異能の政治家・田中康夫
田中康夫は、異能の政治家だ。
博覧強記にして、物事の本質を鋭く掴み、しかも表現能力が抜群だ。
じつは、彼が長野県知事選挙に挑戦した頃までは、偏見もあり人物的には余り好感を持っていなかった。だから、家内の実家がこぞって田中康夫候補を応援すると聞いて、普段はあれほど保守的な義父もマスコミに踊らされているのか、また、それほどまでに官選知事のもたらした弊害は深いのかと感じたものだった。
それにしても、昨日の田中康夫参議院議員の代表質問は圧巻だった。
麻生総理はじめ閣僚に対する痛烈な皮肉をこめた抜群のレトリックに加え、自民党政治の弱点を徹底的に突きまくった。しかも、知事時代の経験に裏打ちされた批判は、批判のための批判ではなく、なぜ自民党システムでは税金のムダ遣いがなくならず、国民の生活がよくならないのかを誰にもわかるように明らかにして見せた。
ところで、この名演説をほとんど報じない新聞とはいったい何なのか?
国民に伝えるべき事実も伝えないのは、恐ろしいまでの怠慢か感覚が完全に麻痺しているのであろうか・・・。
何はともあれ、以下、ハイライトをぜひお読みいただきたい。
(実際の映像は、新党日本のホームページからご覧になれます。)
(引用はじめ)
敬愛する小沢一郎さんが代表を務める民主党と、参議院で統一会派を組ませて頂いております、私は、新党日本代表の田中康夫です。
(中略)
今日日、絶賛を博すTVドラマとて1クール13回。視聴者からソッポを向かれれば途中で打ち切りも辞さぬ即断即決の御時世に、都合17回にも亘って延々と水増し挙行された、季節外れの9月・長月“ええじゃないか”盆踊り全国顔見せ興行の場で麻生太郎さん、貴男は繰り返し、宣いました。「日本の最大の問題は不景気だ」、と。
而して、今週月曜日には所信表明演説で、声高らかに宣言されました。「日本経済は全治3年。3年で日本は脱皮出来る。せねばならぬ」と。
その言や善し。が、一向に不景気から日本が抜け出せぬ「最大の理由」こそは、自由民主党が死守し続ける過去の成功体験、もとい既得権益に寄り掛かる政治家・官僚・業界、所謂「政官業」利権分配ピラミッドの存在に帰因するのではありませんか? 而して、麻生太郎さん、貴男は、その慨嘆すべき惨状に対し、余りに無自覚なのではありますまいか?
(中略)
私は2000年10月、信州・長野県の知事に就任しました。戦後の公選知事は、私以前に僅か3人。前任2人の公務員出身者が41年6ヶ月、議員と職員と知事の“仲良しピラミッド”を続ける中で、財政状況は47都道府県でお尻から数えて2番目の状態に陥っていました。借入金に掛かる利息の支払いだけでも、1日当たり1億4800万円に達していたのです。そのまま手を拱いていたなら、3年後にも財政再建団体への転落は不可避。待ったなしの危機的状況でした。
「『脱ダム』宣言」を切っ掛けに不信任決議を議会から突き付けられ、失職を経て出直し知事選に打って出た私は、都合6年間の在任中に、後述する様々な取組を実行し、その結果として、47都道府県で唯一、6年連続で起債残高を減少させ、同じく全国で唯一、7年度連続で基礎的財政収支=プライマリーバランスの黒字化を達成しました。
無論、その成果は、住民や職員の深い理解と篤い協力が有ったればこそです。その間、 “現場主義・直接対話”の精神で職員や住民に、「発想を変え・選択を変え・仕組を変えよう」と訴え続けました。
ヤマト運輸株式会社“中興の祖”として知られる小倉昌男さんを委員長に起用し、天下りと補助金の伏魔殿と化していた全ての外郭団体をゼロベースで見直したのも、その一環です。委託料・補助金・負担金と職員派遣の全面的見直しに留まらず、団体の廃止・統合・縮小を敢行し、見直し比率は既存54団体の96%にも及びました。それは、今は亡き小倉昌男さんが最後に手掛けた公的仕事です。
翻って国政に於いて、スケープゴート的に「私のしごと館」のみを見直しても、それはガス抜きにすら、なりますまい。
省庁を退官した翌日から移籍可能な、独立行政法人なる組織の大半は、“天下りマネーロンダリング機関”と化しています。2年間、恙無き人生を過ごせば、建設会社や製薬会社等の役員に転出するのはノー・プロブレーム、何らお咎め無しなのですから。
入札改革も、同様です。公共事業に留まらず、全ての分野の事業で不透明な随意契約、更には弱肉強食・優勝劣敗を齎す指名競争入札を廃止し、公明正大・切磋琢磨の一般競争入札を全面的に導入しました。限りなく100%に近い談合状態だった落札率は、47都道府県で最も低い、8掛け前後へと落ち着きました。
(中略)
複数名の知事が談合で逮捕されたのを受けて全国知事会は、1000万円以上に限っては一般競争入札制度を導入せよ、と2年前に取り決めました。が、現段階でも導入は半数にも満たぬ22道府県に留まり、仮に1800万円の事業を2分割発注すれば依然として不透明な随意契約も可能なのです。
(中略)
而して、「安心実現」なる四文字言葉とは裏腹に、今回の補正予算提出に先駆けて貴男は、公債追加発行額3950億円、財政投融資計画の追加額1778億円を閣議決定されました。「国・地方の基礎的財政収支=プライマリーバランスを黒字にする。2011年度までに成し遂げる」と所信表明の原稿を自ら音読しつつ認(したた)めた、その舌の根の乾かぬ内に。
成る程、貴男の先先先代に列して居られたライオンヘアの宰相も、その勇ましい大言壮語とは裏腹に、在任中に250兆円も日本の借金を増大、即ち日本の財政を悪化させました。“隠れ埋蔵金”ならぬ“隠れ負債額”も加えれば1000兆円に達する日本の借金の、4分の1を僅か5年半で達成するとは、いやはや。「構造改革」という名の羊頭狗肉、ここに極まれり。今年1月31日の予算委員会で、“なぁんちゃって小泉・竹中へなちょこ改革”と私が命名した所以です。
若しや、麻生太郎さん、その“三百代言”内閣で総務大臣として、欺瞞に満ちた「三位一体の改革」とやらを全国の地域に強要した経験を活かして、嘯く心算(つもり)ではありますまいか。「この借金よ、届けと念じます。ともすれば、元気を失いがちなお年寄り、若者、いや全国民の皆さん方のもとに」と。成る程、1000兆円に達する天文学的数値の借金返済は早晩、真っ当に働き・学び・暮らしながらも、将来の人生設計は疎か、今、この瞬間の生活環境にすら、夢も希望も抱けぬ全国津々浦々の方々の、更には、これから生まれ来る子供達の双肩にのし掛かってくるのです。
「日本と日本人の底力に、一点の疑問も抱いたことがありません」と仰る麻生太郎さん。この私は、「貴男と自由民主党の馬鹿力に、一点の期待も抱きかねるのです」。
その上で、「財源を明示して頂きます」。貴男が、所信表明演説(失礼、読み間違えました。所信「挑発」演説)で宣(のたまわ)った詰問を、心ならずも私も、行わねばなりません。何となれば今回、財務大臣に貴男が任命し、29日の本会議で貴男に引き続いて、補正予算案を説明する財政演説を行った中川昭一さんは、「日本経済復活のための13の政策」と題して月刊誌に、長尺の論文を発表されているからです。
而も、その本文中に示された見出しは、「国民を犠牲にする改革は本末転倒」、「減税や財政支出も躊躇するな」と始まり、「高齢者への対策」、「母子家庭への対策」、「フリーターへの対策」、「正規雇用者への対策」と続きます。正しく片腹痛し。私は今一度、目次頁を眺め直しました。若しや、「財源無視宣言」と副題を冠してはいまいか、と。
同様の懸念を抱いたマスメディアの表現者も居たらしく、これらの政策提言を実行するには総額21兆円余りの財政出動を要する、との試算を報じています。いやはや、目糞鼻屎は一体、何方(どちら)でありましょう? 改めて、「財源を明示して頂きます」。中川昭一さん、明確な答弁を頂戴致したく存じます。
が、山国に於ける私の経験に照らせば、「財源論」こそは不毛な議論に他なりません。求めるべきは、財源を示す・示さぬの二元論を超えた発想と実践。景気回復と財政再建は、何れを優先するかの二律背反的二元論ではないのです。
但し、その為には、義務費若しくは経常費と呼ばれる、人件費を含む全ての事業の全ての予算を、その起案作成段階からゼロベースで見直さぬ限り、「『改革のための改革』を止めよ」と緊急提言された中川昭一さんが主張される「国民生活を守り、しっかりとした経済成長を実現する」など到底不可能です。
何故、こんな事業が存在するのか。何故、こんな補助金が温存されているのか。知事就任当初の私は毎日が、恰も子供・少年探偵団の気分でした。何故何故どうして、とガラス張り知事室でも視察先の現場でも、尋ねっ放しでした。が、その大半は、あろう事か、財政担当者や事業担当者に質問しても、要領を得ないのです。暫し時間が経過して、私には見えてきました。それは、県会議員であったり、商工団体であったり、農業団体であったり。長年に亘って既得権益として確保され続け、毎年の予算編成時にも、再検討の遡上にも上がらずに温存されてきた予算と事業なのだ、と。
「変化を乗り切って大きく脱皮する日本人の力を、どこまでも信じて疑わない」と仰る麻生太郎さん。その日本のモノ作り産業が、数多の困難を乗り切って大きく成長し続けてきたのは、「脱シーリング」の発想に基づく選択と仕組を実践し続けたればこそです。
予算編成時に政治・行政の世界で飛び交う「シーリング」なる符丁。言わずもがなの解説を加えれば、シーリングとは天井を意味します。歩道の整備であれ、訪問介護の充実であれ、1箇所100万円の事業を10箇所で実施する。総事業費は1000万円です。けれども現下の厳しい財政状況下、一律2割カットの予算シーリングが課せられると、個別事業費の単価はそのまま、実施箇所のみ2箇所削減。これが官公庁の発想なのです。
モノ作り産業に代表される民間企業の場合は、異なります。個別事業費の単価を減らして、実施箇所は維持する。即ち1箇所80万円×10箇所=総事業費800万円で実施するのです。無論、安かろう・悪かろうでは消費者からしっぺ返しを食らいます。量のみならず質も維持するべく、智恵と努力をチームワークで結集せねばなりません。
傍聴席の方のみならず、テレビやラジオ、パソコンの前の皆さんも、疑問に思われるでしょう。当たり前の事が何故、政治や行政では出来ないのだろう、と。
理由は至極、単純です。中央・地方を問わず、官公庁とは随意契約の世界なのです。
(中略)
環境行政を所管する斉藤鉄夫さんにお尋ねします。9月11日、蒲島郁夫熊本県知事は、国土交通省が計画する川辺川ダムの建設に反対すると表明しました。
2001年2月20日、9つの県営ダム計画を中止すべく「『脱ダム』宣言」を発し、爾来、徒手空拳の闘いを続けてきた私にとっても、感慨深い1日でした。何となれば、彼は政府与党の全面的支援の下に当選した知事だからです。「『脱ダム』宣言」から7年半、時代は着実に変化を遂げています。
「脱ダム」とは、環境問題に留まりません。御存知かどうか、国が実施主体の直轄事業とて、地元自治体の財政負担は3割近いのです。加えて、ダムに象徴される巨大公共事業は、総事業費の8割前後が東京や大阪に本社を構えるスーパーゼネコンに支払われます。詰まり、地元は1割も持ち出し。巨大公共事業の絡繰りとは実は、“租庸調”の時代の如き、上納・献上システムなのです。ダム建設とは今や、「地方経済」を回復させるどころか逆に疲弊・破綻へと追い込む、河川に染み込む毒薬メタミドホスです。
(後略)
博覧強記にして、物事の本質を鋭く掴み、しかも表現能力が抜群だ。
じつは、彼が長野県知事選挙に挑戦した頃までは、偏見もあり人物的には余り好感を持っていなかった。だから、家内の実家がこぞって田中康夫候補を応援すると聞いて、普段はあれほど保守的な義父もマスコミに踊らされているのか、また、それほどまでに官選知事のもたらした弊害は深いのかと感じたものだった。
それにしても、昨日の田中康夫参議院議員の代表質問は圧巻だった。
麻生総理はじめ閣僚に対する痛烈な皮肉をこめた抜群のレトリックに加え、自民党政治の弱点を徹底的に突きまくった。しかも、知事時代の経験に裏打ちされた批判は、批判のための批判ではなく、なぜ自民党システムでは税金のムダ遣いがなくならず、国民の生活がよくならないのかを誰にもわかるように明らかにして見せた。
ところで、この名演説をほとんど報じない新聞とはいったい何なのか?
国民に伝えるべき事実も伝えないのは、恐ろしいまでの怠慢か感覚が完全に麻痺しているのであろうか・・・。
何はともあれ、以下、ハイライトをぜひお読みいただきたい。
(実際の映像は、新党日本のホームページからご覧になれます。)
(引用はじめ)
敬愛する小沢一郎さんが代表を務める民主党と、参議院で統一会派を組ませて頂いております、私は、新党日本代表の田中康夫です。
(中略)
今日日、絶賛を博すTVドラマとて1クール13回。視聴者からソッポを向かれれば途中で打ち切りも辞さぬ即断即決の御時世に、都合17回にも亘って延々と水増し挙行された、季節外れの9月・長月“ええじゃないか”盆踊り全国顔見せ興行の場で麻生太郎さん、貴男は繰り返し、宣いました。「日本の最大の問題は不景気だ」、と。
而して、今週月曜日には所信表明演説で、声高らかに宣言されました。「日本経済は全治3年。3年で日本は脱皮出来る。せねばならぬ」と。
その言や善し。が、一向に不景気から日本が抜け出せぬ「最大の理由」こそは、自由民主党が死守し続ける過去の成功体験、もとい既得権益に寄り掛かる政治家・官僚・業界、所謂「政官業」利権分配ピラミッドの存在に帰因するのではありませんか? 而して、麻生太郎さん、貴男は、その慨嘆すべき惨状に対し、余りに無自覚なのではありますまいか?
(中略)
私は2000年10月、信州・長野県の知事に就任しました。戦後の公選知事は、私以前に僅か3人。前任2人の公務員出身者が41年6ヶ月、議員と職員と知事の“仲良しピラミッド”を続ける中で、財政状況は47都道府県でお尻から数えて2番目の状態に陥っていました。借入金に掛かる利息の支払いだけでも、1日当たり1億4800万円に達していたのです。そのまま手を拱いていたなら、3年後にも財政再建団体への転落は不可避。待ったなしの危機的状況でした。
「『脱ダム』宣言」を切っ掛けに不信任決議を議会から突き付けられ、失職を経て出直し知事選に打って出た私は、都合6年間の在任中に、後述する様々な取組を実行し、その結果として、47都道府県で唯一、6年連続で起債残高を減少させ、同じく全国で唯一、7年度連続で基礎的財政収支=プライマリーバランスの黒字化を達成しました。
無論、その成果は、住民や職員の深い理解と篤い協力が有ったればこそです。その間、 “現場主義・直接対話”の精神で職員や住民に、「発想を変え・選択を変え・仕組を変えよう」と訴え続けました。
ヤマト運輸株式会社“中興の祖”として知られる小倉昌男さんを委員長に起用し、天下りと補助金の伏魔殿と化していた全ての外郭団体をゼロベースで見直したのも、その一環です。委託料・補助金・負担金と職員派遣の全面的見直しに留まらず、団体の廃止・統合・縮小を敢行し、見直し比率は既存54団体の96%にも及びました。それは、今は亡き小倉昌男さんが最後に手掛けた公的仕事です。
翻って国政に於いて、スケープゴート的に「私のしごと館」のみを見直しても、それはガス抜きにすら、なりますまい。
省庁を退官した翌日から移籍可能な、独立行政法人なる組織の大半は、“天下りマネーロンダリング機関”と化しています。2年間、恙無き人生を過ごせば、建設会社や製薬会社等の役員に転出するのはノー・プロブレーム、何らお咎め無しなのですから。
入札改革も、同様です。公共事業に留まらず、全ての分野の事業で不透明な随意契約、更には弱肉強食・優勝劣敗を齎す指名競争入札を廃止し、公明正大・切磋琢磨の一般競争入札を全面的に導入しました。限りなく100%に近い談合状態だった落札率は、47都道府県で最も低い、8掛け前後へと落ち着きました。
(中略)
複数名の知事が談合で逮捕されたのを受けて全国知事会は、1000万円以上に限っては一般競争入札制度を導入せよ、と2年前に取り決めました。が、現段階でも導入は半数にも満たぬ22道府県に留まり、仮に1800万円の事業を2分割発注すれば依然として不透明な随意契約も可能なのです。
(中略)
而して、「安心実現」なる四文字言葉とは裏腹に、今回の補正予算提出に先駆けて貴男は、公債追加発行額3950億円、財政投融資計画の追加額1778億円を閣議決定されました。「国・地方の基礎的財政収支=プライマリーバランスを黒字にする。2011年度までに成し遂げる」と所信表明の原稿を自ら音読しつつ認(したた)めた、その舌の根の乾かぬ内に。
成る程、貴男の先先先代に列して居られたライオンヘアの宰相も、その勇ましい大言壮語とは裏腹に、在任中に250兆円も日本の借金を増大、即ち日本の財政を悪化させました。“隠れ埋蔵金”ならぬ“隠れ負債額”も加えれば1000兆円に達する日本の借金の、4分の1を僅か5年半で達成するとは、いやはや。「構造改革」という名の羊頭狗肉、ここに極まれり。今年1月31日の予算委員会で、“なぁんちゃって小泉・竹中へなちょこ改革”と私が命名した所以です。
若しや、麻生太郎さん、その“三百代言”内閣で総務大臣として、欺瞞に満ちた「三位一体の改革」とやらを全国の地域に強要した経験を活かして、嘯く心算(つもり)ではありますまいか。「この借金よ、届けと念じます。ともすれば、元気を失いがちなお年寄り、若者、いや全国民の皆さん方のもとに」と。成る程、1000兆円に達する天文学的数値の借金返済は早晩、真っ当に働き・学び・暮らしながらも、将来の人生設計は疎か、今、この瞬間の生活環境にすら、夢も希望も抱けぬ全国津々浦々の方々の、更には、これから生まれ来る子供達の双肩にのし掛かってくるのです。
「日本と日本人の底力に、一点の疑問も抱いたことがありません」と仰る麻生太郎さん。この私は、「貴男と自由民主党の馬鹿力に、一点の期待も抱きかねるのです」。
その上で、「財源を明示して頂きます」。貴男が、所信表明演説(失礼、読み間違えました。所信「挑発」演説)で宣(のたまわ)った詰問を、心ならずも私も、行わねばなりません。何となれば今回、財務大臣に貴男が任命し、29日の本会議で貴男に引き続いて、補正予算案を説明する財政演説を行った中川昭一さんは、「日本経済復活のための13の政策」と題して月刊誌に、長尺の論文を発表されているからです。
而も、その本文中に示された見出しは、「国民を犠牲にする改革は本末転倒」、「減税や財政支出も躊躇するな」と始まり、「高齢者への対策」、「母子家庭への対策」、「フリーターへの対策」、「正規雇用者への対策」と続きます。正しく片腹痛し。私は今一度、目次頁を眺め直しました。若しや、「財源無視宣言」と副題を冠してはいまいか、と。
同様の懸念を抱いたマスメディアの表現者も居たらしく、これらの政策提言を実行するには総額21兆円余りの財政出動を要する、との試算を報じています。いやはや、目糞鼻屎は一体、何方(どちら)でありましょう? 改めて、「財源を明示して頂きます」。中川昭一さん、明確な答弁を頂戴致したく存じます。
が、山国に於ける私の経験に照らせば、「財源論」こそは不毛な議論に他なりません。求めるべきは、財源を示す・示さぬの二元論を超えた発想と実践。景気回復と財政再建は、何れを優先するかの二律背反的二元論ではないのです。
但し、その為には、義務費若しくは経常費と呼ばれる、人件費を含む全ての事業の全ての予算を、その起案作成段階からゼロベースで見直さぬ限り、「『改革のための改革』を止めよ」と緊急提言された中川昭一さんが主張される「国民生活を守り、しっかりとした経済成長を実現する」など到底不可能です。
何故、こんな事業が存在するのか。何故、こんな補助金が温存されているのか。知事就任当初の私は毎日が、恰も子供・少年探偵団の気分でした。何故何故どうして、とガラス張り知事室でも視察先の現場でも、尋ねっ放しでした。が、その大半は、あろう事か、財政担当者や事業担当者に質問しても、要領を得ないのです。暫し時間が経過して、私には見えてきました。それは、県会議員であったり、商工団体であったり、農業団体であったり。長年に亘って既得権益として確保され続け、毎年の予算編成時にも、再検討の遡上にも上がらずに温存されてきた予算と事業なのだ、と。
「変化を乗り切って大きく脱皮する日本人の力を、どこまでも信じて疑わない」と仰る麻生太郎さん。その日本のモノ作り産業が、数多の困難を乗り切って大きく成長し続けてきたのは、「脱シーリング」の発想に基づく選択と仕組を実践し続けたればこそです。
予算編成時に政治・行政の世界で飛び交う「シーリング」なる符丁。言わずもがなの解説を加えれば、シーリングとは天井を意味します。歩道の整備であれ、訪問介護の充実であれ、1箇所100万円の事業を10箇所で実施する。総事業費は1000万円です。けれども現下の厳しい財政状況下、一律2割カットの予算シーリングが課せられると、個別事業費の単価はそのまま、実施箇所のみ2箇所削減。これが官公庁の発想なのです。
モノ作り産業に代表される民間企業の場合は、異なります。個別事業費の単価を減らして、実施箇所は維持する。即ち1箇所80万円×10箇所=総事業費800万円で実施するのです。無論、安かろう・悪かろうでは消費者からしっぺ返しを食らいます。量のみならず質も維持するべく、智恵と努力をチームワークで結集せねばなりません。
傍聴席の方のみならず、テレビやラジオ、パソコンの前の皆さんも、疑問に思われるでしょう。当たり前の事が何故、政治や行政では出来ないのだろう、と。
理由は至極、単純です。中央・地方を問わず、官公庁とは随意契約の世界なのです。
(中略)
環境行政を所管する斉藤鉄夫さんにお尋ねします。9月11日、蒲島郁夫熊本県知事は、国土交通省が計画する川辺川ダムの建設に反対すると表明しました。
2001年2月20日、9つの県営ダム計画を中止すべく「『脱ダム』宣言」を発し、爾来、徒手空拳の闘いを続けてきた私にとっても、感慨深い1日でした。何となれば、彼は政府与党の全面的支援の下に当選した知事だからです。「『脱ダム』宣言」から7年半、時代は着実に変化を遂げています。
「脱ダム」とは、環境問題に留まりません。御存知かどうか、国が実施主体の直轄事業とて、地元自治体の財政負担は3割近いのです。加えて、ダムに象徴される巨大公共事業は、総事業費の8割前後が東京や大阪に本社を構えるスーパーゼネコンに支払われます。詰まり、地元は1割も持ち出し。巨大公共事業の絡繰りとは実は、“租庸調”の時代の如き、上納・献上システムなのです。ダム建設とは今や、「地方経済」を回復させるどころか逆に疲弊・破綻へと追い込む、河川に染み込む毒薬メタミドホスです。
(後略)