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俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

軽い球

2013-10-19 09:46:02 | Weblog
 今では余り使われない言葉だが、昔は投手の球を「軽い・重い」と評価したものだ。体が大きくてパワーのある投手の球は「重い球」で打たれても余り飛ばない。逆に小柄や細身の投手の「軽い球」はホームランを打たれ易いと言われていた。漫画「巨人の星」の主人公・星飛雄馬は小柄なために球が軽く、その弱点を克服して「大リーグボール1号」を編み出した。
 物理的に考えればこれは誤っている。投手のパワーがボールに乗り移ることなどあり得ない。同じボールを使う限りその威力は速度の二乗に比例する。国民に科学知識が広まるに連れて「軽い球・重い球」の区別は迷信として排除されたようだ。
 しかしこれこそ生半可な知識に基く似非科学だ。軽い球・重い球の違いは実在する。
 大学時代、私の草野球チームには3人の投手がいた。エースは中学時代に実績を残した男で、2番手は高校ではテニス部、3番手は高校野球でショートを守っていた。この第3の男が軽い球の投手だった。それなりにスピードもコントロールもあったのでド素人相手なら通用したのだが、少し野球経験のある者には滅多打ちを食らった。私はキャッチャーだったので相手チームの声がよく聞こえた。投球練習中は「キレの良さそうな球だな」と感心して見ているのだが打席を終えるや評価は一変した。「何て素直で打ち易い球だ」とか「最高のバッティングピッチャーだ」と散々な評価へと変わった。
 高校でショートを守っていた彼は癖の無い球を投げるように仕付けられていた。これは一塁手にとっては捕り易い良い球なのだがバッターにとっては芯に当て易い棒球になる。
 一方、2番手の男はテニス出身なので癖球だった。手元でも微妙に変化した。だからバットの芯を外れることが多く凡打になり易い。彼は所謂「重い球」を投げていた。
 つまり重い球の正体は、球筋が汚く手元で変化する球か緩急の変化があってタイミングが狂い易い球のことであり、軽い球とはバットの芯で捕え易い素直な球のことだ。実際には違いがあっても、生半可な知識に基いて世界を色眼鏡を通してしか見なければ、却って事実が見えなくなってしまう。

させない権利(2)

2013-10-19 09:08:28 | Weblog
 JR東日本ではエスカレータ上を歩かないよう勧めているそうだ。私は「歩く権利」も「歩かない権利」も認めるが「歩かせない権利」があるとは思えない。エスカレータはほぼ歩くのと同じ早さなのでその上を歩けば所要時間は半減して走るのと同じくらいの早さになる。急いでいる人のために片側を空けることは、急ぐ人と急がない人の共存に繋がる良きマナーだと思うのだが、既に定着している習慣をわざわざ改める必要などあるのだろうか。
 よく根拠として使われるのは転倒の恐れがあるということだが、エスカレータ上を歩けば歩数が階段の半分で済む。従って転倒の可能性は階段の半分になるし、走ることと比べれば危険性は1/10以下だろう。
 データによってかなりバラ付きがあるが、日本では階段での事故によって毎年1,000人ほどの人が亡くなっているらしい。エスカレータの年間事故総数が僅か1,200件程度で死亡事故など殆んど皆無であることと比べて階段は非常に危険な場所と言えるだろう。ごく稀にしか起こらない事故を根拠にして、急ぐ人に危険で不便な階段使用を強いることは本末転倒であり、肥大した権利意識に迎合した事勿れ主義者による個人の自由に対する侵害だろう。
 異論はあるだろうが、嫌煙権運動にも同種のものを感じる。煙草の有害性は車の排気ガスや中国のPM2.5よりも遥かに微弱だ。喫煙するかどうかは個人の自由であり、それをマナーやモラルとして抑え付け、果ては副流煙のほうが喫煙よりも有害だなどと誰が考えても嘘だと分かる非科学的なこじつけまでも動員する姿勢には憤りさえ覚える。正しいと信じることを正当化するためなら嘘も厭わないのは邪教の布教活動と全く同じ手口だ。