なんくるのひとりごと

日々の想いを言葉にしてみたい

悲喜こもごも

2007-03-14 16:33:13 | 日記
久しぶりの太陽をまっすぐ見た。
キラキラと周りの木々を鮮明に映し出して、気持の良い朝だった。

電話がなった。
職員の子どもが高校の合格を待っていた。

ゆかりさんが「恵子さんの子ども合格だそうです」と嬉しい一方が届いた。
それは良かった。と安堵。

しばらくして、友人からのメールが届いた。
やっぱり娘の合格の知らせだった。
親というもの、高校合格の知らせがあるまで安堵できない。
16才少年少女にとって、初めての試練ともいう。

「当たり前に通る」と辛口に「合格しなければ働けばいいサー」と言ってのけられる親が少なくなった。
誰もが高校へは行く時代。「言ってほしいと」親が願う時代。

「行かせてくださいと、父ちゃんに頭をさげたんだよー」とまだ若いのにゆかりさんがいう。
「えーまさかとそれより若い職員は驚く。
「言って頂戴」と言われた時代の子たちだ。

身近な人で2人不合格の知らせが飛び込む。
「あっ」声をのむ。
親の気持を思う。子どもの気持を思う。16才の試練が現実になった。
「これがいい経験になったよー」いうには、まだ速すぎる試練だ。

現実は厳しい。慰めても合格はしない。時がくるのを待つしかない。
とはいえ、親と子、家族の心境を思う。
合格祝いだと喜ぶ家族がいれば、不合格を慰め合う家族もまたいる。

時が癒してくれるのを待つしかない。
わが子の時を
久々に思う出した。携帯電話が無い時代だった。
遠くから息子が手で丸をつくって知らせてくれたとき思わず涙がこぼれたのを

それよりも、不合格を味わってしまった2組の親子のことを思う。
どう慰めればいいのかことばがまだ見つからない。


うりずんのころ

2007-03-14 16:16:29 | 日記
この時期の雨を木の芽雨というらしい。
木々に降りそそぐ静かな雨。
あの夏のカミナリが響く空をつんざくような雨ではなく。

馬の背を分けるようなカタブイ(夕立)でもなく。
台風のような大洪水でも無い。

シトシトと降り注ぐようなこの時期の雨。
木々の一本一本が嬉しそうで
葉っぱの一枚一枚がひそひそ話をしながらシャワーを浴びているようで
山全体が雨を待ち受けていたような、霧のベールに包まれたようで

風がぶるぶると時折しぶきを散らし
じっくりと土の中に雨が浸透する。
大雨ではないので、濁流にはならずせせらぎのようなささやきを残して土の中へと流れゆく。

土の上で、落ち葉のか下で、朽ちた枝の下で
この時を待っていた種子たちが、一斉に「待ってました」とばかりに殻を破り
命を生み出す。

枝の先から小さな葉っぱが無数に芽を出し
あるの日差しを受けて、すくすく伸びる。
その一枚一枚が山全体の命を彷彿とされて、セミ衣のようなあの
透明なえもいわれない雰囲気を私たちに与える。

この時のこの雨を待っていた自然界の植物。
そしてその植物と同じように、このあるの日差しを待っていた動物たち。

うりずんの季節がやってきた。
自然界が「潤う」この時期からをうりずんというのだとか。
ヤンバルの山の息吹を感じたい。この天気、さぁでかけよう。
日曜日、天気でいてよー。