愚痴を聞かされる側は迷惑だ。共通の知人の悪口であればそれなりに盛り上がることもできるだろうが、家族や健康に関する愚痴はつまらない。しかしどんなつまらない愚痴であろうとも同情するポーズを示さねばならない。
愚痴をこぼす側にとってはカタルシスになるかも知れないが、聞かされるほうは不愉快な気分になるだけだ。群居動物である人類は感情を共有する。こぼす側は不満を撒き散らすことによって楽になるが、こぼされる側は憂さ晴らしの道具として利用されるだけだ。
広辞苑によると愚痴とは「言っても仕方の無いことを言って嘆くこと」と定義されている。この点が相談とは根本的に異なる。相談であれば協力して解決策を考えることができる。ところが愚痴をこぼしている人に対して解決策を提案すれば多分怒られることになる。例えば「息子が逆らって困る」という愚痴に「こう指導すれば良い」などと言えば「親身になってくれない」と非難されてしまう。苦労していることに同情して慰めて欲しいだけだ。
愚痴っぽさは女に多く男には少ない。これは競争的な男と協調的な女という違いの現れだろう。競争的な男は弱みを見せまいとするから愚痴は女々しい行為として軽蔑の対象になる。協調的な女は傷を舐めあうことによって同病相憐れむ同盟関係を築こうとする。不満に対して雄々しく立ち向かうか、犠牲者として耐え忍ぶかは生き方の根本的な違いになる。私は決して女嫌いではないつもりだが、女の愚痴に付き合うことだけは御免蒙りたい。
私は韓国の朴クネ大統領が大嫌いだ。かつて「告げ口外交」と非難したことがあるが、もっと不快な「愚痴政治家」と評価し直したい。問題が起こっても根本的な対策を講じることなく只管同情を集めようとする。まるで白馬に乗った騎士による救助を待ち望むオバさんのように思える。多分あのナッツ姫と同様、子供の頃から蝶よ花よと育てられて、周囲に責任を押し付けるような生き方しか知らないのだろう。首相を誰も引き受けようとしないのは、大統領を守る防波堤として使い捨てにされることが分かっているからだろう。こんな姿勢は政治家として余りにも情けない。韓国の儒教的男尊女卑文化の犠牲者なのかも知れないが同情する気にはなれない。軽蔑するだけだ。政治家であれば「鉄の女」サッチャー元首相のように強い女であるべきだろう。所詮、親の七光の無能な二世政治家なのかも知れない。こんな大統領を選んでしまったことは韓国民にとっては大変な不幸だ。
愚痴をこぼす側にとってはカタルシスになるかも知れないが、聞かされるほうは不愉快な気分になるだけだ。群居動物である人類は感情を共有する。こぼす側は不満を撒き散らすことによって楽になるが、こぼされる側は憂さ晴らしの道具として利用されるだけだ。
広辞苑によると愚痴とは「言っても仕方の無いことを言って嘆くこと」と定義されている。この点が相談とは根本的に異なる。相談であれば協力して解決策を考えることができる。ところが愚痴をこぼしている人に対して解決策を提案すれば多分怒られることになる。例えば「息子が逆らって困る」という愚痴に「こう指導すれば良い」などと言えば「親身になってくれない」と非難されてしまう。苦労していることに同情して慰めて欲しいだけだ。
愚痴っぽさは女に多く男には少ない。これは競争的な男と協調的な女という違いの現れだろう。競争的な男は弱みを見せまいとするから愚痴は女々しい行為として軽蔑の対象になる。協調的な女は傷を舐めあうことによって同病相憐れむ同盟関係を築こうとする。不満に対して雄々しく立ち向かうか、犠牲者として耐え忍ぶかは生き方の根本的な違いになる。私は決して女嫌いではないつもりだが、女の愚痴に付き合うことだけは御免蒙りたい。
私は韓国の朴クネ大統領が大嫌いだ。かつて「告げ口外交」と非難したことがあるが、もっと不快な「愚痴政治家」と評価し直したい。問題が起こっても根本的な対策を講じることなく只管同情を集めようとする。まるで白馬に乗った騎士による救助を待ち望むオバさんのように思える。多分あのナッツ姫と同様、子供の頃から蝶よ花よと育てられて、周囲に責任を押し付けるような生き方しか知らないのだろう。首相を誰も引き受けようとしないのは、大統領を守る防波堤として使い捨てにされることが分かっているからだろう。こんな姿勢は政治家として余りにも情けない。韓国の儒教的男尊女卑文化の犠牲者なのかも知れないが同情する気にはなれない。軽蔑するだけだ。政治家であれば「鉄の女」サッチャー元首相のように強い女であるべきだろう。所詮、親の七光の無能な二世政治家なのかも知れない。こんな大統領を選んでしまったことは韓国民にとっては大変な不幸だ。
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