今日の内容は我が家付近です。道志とは異なかと思いますのでお許しください!
朝まだ、静まり返った街に響く、自転車の荷台に積んだ牛乳瓶がカタカタと触れ合うかすかな音。勝手先に置かれたガラスの牛乳瓶が触れ合い、優しく聞こえる来る音で目を覚ます――そんな音を覚えている人も多いのではないでしょうか。
今では、自転車ではなく軽自動車で配達されていますが、木箱からプラ容器に変ったものの、なぜか新鮮さを感じました。
長年お世話になってきた瓶入りの牛乳配達から、「今後はパックに変更する」との通知が届きました。
理由は人件費の高騰や瓶の回収が難しくなったことだそうです。確かに時代の流れと言われればそれまでですが、あの牛乳瓶の音が聞けなくなると思うと、少し寂しさを感じます。
瓶だと新鮮さも感じました。昭和の時代、牛乳瓶はただの容器ではなく、生活の一部でした。
冷えた瓶の表面に朝露がうっすらと付き、紙(今ではプラ)の蓋を開けるとクリーム層が見える――そんな小さな楽しみがあったものです。それが今ではパックへと移り変わる。合理的ではありますが、味気ない気もします。

昭和100年(2025年)ともなると、こうして少しずつ昔ながらの風景や音が消えていくのでしょう。
思えば、電話のダイヤルを回す音:指をかけてゆっくりと回し、離すとカチカチと戻っていく。番号によって回す距離が違い、長い数字は戻る時間も少し長い。
テレビのチャンネルを回す音:カチャリ、カチリと小気味よく手応えのある音。時々、うまく映らないと少し戻してみたり、叩いてみたり。
自転車のベルの音もそうだった。軽く親指で押すと、澄んだ音がひとつ響く。勢いよく鳴らすと少しせわしなく響く。夕方、帰り道で友達とふざけて鳴らしたこともありました。
駄菓子屋のガラスケースを開けるキィッという軋み――私たちの記憶の中にしか残らない音が増えていくように思います。
他にも、「柱時計のゼンマイを巻く音」「障子を開けるときの桟の擦れる音」「マッチを擦る音」
どれも、音だけでなく手触りや風景まで思い出されるのです。
こうして並べてみると、昔の暮らしの中にはたくさんの「音の記憶」があったんだなあとしみじみ感じます。
けれど、思い出すことができる限り、それらは生き続けるはずです。
あの牛乳瓶が触れ合うかすかな音も、昭和を生きた私たちの胸の中で、これからも響き続けることでしょう。
思い出す昭和の音も一つずつ消えて行きます。
みなさんなら、瓶と瓶が触れ合う音とは、どんな音の表現と風景になるのですかね?
*画像の一部はネットより拝借しております。
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縁側でスイカを切るときの包丁が皮を貫く音(トンとまな板に刃が当たり、ゆっくりと押し進めると、最後にプツリと皮が裂けるような音)
畳を箒で掃く音(柔らかい棕櫚(しゅろ)の穂先が、畳の目に沿って滑るように動く音)
金魚売りの音(リアカーで引く、風鈴の小さな鈴の音と金魚え~、金魚え~ の呼び声)
夜鳴きそば(ラーメン屋)の車から聞こえたチャルメラの音(チャラ~ララ、チャラララ~⤴)
石焼き芋もです。
豆腐売りのラッパも(パ~フ~ 。不思議とト~フに聞えます)
紙芝居が来た知らせの太鼓も・・・。
Hiro