goo blog サービス終了のお知らせ 

自宅と道志の日々

タイトルを「自宅と道志の日々」にしました。日記のようにつぶやいています

昭和の音が消えてゆく

2025年04月02日 | なかま道志ベース

今日の内容は我が家付近です。道志とは異なかと思いますのでお許しください!

朝まだ、静まり返った街に響く、自転車の荷台に積んだ牛乳瓶がカタカタと触れ合うかすかな音。勝手先に置かれたガラスの牛乳瓶が触れ合い、優しく聞こえる来る音で目を覚ます――そんな音を覚えている人も多いのではないでしょうか。

今では、自転車ではなく軽自動車で配達されていますが、木箱からプラ容器に変ったものの、なぜか新鮮さを感じました。

長年お世話になってきた瓶入りの牛乳配達から、「今後はパックに変更する」との通知が届きました。

理由は人件費の高騰や瓶の回収が難しくなったことだそうです。確かに時代の流れと言われればそれまでですが、あの牛乳瓶の音が聞けなくなると思うと、少し寂しさを感じます。

瓶だと新鮮さも感じました。昭和の時代、牛乳瓶はただの容器ではなく、生活の一部でした。

冷えた瓶の表面に朝露がうっすらと付き、紙(今ではプラ)の蓋を開けるとクリーム層が見える――そんな小さな楽しみがあったものです。それが今ではパックへと移り変わる。合理的ではありますが、味気ない気もします。

昭和100年(2025年)ともなると、こうして少しずつ昔ながらの風景や音が消えていくのでしょう。

思えば、電話のダイヤルを回す音:指をかけてゆっくりと回し、離すとカチカチと戻っていく。番号によって回す距離が違い、長い数字は戻る時間も少し長い。

テレビのチャンネルを回す音:カチャリ、カチリと小気味よく手応えのある音。時々、うまく映らないと少し戻してみたり、叩いてみたり。

自転車のベルの音もそうだった。軽く親指で押すと、澄んだ音がひとつ響く。勢いよく鳴らすと少しせわしなく響く。夕方、帰り道で友達とふざけて鳴らしたこともありました。

駄菓子屋のガラスケースを開けるキィッという軋み――私たちの記憶の中にしか残らない音が増えていくように思います。

他にも、「柱時計のゼンマイを巻く音」「障子を開けるときの桟の擦れる音」「マッチを擦る音」

どれも、音だけでなく手触りや風景まで思い出されるのです。

こうして並べてみると、昔の暮らしの中にはたくさんの「音の記憶」があったんだなあとしみじみ感じます。

けれど、思い出すことができる限り、それらは生き続けるはずです。

あの牛乳瓶が触れ合うかすかな音も、昭和を生きた私たちの胸の中で、これからも響き続けることでしょう。

思い出す昭和の音も一つずつ消えて行きます。

みなさんなら、瓶と瓶が触れ合う音とは、どんな音の表現と風景になるのですかね?

*画像の一部はネットより拝借しております。

******

縁側でスイカを切るときの包丁が皮を貫く音(トンとまな板に刃が当たり、ゆっくりと押し進めると、最後にプツリと皮が裂けるような音)

畳を箒で掃く音(柔らかい棕櫚(しゅろ)の穂先が、畳の目に沿って滑るように動く音)

金魚売りの音(リアカーで引く、風鈴の小さな鈴の音と金魚え~、金魚え~ の呼び声)

夜鳴きそば(ラーメン屋)の車から聞こえたチャルメラの音(チャラ~ララ、チャラララ~⤴)

石焼き芋もです。

豆腐売りのラッパも(パ~フ~ 。不思議とト~フに聞えます)

紙芝居が来た知らせの太鼓も・・・。

 

Hiro