パレスチナ、イスラエル、ソ連、ウクライナ戦争のやりきれない気分になるニュースが流れる。
誰も幸せにしないと思われる戦争がなぜ永遠と続くのか。
ふとベートーヴェンの第9の演奏がされたので有名な坂東俘虜収容所のことを知りたくなった。
大谷焼祭りの後坂東俘虜収容所跡公園へ。
水場跡。
パン焼きガマ跡。
淡いピンク色の野生のツツジが満開。
収容所で亡くなった兵士の慰霊碑にはたくさんの花が置かれている。
生花がスポンジに挿されたり水に生けられている。
なにか催しがあったようだ。
すぐ前には池。
この池でドイツ兵たちはボートで遊んだらしい。
休息所施設の鉄さびが魅力的。
ドイツ兵たちが作った石橋と同じものが園内に作られていた。
ドイツ館。
ドイツ館2階展示室そばの中庭。
坂東俘虜収容所は第一次世界大戦で負けたドイツ兵捕虜が収容されていた。
所長の松江豊寿は戊辰戦争で敗れた会津出身で負けた側の悲哀がわかる。
捕虜たちに可能な限りの自由を認めた対応をした。
収容所内ではパンが焼かれ、野菜が作られ新聞まで発行されいろんな文化活動や地域住民との交流も行われた。
1917年から1920年の間だ。
その後第2次世界大戦の引揚者の住まいいなっているとき夫が捕虜になっている女性が収容所で亡くなったドイツ兵の慰霊碑を見つけ掃除をし続けているのが新聞記事になったのがドイツに伝わたことにより捕虜たちとの交流が始まる。
今でも元捕虜だった人の子孫の人たちが訪れている。
所長である松江豊寿の出身地の合津との交流もあるようだ。
特別企画として”坂東の祈りードイツ人捕虜の宗教と心の拠り所”が開かれていたが宗教より自然や人とのつながりが重要だったとの展開だった。
文が多い展示だったのをあまり丁寧に読みすぎ妹のきんかんは次の見学場所の賀川豊彦記念館に行くエネルギーを使い果たし行けず。