好投手に最も必要な条件は剛速球でも凄い変化球でも針の穴を通すようなコントロールでもない。「打ちにくい球を投げる」ことだ。
打ちにくい球とは何か。手元で微妙に変化するクセ球やタイミングのとりにくいフォームなどだ。これはテレビで見ていても分からない。実際に打席に立った打者だけが正しく評価できる。
昔、巨人に角という投手がいた。変則的なフォームから繰り出す速球は威力があった。誰もが速球投手だと思っていた。ところがスピードガンで測定すると130km台だった。全然速くなかったが速く見えた。投手にとって重要なのは物理的な速さではなく打者が感じる速さだ。投手の評価を決めるのは打者だ。打者が打ちにくいのが好投手だ。
同様に善人かどうかは本人ではなく他者が決める。本人は善意のつもりでも他人には余計なお節介でしかないかも知れない。滅私奉公に励んでいるつもりでもスタンドプレイにしか見えないかも知れない。良かれと思ってやったことが誤解されることもある。誤解するほうが悪いのではなく誤解されるような行為が悪いのだ。意志さえ正しければそれで良いという考えは速い球さえ投げていれば打たれないと信じる投手と同じ間違いを犯している。相手がどう感じるかということが大切だ。このことを理解しない人は周囲から「独り善がりの人」と評価される。
打ちにくい球とは何か。手元で微妙に変化するクセ球やタイミングのとりにくいフォームなどだ。これはテレビで見ていても分からない。実際に打席に立った打者だけが正しく評価できる。
昔、巨人に角という投手がいた。変則的なフォームから繰り出す速球は威力があった。誰もが速球投手だと思っていた。ところがスピードガンで測定すると130km台だった。全然速くなかったが速く見えた。投手にとって重要なのは物理的な速さではなく打者が感じる速さだ。投手の評価を決めるのは打者だ。打者が打ちにくいのが好投手だ。
同様に善人かどうかは本人ではなく他者が決める。本人は善意のつもりでも他人には余計なお節介でしかないかも知れない。滅私奉公に励んでいるつもりでもスタンドプレイにしか見えないかも知れない。良かれと思ってやったことが誤解されることもある。誤解するほうが悪いのではなく誤解されるような行為が悪いのだ。意志さえ正しければそれで良いという考えは速い球さえ投げていれば打たれないと信じる投手と同じ間違いを犯している。相手がどう感じるかということが大切だ。このことを理解しない人は周囲から「独り善がりの人」と評価される。
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