リッスン・トゥ・ハー

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Jean-Claude Marin : "J'ai une conviction"

2010-01-31 | リッスン・トゥ・ハー
我が輩は漫画である。名前はまだない。ジャパニーズ文化である。主人はフランス娘ナタリー、ちょっとお転婆だがそこが憎めないナタリー。彼女はたまたまこの家に転がり込んだ我が輩を見て、パパ、漫画があるわよ、なんて言って拾い上げぱらぱらめくってあはは。棚にしまわれた、それ以来ここに住んでいる。しかしナタリー、我が輩を見下した目をむける。漫画なんて幼稚なものあたし読まないわ、と考えているのか。それでも時々、物欲しそうな目でこちらを見ている視線を感じるからほんとうは開いて世んでゲラゲラ笑いたいにちがいない。そんな下品なことしてはいけません、とかなんとかママが言うからそうしないだけで、隙あらばきっと我が輩を貪り読むはずだ。我が輩もこう見えて長く生きてきた訳であるから、それぐらいわかる。経験でわかる。ある日ナタリーが出かけると言っておめかしをし、大変な手の入れようで、3時間ぐらいかかっていただろうか、様々なものを塗りたくり、しかしさすがにフランス娘、大変自然に可愛らしく仕上げて、ママに卵サンドとツナサンドのお弁当を受け取り、そっと我が輩をバッグに入れて家を出た。我が輩この家を出るのが久しぶりで、また突然のことで驚いたのだが、それはそれとして外出を心から楽しまなくては損だと感じ、見えるもの聞こえるものすべてを覚えていようと五感を研ぎ澄ませた。ナタリーはてくてく歩いて市バスに乗りてくてく歩き地下鉄を乗り継いでてくてく歩き船に乗りたどり着いた頃には辺りは暗くなっていて、たくさんの人の声がして、ナタリーは、やあ、なんて軽く声をかけながら雑談を初めて、時々グラスの合わせる音がするし、これはきっとパーティなのだと我が輩は思った。宴もたけなわ、と誰かが言ったとき、ナタリーは我が輩をバッグから取り出し、漫画を手に入れました誰か欲しい人いませんか、と尋ねた。我が輩なんのためにあの家でじっとしていたのだろうか、ここで誰かにもらわれるためだったのだろうか。我が輩はなんともいえぬ想いのままナタリーの手のひらに身を委ねながら、この気持ち、我が輩ナタリーが好きなのかしら、と気づいたとき、ひとりの青年が手を挙げ、ぼくは漫画ファンなのさぜひぼくにくれないか、と叫んだ。ナタリーはにやりと笑い、その笑顔は大変素敵で、青年に近づき我が輩を渡した。青年は、わお、なんて大げさに喜び、ナタリーに礼を言った。お礼に、このあと一杯おごるよ。ありがとう。我が輩このとき気づいたナタリーこの青年に惚れておるなと。よかろう、我が輩ナタリーのシアワセのために身を投げようではないか。我が輩は青年のバッグの中でそう思った。


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