俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ハツクニシラス天皇(スメラミコト)

2010-12-14 16:16:12 | Weblog
 日本書紀には2人のハツクニシラス天皇(スメラミコト)が登場する。神武天皇と崇神天皇だ。「初めて国を治めた天皇」が2人いるのはおかしいとして神武天皇の存在を否定する学者が多いが、どうだろうか。
 ハツクニシラス天皇に相当する王が中国にもいる。秦の始皇帝だ。彼は初めて中国を統一した王として初代皇帝「始皇帝」を名乗った。彼が初代皇帝を名乗ったからと言ってそれ以前の殷や周や戦国時代の王が存在しなかったということにはならない。
 同じように大和地区の地方豪族に過ぎなかった権力者が領土を大幅に拡大して大権力者となったら中興の祖としてハツクニシラス天皇と名付けられても不思議ではない。実際、崇神天皇は四道将軍を派遣して大和政権を磐石なものにした大功労者だ。
 戦前の皇国史観は馬鹿馬鹿しい。しかしそれに懲りて記・紀を軽視するのは羹に懲りて膾を吹くのに等しい愚行だ。先日発見された越塚御門古墳にも見られるように記・紀はしばしば史実を伝えている。記・紀と比べれば魏志倭人伝などは少なからず伝聞に頼った怪しげな史料でしかない。
 記・紀の古代編の年代や年齢は明らかに誤っているし史実とは異なる記載もあろう。しかしそれ以外の記述内容はかなり信憑性が高いのではないだろうか。神武天皇の東征軍が弱くて連戦連敗だったことや騙まし討ちや醜い権力争いが記されているのはそれらが史実に基づくからとしか考えられない。折角立派な歴史書が残されているのにそれを積極的に活用しないのは宝の持ち腐れであり勿体無いことだ。

医療ツーリズム

2010-12-14 15:58:58 | Weblog
 先に結論を言っておこう。どんどん推進すべきだ。
 医療ツーリズムに反対する人は大体次の2つを挙げる。①医師不足の中で貴重な「医療資源」を外国人のために浪費すべきでない。②新しい危険な感染症が広がる恐れがある。
 この2つについて検討してみよう。
 ①医師不足
 医師は不足していない。昼間の医師は余っている。足りないのは「夜の医師」だけだ。夜勤が労働基準法に背くほどにきついから救急病院の勤務医が減って、昼間だけ診療をする開業医とか緊急性が少なくてしかも儲けの多い自由診療の多い美容外科医が増えている。
 なぜ夜勤がきついのか。緊急性の無い患者が待ち時間が短いという理由でコンビニ感覚で受診するからだ。こんな我儘な患者のせいで医師の睡眠時間と寿命が削られている。
 ②感染症
 医療ツーリズムの対象は遺伝病や重篤化した慢性疾患の患者であって感染症のような急性疾患の患者ではない。仮に感染症の患者が来るとしてもエイズのような遅発性の患者であり感染力は弱い。エボラ出血熱やサーズの患者を受け入れる訳ではない。
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 医療ツーリズムは医療技術による世界への貢献だ。最先端医療による人類救済だ。命を救える技術を日本人が独占するのは勿体無い。人類に貢献して外貨を稼げるのだから素晴らしいことだ。
 また最先端医療技術を実際に使うことによってサンプル数が増えることも大きなメリットだ。外国人患者をモルモット扱いにして良い訳ではないが、治療する経験を通じて新しい発見もあるだろう。これによって医療技術は更に向上する。

現実と現状

2010-12-14 15:43:22 | Weblog
 現実も現状も現時点での事実だ。しかしこの2つは大きく異なる。現実は変えられない事実であり現状は変えられる事実だ。
 「現状維持」という言葉がある。現状とは維持することも打開することもできるからこんな概念が存在し得る。しかし「現実維持」という言葉はあり得ない。現実とは変えられない事実でありそのまま肯定するか無視するしか無い。
 私は現実主義者だと自負している。逆説的な言い方だが、理想は現実的でなければならないとさえ考えている。しかし現状の是認者ではない。現状は改めることができるからだ。
 多くの人は現実と現状を混同している。例えば人は金を欲しがる。現在の社会体制においては金は必需品だ。金が必要であるということは「現実」だ。しかし拝金主義は「現実」ではない。拝金主義のような歪んだ考え方は改めることができる。従って拝金主義は「現状」でしかない。
 人には欲がある。欲を持つことは自然なことであり欲を否定する類のストイシズムは誤りだ。しかし欲の肥大した強欲は不自然なものであり否定されるべき「現状」だ。
 思考は事実に基づかねばならない。事実に基づかない思考は砂上の楼閣でしか無い。しかしその「事実」が現実なのか現状なのかを峻別する必要がある。原状を是認する思考は低レベルな独断に過ぎず、現実に基づく思考は普遍的な知恵となり得る。
 現状は大いに批判されるべきだ。文化であれ社会体制であれそれは改善することができる。しかし現実を否定することはできない。現実は無条件に肯定せざるを得ない。人が死ぬこと、人が老化することは現実だ。現実を受け入れない思考は無意味なオカルトでしか無い。