル・キナマン、ヴィンセント・ドノフリオ、エド・ハリス
 
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