潮風に乗って-北から南から

船や港に関係する地名を訪ねて、その土地の情報を発信します。

エジプト 女王のミイラと確認

2007年06月27日 | 名所旧跡

2007/06/27(水) NHK
エジプト 女王のミイラと確認
 今日のNHKニュースで「ハトシェプスト女王のミイラ」について放映していました。収録・編集しましたので掲載します。(一部分のみ)
 http://nawata01.eco.coocan.jp/07TV_movies/NHK/NHK_egypt_20070627.wmv

 エジプト文化省は27日、記者会見を開き、カイロにあるエジプト考古学博物館に収蔵されていたミイラのDNAや歯型の検査をした結果、およそ3500年前にエジプトを統治したハトシェプスト女王と断定したと発表しました。

 ハトシェプスト女王は紀元前1500年ごろ、古代エジプトの第18王朝で付けひげを付けるなど男装したうえで、王を意味する「ファラオ」を名のり、平和外交で国を繁栄させたと伝えられています。初めての女性ファラオとして人気の高いハトシェプスト女王のミイラはこれまで見つかっておらず、エジプト文化省は「古代エジプトの謎をひもとくツタンカーメン王以来の偉大な発見だ」と述べています。
 
 ハトシェプスト女王は、その晩年が謎に満ち、暗殺されたという説もありますが、今回の調査の結果、糖尿病やがんを患っていたことがわかり、エジプト文化省は女王は病死したとみられることを明らかにしました。女王と確認されたミイラは、ツタンカーメン王の墓の発掘で知られるイギリスの考古学者ハワード・カーター氏らが1900年ごろ、エジプト南部のルクソールにある王家の谷で発掘し、ミイラが誰かわからないまま博物館に収蔵されていました。

 今回の発見について、エジプト考古学研究の第一人者で早稲田大学の吉村作治客員教授は「ミイラそのものはおよそ100年前に見つかっていたが、ハトシェプスト女王とは断定できずにいた。今回、エジプト考古学庁が発表したということは、確固たる根拠があるのだと思う」と述べました。
 そのうえで、吉村客員教授は「ハトシェプスト女王は、戦争が絶えなかった古代エジプトにおいて戦いを避け、繁栄を築いた偉大な王だが、その最期は謎に包まれていて、暗殺された可能性もあると考えられていた。その女王がミイラにされ手厚く葬られていたとすると、古代エジプト史が覆るほどのことだ」と、今回の発見の歴史的な意義を強調しました。