
とある、霜月の三連休。
雪のユー地区を後に、南へ旅することにした。
世に言う、LCC(格安航空?)を乗り継いでの旅、
ちょっと膝先が狭苦しいが、プライスとの引き替え、致し方ない。
南の國空港に降り立ち、最初に向かった処は学問の神様が祀られているという
天満宮。
折しも、三連休の始まりと、七五三と、名物の菊花展が重なり、大変な人出。
名物の「梅が枝餅」の焼きたてをいただき、次なる目的地へ。
さらに、南へ。
この由緒ある神社、宮司の家系は天皇家に次いで明らかなのだという。
火(肥)の國の神を護って、由緒ありげな狛犬が睨みを効かしていた。
鳥居の前には、三連水車。
火の國は、また、水の豊かな國のようだ。
その日の宿に落ち着く前に、その宿を世話してくれた動物好きのご近所さん宅に。
犬猫が走り回り、テーブルの上で熟睡しているかと思えば、お下げ髪のポニーまで
飼われていた。
ここ、火の國の名物は「馬刺し」!。
お下げのポニーは、難を逃れてここに飼われて居る?らしい。
ポニーには飼料牧草が、猫たちには、薪ストーブの暖かさが何よりの御馳走だ。
で、その隣が今日のお宿。
ペンションというものに泊まったのは、初めてかも知れない。
普段口にしないごちそうに満腹して、この日も更けた。
翌朝、火の國のクライマックスへと向かうが、標高が上がるにつれて、だんだんと
霧深くなるばかり。
目的の場所に着いても、濃いミルクの中のよう。
こんな風な、景色が眼前に広がるはずだったのだが…。
仕方がないので、そこの売店で買った絵はがきをスキャンして下に貼り付ける。
絵はがきだけでは心許ないので、中学の教科書に載っていた三好達治の詩も…。
艸千里濱
われ嘗て(かつて)この國を旅せしことあり
昧爽(あけがた)のこの山上に われ嘗て立ちしことあり
肥(ひ)の國の大阿蘇(おほあそ)の山
裾野には青艸(青草)しげり
尾上(おのえ)には煙なびかふ 山の姿は
そのかみの日にもかはらず
環(たまき)なす外輪山(そとがきやま)は
今日もかも
思出の藍にかげろふ
うつつなき眺めなるかな
しかはあれ
若き日のわれの希望(のぞみ)と
二十年(はたとせ)の月日と 友と
われをおきていづちゆきけむ
そのかみの思はれ人と
ゆく春のこの曇り日や
われひとり齢かたむき
はるばると旅をまた来つ
杖により四方をし眺む
肥の國の大阿蘇の山
駒あそぶ高原(たかはら)の牧(まき)
名もかなし艸千里濱
新鮮な南の國の野菜や果実が並ぶ、農家の母さんの店。
「まんま」は、ママ、マンマミーヤとか、ごはんの「まんま」とかの意味らしい。
お隣の県におられた、「そのまんま」さんとは違う模様。
この時期に自家野菜や花の苗まで売っているって…。
思わず、一袋百円のゆずを買ってしまった。
火の國名物数あれど…、ここを外しては語れない?
有名な、烏のように黒い二つ天守は残念ながら復元になる。
コンクリートの階段を上って、天守からの眺め二景、色づいた大銀杏が見事だ。
そして、眼下に見える天守様の三重構造の建物こそ、古(いにしえ)の姿を今に留める
重文、宇土櫓(やぐら)。
中を見るなら、断然こちらだ。
渋滞の後にたどり着いた南の國のスティションは、イルミネィションに輝いていた。
つかの間の三日、南の國を後にする。
そして、航空機の窓から見えたのは、火の國の山並みだった。
阿蘇五岳が正式な名称らしいが、観音様が横たわったように見えることから、
寝観音とも阿蘇の寝仏とも呼ばれる姿が、そこに浮かび上がっていた。
乗り継ぎの空港も、既に聖クリスマスの粧い。
昨日の天気が嘘のように晴れ上がって、格安航空の機体に映えていた。
ユー地区に戻った翌朝、この冬シーズンはじめの除雪機械が
前の道路に入ったのだった。
で、戻って大荒れの北海道ですけど 大丈夫ですか?
やっぱこうして見ると 日本は南北に長いってのが実感ですネ
気候もそうですが 文化もかなりバラエティありますもんネ
で、泊られた宿は 私のイメージするペンションというよりは プチホテルって感じで
とっても素敵じゃないですか~
三つ編みポニーに 暖炉の前の犬ネコ達。。。 なにか南の国っていうのを忘れちゃう感じですネ
計画でした。
阿蘇のお山は、帰りの航空機からしか見られなかったけれど、長年の
思い入れのあった「草千里ヶ浜」に立てたことは、収穫。
詩人のように、年経て再訪してみたいと思います。
ペンションとプチホテルの違いがよく解らないnaomintですが、なかなか良いお宿でした。
今回もちょっとばたばたして、なかなかのんびりした旅はできません。