那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

究極の矛盾&kについて

2016年05月14日 | 宗教

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

決定版は出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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私はしばしば宗教と政治の問題について考えることがある。例えばアメリカ人のほとんどはキリスト教徒の筈であり、福音書には「汝の敵を愛せ」とか「右の頬を打たれたら左の頬を出せ」と書かれているのに、アメリカ政府は戦時国際法を破って日本に都市大空襲や原爆投下など実に惨い行為をしている。イラクへの無差別攻撃などを見てもキリストの教えと全く矛盾した行為をしているのである。アメリカが軍産複合体と言われる所以である。

一方日本でも創価学会の名誉会長の池田大作は(既に死んでいるそうですが)、「この人生 勝って 勝って 勝ちまくれ」という交通標語のような歌を詠んでいるが、日蓮は勝つことを教義にしているだろうか?

よく映画などで蒙古襲来の時は日蓮が懸命に祈祷をして神風をふかせたシーンが現れるがこれは全くの誤りである。日蓮は国家諌暁をして受け入れられなかったために身延山に籠ったわけだが、その時の御書(日蓮遺文集のことです)を読むと、日蓮のいうことを聞かなかったために諸天善神は日本から去り、また蒙古の神のほうが日本の神よりも位が高いので日本は蒙古の侵略されるだろう、と書いている。元寇が神風により撃退されたと聞いても断じてそれが本当だとは思わなかった。今で言えば日本は中国の植民地になった方がマシだと言ったわけである。

つまり日蓮の生涯を見る限り、そこには「勝つ」という意識はない。つまり日蓮は勝ったのではなく去ったのである。

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全く関係の無い話をしますが、このところ2度にわたりkからプロバイダー責任制限法を使って、私のブログからKの記事を削除するように求めてきました。私はこれから八王子市と母親を保護措置と称して監禁した事件について0からやり直すことになったので、大事の前の小事と思い、ブログからkの具体的な名前を削除してきましたが、 仏の顔も三度までという言葉があるように、今後は一切そのようなことはしません。

名誉棄損の3要件は、真実性、公共性、公益性、の三つです。私の記事はその3要件を満たしているので名誉棄損には当たりません。kも弁護士に相談すれば分かるでしょう。

kの「ベオグラード1999」は新左翼のkが右翼の一水会の会長木村三浩を茶化す映画である。私はセルフドキュメンタリーを「不幸自慢の映画」と造語で表現したが、この映画の中でkは自分の恋人が鬱病になり自殺する様子を撮っている。これは「他人を不幸にする映画」と言われても仕方ないだろう。この映画に対する批評を以下に引用する。

加瀬修一(プランナー/ライター)

 初めて『ベオグラード1999』を観た時、これはナショナリズムへの拒絶反応や権力志向への嫌悪、右翼思想に対する批評的なドキュメンタリーというよりも、私小説というか映像詩というか、金子遊という1人の青年の10年間の魂の放浪と総括だと思った。自分史をかつて存在した国家と亡くなった元交際相手を対比して描こうとしながら、上手く噛み合わずギクシャクした感じ、決して器用ではない監督の人柄をよく表していると思う。上映後打ち上げの席で、感想を伝えつつ気になっていたことを聞いた。「ご遺族に許可は取っているんですか?」と。それに対して監督は「まだなんですよ」と答え、僕は「公開を考えているなら、出来るだけ早くきちんとお話をした方がいいですよ。一番大事なことなので」といった。その後宣伝協力として何度もお誘いを頂いたが、僕は性根を据えてやるといえなかった。それは本作が右翼を扱っている作品だからではない。監督がこの作品を通して何を感じ、考え、何を伝えたいのか。ご遺族への対応も含め、その為に具体的に何をしなければならないと思うのか。そこが最後まで聞けなかったからだ。僕は宣伝協力を降りることを選んだ。それから時間も経ち、『ベオグラード1999』は劇場公開されることになった。自主配給・宣伝で公開にこぎつけることがどれだけ大変だったか想像に難くない。そのことは素直に嬉しく思う。今回レビューを書くにあたって久しぶりに観たのだけれど、以前とは編集が随分と変わっていた。このバージョンに落ち着くまでの経緯は色々と聞いている。しかしそれは考え方なので良いとか悪いとかいう問題ではない。選択があるのみだ。彼女の死が大きなきっかけとなって始まった10年の記憶の旅と映画作り。語るべきは大きなことではなく小さなこと。その答えに辿りついたなら、「東京地方裁判所民事第9部にて、「上映禁止」仮処分の取り下げを勝ちとりました」はないんじゃないだろうか。何故争わなければならなかったのか。もちろん手を尽くしてもそうなってしまうこともあるだろう。ただ未だ悲しみの底に沈んでいるご遺族に、監督の意思と制作の意図を説明しきれなかったのだろうか。もっと時間を掛けるという選択肢もあったのではないだろうか。裁判になってしまったことが残念でならない。「東京地方裁判所の検閲により、一部の音声がカットされています」という大仰な文言も、個の問題を公の問題に拡大解釈しているような違和感があった。「彼女は世に出たい人だった。だから彼女は喜んでくれているはずだ。ご遺族もいつかわかってくれると思う」監督はそういった。確かにそうかも知れない。でもね、こうも思う。いまわかってもらうことが大事なんじゃないかって。わかってもらおうとすることが大事なんじゃないかって。音声(彼女の名前と亡くなった理由)が削除され、ピーっと音が入る度になんともいえない気持ちになった。監督に覚悟がないなんて間違ってもいえない。思ってもいない。ただ、僕とは考え方が違う。ご遺族に一日も早く監督の真意が伝わることを切に願う。
http://eigageijutsu.com/article/169458798.html

これを読めば「ベオグラード1999」がいかに非人道的な映画か分かるだろう。私がいつも言うように日本の実験映画には理論的支柱には松本俊夫という存在があったが、倫理的支柱が無かったことが最大の失敗だったという典型例である。

私は木村会長とは新宿ロフトワンで名刺交換をしたことがあり、また呉竹会の廣瀬事務局長と会談した際に直接木村会長に電話を掛けて「ベオグラード1999」に出演した感想を聞いたところ「一言で言えば腋が甘かった」と言われた。私が直接聞いたのだから間違いありません。

またkはこの映画を撮った後に私を主人公にして映画を撮りたいのでOKを出し、何度か撮影をしたが、妻子の失踪が創価学会の裏舞台と関わっていることが分かり始めたとたんに撮影を中止した。最初kは創価の裏舞台の真相を知って悲憤慷慨するかのような仕草をして自分から微笑禅の会へ入会するといったが、会費を払わないので電話を掛けたところ、軽い調子で「お金がないんですよぉ~」と答えたが、その一方で個人映画作家たちに『フィルムメーカーズ』を書かせていることを知った。また高名な実験映画作家たちにもインタビューを通して接近しているが、もちろん私の貢献は触れていない。このようにkの変節振りが分かったので私は微笑禅の会からkを除名処分にしたのである。

またkが編集した松本俊夫の『逸脱の映像 拡張・変容・実験精神』については私の研究本を編集していた早稲田大学大学院の後輩・佐藤洋君から聞いたところでは、月に一度松本先生を囲む勉強会があり、松本先生からこの本をkが編集したと聞いて顔を曇らせた教授がいた、とのことである。

私がkについてブログで書いて来たことは、個人映像、実験映像の研究と批評の先輩としての忠告である。彼のような人間がオピニオンリーダーになっている現在の個人映像の世界に私は全く興味を失っている。

kから山崎幹夫のメルアドを教えて欲しいと言われたので山崎幹夫のHPから入ることを教えたが、山崎にも本の執筆を依頼しようとしたようだ。しかし山崎幹夫は直観的にうさん臭さを感じて無視したと聞く。さすが微笑禅の会の名誉会員だけのことはある、と思ったものだ。

もう一度繰り返す。私は今後の個人映像、実験映像の発展を願ってkの言動をブログで紹介したのであるから、これは公益性と共に公共性を満たしている。kは「みなし公人」なのだから今後は個人映像、実験映像のために身を粉にして努力してもらいたい。私もみなし公人であり、例の中傷ブログは公益性も公共性も全く関係のない単なる嫌がらせとストーカー行為だが、公訴時効を考えて顧問弁護士と打ち合わせをしている最中であることを中傷ブログの常連たちに伝えておく。

 


植田カウンセラーの思い出(補筆3)&主権回復を目指す会より

2016年05月13日 | 思い出の記

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決定版は出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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私が対人恐怖症になった原因は、自分の完全主義的性格により相手を怜悧に分析する鋭い目つきが相手の方に投影するからである。つまり、相手が中学生でも日本映像学会に出席した研究者であっても、彼らが私を怜悧に分析しているのではないかという無意識が働き、声が出なくなり心臓がバクバクする、という原理なのだ。しかし鬱病も対人恐怖症も狂気恐怖も、また原稿を書く時や確定申告などをするときの逃避行動も、見性体験により一発で治っている。ブログを読んでいる皆様にもぜひ微笑禅の会に入会されることをお勧めします(非宗教ですから、創価学会員でも幸福の科学の信者でも天理教の信者でもキリスト教徒でも伝統仏教の信者でも、誰でも会員になることが出来ます)。

それでは主権回復を目指す会からのメルマガをお読みください。

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月刊誌『WiLL』と松田晃平君の「義挙」
http://nipponism.net/wordpress/?p=32709

     <状況を客観視できない知の劣化
         立ちションベンを「義挙」と持ち上げるネット保守の腑抜け >

かつて慰安婦強制連行など、対シナ・朝鮮との歴史問題で共に抗議活動を戦ってきた松田晃平君が、月刊誌『WiLL』の皇室問題の対談に「内容が不敬」だとして事務所内の床をペンキで汚し、消火器を噴射した廉(かど)により住居不法侵入などで逮捕された。このアクションがネット保守などから、「義挙」などと頻りに持ち上げられているが不可解というより、状況を客観視できない知の劣化を感じてならない。

【義憤を表現できない未熟】
松田君の抗議文なるものも見たが、抗議の対象となる皇室に対する「不敬」の問題が具体的にも論理的にも全く展開されていない。つまり、抗議文の体を為していない。まともな抗議文すら書けないでは「右翼団体理事」の名が泣く、「右翼」の名誉にも関わるというものである。彼はこの抗議文の中で、「諫言」なる言葉を使用しているが、諫言とは目上・上位の人に対して忠告するという意味である。不敬を働く月刊『WiLL』に使う言葉ではないだろう。万人を納得させ、感泣せしめる檄文を作成できる素養がなっていないと言わざるを得ない。

しかも松田君の抗議は連休最中の、しかも夜の11時頃、人通りの途絶えた時間帯、人目を避けてである。己の信じる正義を掲げ、なぜ堂々と編集部員のいるま真っ昼間に乗り込んで行かなかったのか。これでは皇室に思いを馳せる松田君の義憤が、行動においても心情的にも全く世間に伝わらないのである。これをもてはやす連中だけが無責任に騒いでいるだけだ。

【嫌がらせの立ちションベン】
テレビ画像で見たが床の一部がペンキで汚れていたが、室内はデスクの上のパソコンなどは綺麗なままで消火器の泡さえ見られない。「皇室への不敬」に対して、憤怒をぶっつけるために『WiLL』に乗り込んだのではなかったのか。向こう数ヶ月又は半年でも業務の再開を不可能にしたやる怒りが微塵も感じられない。新聞などは器物破損ではなく、住居不法侵入と報道したが納得してしまう由縁である。これを「義挙」として持ち上げるなど極めて噴飯物である。

なぜ、デスク上のパソコンの類に黒ペンキをぶちまけ、皇室の不敬を働く編集機能を破壊しなかったのか。ただ床を汚しただけ、『WiLL』に取っては痛くもかゆくもない。逆に「WiLL」は内部の人事問題で売り上げも鈍っているなか、同誌の宣伝効果を上げるうえでは、またとない「義挙」を為してくれた松田君に深く感謝しているに違いない。事務所に、嫌がらせの立ちションベンしただけの結果に終わってしまった。

【舞い上がるなど自戒に自戒を】
本人は接見禁止がつけられているので面会もままならないが、行為と結果の落差を今一度冷静に客観視して貰いたい。ましてや今回の抗議を、「愛国運動の鏡」などともてはやす連中を見受けるが、立ちションベンの類を「義挙」ともてはやす胡散臭さに知の劣化を垣間見るだけである。

松田君とは彼の高校時代からの付き合い故、敢えて苦言を呈するのであって、結果の割に合わない自暴自棄の行為が残念でならない。今回の行動を「義挙」などともてはやされ、舞い上がるなど自戒に自戒を心し、経験から教訓を導き出すよう願って止まない。

下記は今から7年前のことだが、月刊『WiLL』に抗議街宣をかけ、編集部で社長、編集長らと直談判した記録である。↓

揺るがぬ事実を前に言い訳に終始した花田紀凱『will』編集長
 (平成21年2月6日)
  http://www.shukenkaifuku.com/past/KoudouKatudou/2009/090206.html
 

さらに皇室の不敬問題に関する件は、今から17年前にさかのぼる抗議行動を思う。『週刊朝日』と『サンデー毎日」が雅子妃殿下のご懐妊を嘲笑し不敬を働いた。これに対して、「政経調査会」の槇泰智氏と二人で猛抗議を展開して、両誌の編集部に乗り込み、編集長や記者を締め上げ謝罪させた。「皇室の不敬」ということで、松田君のこの度の抗議行動でふと思いついた。

【皇室にセクハラを働いた『週刊朝日』(99年12月24日】

 『お二人の愛の結実は熊本で、だった』『週刊朝日』(99年12月24日号)

週刊朝日(99/12/24号)は、「本誌が入手した雅子さまの体のリズムを考えると、皇太子夫妻のベビーは11月前半ごろ結実したことになる。なかでも可能性が高そうな11月5日から7日にかけて、皇太子夫妻は、熊本で開かれた全国身体障害者スポーツ大会を視察して…」とまで書いていた。

『週刊朝日』平成11年1月21日号。雅子妃殿下に対してあり得ないセクハラを働いた不敬を徹底糾弾した。大森編集長の引責辞任と記者本人の停職を求めて複数回談判を重ねた。朝日新聞本社前では、極秘入手のチラシ「朝日女子社員○○日一覧表」を配布して、社員等にセクハラの是非を問い質した。今から17年前、朝日新聞はセクハラでも先駆者だったのである。(※画像クリック拡大)
 

【朝日の不敬を後追いした『サンデー毎日』(99年2月7日)】
『サンデー毎日』は『雅子様の“存在感”』(99年2月7日)とタイトルを打って、小宮美香記者が、「最近は腹をおすえになったのか、存在感もご覧の通り、“デーン”と増した・・・」と嘲(あざけ)った。
 
小宮美香記者ご自身が、『サンデー毎日』のグラビアに登場してはしゃいでいるお顔を掲載しているので早速拝借、『サンデー毎日の美人編集者が赤裸々な・・・」と題したチラシを竹橋の毎日新聞社前で配布、激励を含めたたくさんの反響を頂いた。
 
このチラシ撒きが相当応えたらしく、山本編集長は音を上げて槇泰智氏を交えた談判に下ってきた。小宮記者の処分などを掲げて交渉を重ねたが、結局、「編集後記」のお詫び掲載を落としどころと定めて決着させた。(※画像クリック拡大)

 


植田カウンセラーの思い出(補筆2)

2016年05月12日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

決定版は出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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私には鬱病だけでなく、対人恐怖症や狂気恐怖という精神的な脆さがあった。幼稚園に行く前には母親の手を引っ張って幼稚園の様子を見に行き、早く入園したいとせがんだことを覚えてるのでその頃はまだ精神的な脆さは無かったのだろう(生まれるときの記憶がある人がいると聞きますが、私は母親にオムツを着替えさせられている記憶があります)。

小学校1年生の時から対人恐怖症が現れるようになり、最初の自己紹介の時に心臓がバクバクして息が止まり声が出なかった。何度か話している内にやっと普通に喋れるようになったものである。これは早稲田大学に入った時も続き、語学の授業で当てられて発表するのが嫌で授業をさぼったために2年間留年した。これ以上留年すると除籍という切羽詰まった段階で単位を取っていない語学の授業を一度に取ることにした。特に第二外国語のフランス語はアーベーセーから習う初級編と長文読解を同時に履修するという無茶なことをやったが、就職が決まっていても落第させるので有名な教授の長文読解の単位は驚くべきことにA評価で、どうにか卒業出来たものである。

私の対人恐怖は20人以上の前に出ると声が出なくなるというものだったので、大学院の授業ではそのような症状は出ずに済んだが、郷里に帰り那田塾を経営していた時も、たかが中学生を相手にしても20人以上いると心臓が苦しくなり声が中々出なかったことを覚えている。

その対人恐怖症や狂気恐怖(気が狂うのではないかという恐怖です)の症状を植田カウンセラーに話したところ、行動療法を教えてくれた。それは20人がOKなら次は30人の前で話し、それがOKなら次は40人の前で話すというものである。また植田カウンセラーは気が狂いそうな気分になった時は子供を抱きしめて頭にエントツが出ているイメージを抱いて狂気をそのエントツから出すようにするといい、とも教えてくれた。カウンセラーは鬱病や対人恐怖の心理状態に自分を追い込み、その解決方法を自分で研究するらしい。

私は小学校低学年の長女・朗理を抱きしめたり膝枕にして寝たものである。朗理は生まれつき癒しのパワーが強かったらしく膝枕にして寝ると実に楽な気持になったことを覚えている。

私は論文を書く時でも、資料が揃い構成も完璧に出来ているのに、最初の一行目は天から降りて来る、と言った詩人の発想で論文を書いていたために、どうしても論文を書くのが億劫になり遅れてしまうのである。

九州産業大学で日本映像学会の研究発表があり、私は愛媛から九州まで出かけて「小型映画の歴史と意義」と題した研究発表をしたことがあるが、その時も心臓がバクバクして最初の一声を出すのに苦労したものだ。もっとも他人にはそれは分からず堂々として見えていたそうである。その研究発表の概要はアメリカにもパトリシア・ツィマーマンという研究者がいて小型映画(アマチュア映画)の研究をしていること、そして日本おける小型映画の特徴だったが、パトリシの紹介だけで時間が来てしまった(多分どこの学会でも同じだと思うが、持ち時間はわずか20分しかない)。その研究発表の後で今は日本映像学会の会長を務めていると聞く武田潔が「自分の意見が無かったではないか」という批判をしてきたが、私は「要するに小型映画を皆さんの力で発掘保存するように呼び掛けて下さい」というアジテーションのような研究発表になってしまった。

その研究発表には文科省の役人になった佐伯という先輩(先輩といっても同い年で郷里は同じ愛媛です)も来ていたので、同じように小型映画の発掘と保存を呼びかけたところ完全に無視されてしまった。ところが外国で小型映画の発掘と保存を呼びかけることをテーマにしたキュレーターの大会があったのをきっかけに佐伯が当時勤めていたフィルムセンターにも小型映画専門の部門が置かれるようになった。私は当然自分がその役に付くものと期待していたが、驚いたことにフィルムセンターに勤めている後輩に聞いたところでは佐伯は「那田は今後立ち入り禁止にする」とうそぶいていたそうである(多分、私に対する言動が後ろめたかったんでしょうね)。

私は1980年代から小型映画に興味を持ち、1990年初頭から小型映画に関する論文を書いて来た。しかし後続の研究者たちは2010年以降に小型映画の論文(相当下らない論文です)をやっと書き始めるようになった。私の構想してきたものは時代の流れの20年以上は先に行っていることが多い。

例えばロータス文化学院は春名先生を囲む会の発展により継承されていくだろうし、善良な信者と手を結び組織の裏の顔を知らせて創価学会を内部分裂させる方法は今から20年後から実現していくに違いないと思う。

 


植田カウンセラーの思い出(補筆)

2016年05月10日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

決定版は出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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田辺浩三という高知に住む私の親友が作った上映会に行ったときのことである。影の薄い、まるでモジリアーニや竹久夢二が描く女性のような女子高校生と出会った。

何故かは分からないが私はその女子高校生に異常なほどの惹かれ方をした。私は彼女(これからOYと呼びます)の写真を撮って植田カウンセラーに自分の感情を説明したところ、OYは私のアニマ(私の中にある女性的な元型)だというのである。そして非常に暗い印象の女性ですね、と言った。(今の私は別人のように変化したので、どちらかと言えば坂本龍馬の妻のお良さんのような意志の強い女性に惹かれる。ストライクゾーンが狭いのは相変わらずですが。お良さんも絶世の美女だったと言われていますからね)

私はOYの写真を見ながら頭を抱えるほどの状態になってしまった。そして大学受験の時にアドバイスを求めて来たので私は出来る限りのアドバイスをした。例えば早稲田大学の場合、1問の間違いはセーフだが3問間違えるとアウトになるといった具合である。そして時々は差し入れまでして応援した。その様子を見た私の元の妻は「私は一体なんなのよ!」と言って怒っていたが元型のなせる業なので仕方のないことだった。OYは差し入れをしたときだけは電話でお礼を言ったが、それ以外には全く電話を掛けて来なかった。

田辺浩三が井筒和幸監督を呼んで上映会を催した時のことである。井筒監督は酒癖が悪いのと女癖が悪いのを合わせたような人物だったので、OYを自分の横に置こうとしたが、私が間に入って邪魔をしたために井筒監督は不満気な顔を見せ、ふてくされた態度で一貫した。そのときに私はOY(キリスト教徒だった)に、何故イエスがエルサレムでしたのは神殿で商売人を追い出すことだったのか?と質問したところOYは「多分商売人が嫌いだったからじゃないですか」と答えたので、本当はOYは頭の悪い女ではないのかと思った。ちなみに私は新約聖書の福音書を読むたびに涙がこぼれる。あれは宗教というよりは詩歌であり、あの福音書から難解な神学争いが生まれたとは驚くべきことだと思う。

OYは私のアドバイスを無視して早稲田ではなく慶応大学を受験して合格した。その時も親からは連絡はあったが本人からは全く連絡は無かった。

OYは将来は映画関係の仕事に就きたいというので、私は金井勝に会わせようと思い高幡不動で待ち合わせる日時をメールで送ったが、何とOYはその日その場所に現れることは無かったのである。金井勝にそのことを話すと、俺の映画に興味のあるような人間には少しオカシイのが多いからほっとけ、との話だった。結局私はもう一人待ち合わせていた女性と一緒に金井勝の家を訪問した(金井勝のHP「映像万華」を見ると写真が出てきます)。

そこで改めてOYにメールしたところ、何日もの間友達の家に泊りがけで遊びに行っていたのでメールを読んでいなかった、という釈明のメールが来たので、私は「よく何日も外泊が出来ますね。下着はどうしてますか?もしかして汚ギャルですか?」と皮肉を言ったところ「きちんと下着ぐらいは揃えて遊びに行っています」と返事があったのを最後に私とOYの縁は切れてしまった。

映画の仕事に就きたいと言っていたが、後で分かったことは婦人公論の編集者になっていたのである。

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この話と全く関係ありませんが、私がよく飲みにいく近くのファミレスに美人で可愛い女子大生がいるので大学を訪ねたところ創価大の学生だと聞いてある意味ショックを受けている。創価学会そのものは本尊も含めて教義はデタラメだが、信者の中には性格のいい人が一杯いるからである。私は創価学会を潰すことが世直しだと思っていたが、むしろこういう善良な信者たちと手を組んで、池田大作の別の側面を知らせ内部分裂を仕掛けるのがベストだと思うようになっている。例えば洗脳された信者は次のようなゴマカシ発言をしているが、これはあくまでも犯罪の教唆(正犯)である。そういうことを善良な信者に教えたいと思う。

そもそも聖教新聞には、「脱会者はのたれ死ぬまで攻め抜け」とは書かれていない。
悪というのは、厳しく責め抜いてこそ正体を暴くことができる。追撃の手を緩めると、息を吹き返してしまう。
学会迫害の悪人は、放って置いても〝厳罰(=仏罰)で野たれ死ぬ〟運命にある。惨めな姿を世間に晒していくのは、いかに仏罰が恐ろしいかを、その姿で証明するためだ。

※【野垂れ死に】道ばたなどに倒れて看護もされずそのまま死ぬこと。行き倒れ。また、それに似たみじめな死に方。



「青年よ、仏敵を打ち砕け。学会迫害の悪人は厳罰で野たれ死ぬまで攻め抜け」
(聖教新聞「寸鉄」)

の言わんとするところは、

「青年よ、破邪顕正の言論戦で仏敵を打ち砕け。学会迫害の悪人は、正法誹謗による仏罰で惨めな最期を迎えるであろう。決して追撃の手を緩めてはならない」である。

正法を誹謗し、自ら招いた仏罰で野たれ死ぬのである。正当性と合法性を欠いた物理的強制力を用いて、野たれ死ぬまで攻め抜け、と言っているのではない。

ほんのヒトカケラの知性があれば、上の二行が典型的なゴマカシだと分かりますよね。


植田カウンセラーの思い出

2016年05月09日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

決定版が完成したのを記念して懇親会を開きますので参加予定者は私までメールか電話を下さいと書きましたが、外食を不安に感じる被害者の方が多いので個別に対応することにします。また決定版は出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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この画面が枠に囲まれて片方にズレる現象はHTML言語を使いどうにか修正しました。

私が6年ぶりに博士課程に入ることを内定されながら、修士論文を書くことに失敗して郷里愛媛に戻っていた時の話である。

堤防釣りに行った時に、長女が堤防のテトラポットの間にいる非常に奇麗な子猫を欲しがったので、駐車場までその子猫が付いて来たら飼ってもいいと約束をした。ところが100メートルはある長い堤防をその子猫は本当に付いて来たのだった。長女は読書家だったのでその子猫にジュールという名前を付けた。これは「八十日間世界一周」などで知られるジュール・ヴェルヌから取ったものである。堤防で拾った猫が長い旅をして我が家にやって来たことを意識して付けたと思われる。

そのジュールは目が緑色で全体としてシャム猫のような上品な姿をしていた。以前私は五行歌にしてこの猫のことを詠んだことがある。

古里に帰りたい と母が呟く 海で拾った青い瞳の猫 庭に眠る 古里

この歌の通りジュールは車に轢かれて死んでしまった。それがペットロスになって私はそれまで内科でもらっていたハルシオン(金色)が効かなくなり、隣の宇和町に出来た診療内科に通うようになった。院長は私の顔を一目見ただけで鬱病と判断した。ちょうど水泳を終えてプールから上がって来たばかりの人間のようにグッタリとしているので表情だけで鬱病は分かるらしい(ちなみに見性体験をしたときにこの鬱病は一発で治ってしまった)。その時に2週間に一度、鬱病の薬を貰いに行く度にカウンセラーにかかることを勧められた。

初めてカウンセラーに会ったとき、前歯は折れているし、ジーパンのすねの部分は敗れているし、私はこのカウンセラーで大丈夫だろうか、と不安になった。

しかし彼はユング派という珍しい分野のカウンセラーだったので、私は後日彼の言葉が非常に役に立った。まず彼は、私たちユング派は因果律を無視して結果的に鬱病が治る方法を選びます、と言った。具体的に説明を求めると、自分の子供が車に轢かれてそれが原因で鬱病になった母親に、「何故私の子供は死んだのですか?」と聞かれて「道路に飛び出た時に車が走って来たからです」と答えてもお母さんの鬱病は治らないでしょう?、と答えてくれた。

そして毎回私は夢日記をつけて植田カウンセラーに分析してもらった。私の夢の多くはユングのいう原型であり、彼は先輩にメールするなどしてその分析をしてくれた。鬱病は完全主義の性格から生まれるもので、別名・英雄病とも言われている。そこで彼は「人生は50点を取ればいいのだから、それで満足するようにしなさい」と言ったが私は「最低でも80点を取らないと満足出来ません」と答えた。この問答がなんと2年も続いたのである。そこで私は植田カウンセラーに「同じ話を2年も繰り返しても意味がないのでそろそろカウンセリングを止めませんか?」と提案したところ、「頭で理解するのと体で理解するのは別物だから、何度でもこの問答を繰り返しましょう」と答えた。

見性体験記にも書いているが、このカウンセラーの元には正夢を見て、しかも悪い夢が始終当たる女子中学生が来ていた。植田カウンセラーに聞いたところでは、ユング派の心理学会では予知夢や超常現象は当然という前提で論じられている、但し世間には大槻教授のような頭の固い人がいるので公にはしない、とのことだった。

私が非常勤講師として東京に移住するときにも、植田カウンセラーは「今の時期の引っ越しは鬱病には悪いから止めたほうがいい」とアドバイスしてくれた。確かに東京に来て非常勤講師にならず郷里にいれば、相当の貯金が出来ていたはずである(年に純益が1000万はありましたから)。今後どうなるかは神のみぞ知る、と私は思っている。植田カウンセラーは時々メールをくれることがあった。最後のメールは沖縄からだったので旅行にでも出かけられていたのだろう。あの植田カウンセラーには本当にお世話になったので、どこかで会って一杯飲みたいものだと思う。

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これと全く関係の無い話ですが、今朝は極彩色のフェリーニそっくりの映画を夢の中で3本立て続けに見ました。この映画は実は私自身が監督しているという夢でしたが、こういうファンタジックで楽しい夢は久々に見ました。よく考えてみると、その前日に近くのファミレスで顔見知りのウェイトレスさんに冗談混じりで粉を掛けた(お酒でも飲みにいかない?と誘ったわけです)のが原因でしょう。つまり色気というか、助平心が残っていないと創造的な活動は出来ないということですね。川端康成が性欲が無くなったためにガス管を加えて自殺した理由が良く分かります。


教育実習生に難しい質問をして不合格にした話

2016年05月07日 | 思い出の記

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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先ず、このブログの文章が途中で枠に囲まれ右に寄って見えている原因については現在gooブログに問い合わせているところです。誰かが外部から侵入して悪戯をしているのかもしれませんね。NTTのリモートサポーターに聞いても理由が分からないとのことでした。

私は高校時代、進学クラスに所属していながら番長グループ(血友会という恐ろしい名前です)に所属するなど、本当に扱いにくい人間だった。国語の勉強はまともにしたことは無いのに常に学年トップだった。ちなみに日教組というと日本人をダメにした癌のように言われているが、私が高校一年の時に数学を教えてくれた教員は日教組で、職員会議をさぼって放課後の教室に遊びに来たり、暮らしている借家に遊びに行った時はタバコも吸わせてくれた。だから私は高校一年までは数学の授業が面白かったので時々学年トップの成績を取ることがあった。

国語に関しては自分でも相当に自信があったために、教師が詩歌の解釈をしていると、「先生、それはこういう風に解釈するべきではありませんか?」とか、何故か私は文法が大好きな側面があり、古典の時間では「時枝文法によれば動詞と助動詞を一つに数える考え方もありますよ」などと言って教師を困らせたものである。

ある時、国語の教育実習の先生がやって来た。大学を出て間もない人なので感じのいいお兄さんのような人だった。その教育実習で教員たちが教室に集まり採点をする授業の時のことである。短歌を解説する授業だったが(その短歌が何だったのかは覚えていない)、花、という言葉が出ているのに、例外的にその花は梅の花を意味していた。そこで私が「何故、この花だけが、梅の花なのですか?」と聞いたところ、その教育実習生は立ち往生してしまった。

結局その教育実習生は不合格になり教員になれなかった。私は悪いことをしたかな?と少し後悔したが、やがてその教育実習生から手紙が来て、「あの質問をしてくれてありがとう。あそこで答えを出せないようでは、私は国語の教師としての才能が無いことを自覚しました。今後は別の職業を選ぶことにします」と書いてあった。私はこれで救われたような気分になったわけである。

高校時代のエピソードは幾つもあるので、思い出すたびに書いていく予定である。


三崎町の思い出

2016年05月06日 | 思い出の記

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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先ず、このブログの文章が途中で枠に囲まれ右に寄って見えている原因については現在gooブログに問い合わせているところです。誰かが外部から侵入して悪戯をしているのかもしれませんね。

昨日のブログでハルピン一の美人と書いたのは理由があります。中国でハルピンは美人の産地として知られているからで、ハルピン一ということは中国で一番の美人、ということになります。

私が三崎町のキャバクラに通いだした原因は、当時は鬱病や対人恐怖症や仕事をする前の逃避行動があり、三崎町の診療内科に通っていた時に、医師から一人で飲んでいるとますます鬱病が酷くなるので止めた方がいい、キャバクラなら話し相手がいるので、どうせ飲むならそういう所で飲むように、との助言を受けたからです。なお、これらの病理は見性体験をしたとたんに一発で治りました。

また例の中傷ブログには私がワンセットしかキャバクラにいないと書いてあるそうですが(公訴時効があるので私はほとんど読んでいません)、それは既にキャバ嬢と男女の関係になって、お礼のためにほぼ毎日ワンセットだけ顔を出すようにしていたからに他なりません。それをあたかもお金をケチっているように邪推する中傷ブログの連中は本当に頭が悪いですよね。

私が蜜蜜というチャイナパブの常連だった頃の話です。当時ママだったモモちゃんと言う満州生まれの女の子に、合気道の連行法を教えていた時のことでした。ちょうどその店にガタイのいい男がいて、「先輩、それは合気道の技ですか」と話しかけてきました。そこで私はその男の横に座って一緒に飲むことにしました。するとその男は極真空手と柔道の黒帯で握力が90キロもあるので電話帳を掴んで引き裂くことが出来ると自慢していました。また、別の店でヤクザが7~8人絡んできたときに全員を倒して、警察から事情を尋ねられた時に、極真の黒帯だと言うことを喋ってしまったために正当防衛にならなかったことも教えてくれました。そこで私はその男と左手で握手をすることにしました。前のブログに純情な剣道師範の話をしましたが、私はケンカになりそうなときには左手で握手をすることにしています。そこでその男(佐藤といいます)と握手をしながら、「私のように50を過ぎている御爺さんと同じぐらいの握力でどうするの?佐藤君は何歳?」と尋ねたところ「43歳です」と答えました。

それ以来、蜜蜜に行くたびに佐藤君は私の顔を見つけると「兄貴」と呼びようになりました。当時私は微笑禅の会のロゴが入ったジャケットをいつもきていましたが(居田伊佐雄が開封もせずに送り返してきたジャケットです)、佐藤はそのロゴを気に入ったらしく、柔道着の胸に付けるからぜひ欲しい、というので私はそのロゴのワッペンを佐藤に上げたところとても喜んでくれました。

佐藤は私に合気道の技を掛けて欲しいと言うので様々な技を掛けたことがあります。私はスローモーションでかけるので佐藤のようなガタイのいい筋肉のある男があらかじめ筋肉に力を入れていると技が決まらなくなります。しかし4ケ条はどんなに力を入れていても技が決まりました。これは人差し指の付け根を釘のように尖らせて相手の手首の裏側にある筋を抑えるものですから、どんなに訓練してもその部分を鍛えることは出来なからです。また佐藤はサザンの歌をよく歌っていたので、それほど上手ではないけれど、私が拍手を送ると嬉しそうにしていました。こういうタイプの人間はそういう純情なところがあるものです。

三崎町を歩いている時に面白い呼び込み(黒服)に出会ったことがあります。微笑禅の会のロゴは旭日旗の白と黒を反転したものですから、一見旭日旗のように見えます。ある太った黒服が私のロゴを見て、「先輩、それは何のマークですか?」と聞いて来たので、これは戦前の日本海軍のマークであると共に自衛隊旗でもある旨を教えたところ、その黒服は「私も海上自衛隊にいたのでそのことはよく存じています」と言ったので、私は「海上自衛隊にいながら何故こんなナンパな仕事をしているのか」と尋ねたところ、その男は敬礼の形を取って「両方ともお水繋がりであります」と答えたので私は大笑いしたものだった。多分これは彼のモチネタだったのだろうと思う。

ところで蜜蜜のママのモモちゃんが剣道を習いたい、と言い始めたことがあった。私は八王子早稲田会の幹事長をしている城之内先輩が経営する山中武具店に行き、竹刀を買おうとしてその事情を伝えたところ竹刀を入れる袋と鍔は城之内先輩がオマケをしてくれた。ただその店にももう一人客がいたが、相変わらず城之内先輩の眼光が鋭いので、私は「先輩あんな目つきでお客さんを睨んでしまうとお客さんが逃げてしまいますよ」と忠告した。

モモちゃんと私は恋人のような友人のような微妙な関係だったが、モモちゃんから次のような言葉を聞いた。つまり「恋人だと別れがあるから、恋人兼妹にしてね」というものである。私はさすがに水商売の女は口が上手いな、と思いながらもその頭の良さに感心して付き合うようになった。

また別のキャバクラのNO.1と出来た時も、彼女は「あなたと同じ空気を吸っているだけで最高に幸せな気分になる」と言われたことがある。この二つの言葉を元の妻に聞かせたところ、ふてくされて「どうせ騙されているに決まっているジャン」と言った。

私はカラオケが得意なので今でもうるさい客が多い時は誰も歌えないような洋楽を思い切りシャウトして客を追い払うときがある。またあるフィリピンパブに行ったとき、本当は彼女たちは洋楽を聞きたいのに仕方なく演歌に付き合っているのを知っていたので、彼女たちのためにJ.レノンの“Imagine”を歌ったところ一人のホステスさんが泣き出したことがある。https://www.youtube.com/watch?v=VOgFZfRVaww この曲の歌詞をよく読んでみると、戦争反対、キリスト教反対、共産主義賛成の思想に貫かれているために今でもアメリカでは放送禁止の筈である。そういうわけでJ.レノンがCIAによって暗殺されたという噂は本当に違いないと私は思っています。

私がこれまで出会ったキャバ嬢の中で一番好きだったのはクラブ桜のユイちゃんというバツイチ子持ちの女性だった。何回か同伴を繰り返していると、情が移って来るようになり、毎回同伴ではお金がもったいないから、どちらにせよ夕食は食べるので、夕食だけを一緒に食べる、とか、夕食を食べた後にユイちゃんだけがお店に入り、時間差を置いて私が後からユイちゃんを指名するという心遣いの出来る女性だった。

確か横山町だったと思うが、地下にある創作居酒屋で私は同伴の時によくそこを利用していた。毎回物凄い美人を連れて行くから若い店員たちは驚いていたが、結婚した方がいいとは言われたことは無かった。しかしユイちゃんだけは店員たちから「那田さん、あの子とだけは結婚した方がいいですよ。那田さんが来るまで絶対に注文をせずに静かに待っています。あんな出来たキャバ嬢は滅多にいません」と言われたものだった。残念なことに当時は結婚していたのでユイちゃんと結婚することは出来なかったが、今は独身なので出来るものならユイちゃんと結婚したいと思う。しかし、あれほどの美貌と優しい心遣いが出来る女性なので、誰かと既に結婚してしまったのでしょう。クラブ桜に私が行くたびにそこの店員にこの話をする。もしこのブログをユイちゃんが見ていたら、今でもあなたほど素晴らしいキャバ嬢はいなかった、と伝えたい。


ハルピン一の美女を口説かず後悔した話

2016年05月05日 | 思い出の記

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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先ず、私が創価中学に入りながら洗脳されなかった理由について述べることにする。私の父親は郷里に銅像が出来てもおかしくないほどの人格者で周囲からは神様のような人、と言われていた。典型的な刻苦勉励型の人間で旧制中学を出た後に検定試験を8回受けて連続して合格し30前後で戦前の小学校の校長になった。最後まで残ったのは愛媛県で3人だけだった。その後、村会議長や助役など要職という要職は全て勤めている。詳しくは見性体験記の「父の面影」を参照されたい。そういう父親の下で育ったために池田大作の人格と比較対照することが出来たのである。

それから私の母親は四国における創価学会の一粒種で竹入や矢野らと一緒に四国中を折伏して回り200人もの学会員を育てたが、戸田二代会長の下で入信したために、(当時は日蓮正宗の信徒になれは自動的に創価学会に入信するシステムになっていたが)、あくまでも御書講義が中心で今の創価学会とは全く別物だったからである。母は愛媛の最高幹部でその頃はまだ文化会館など一つも建設されておらず様々な質問は東京の本部と直接電話で話し合っていたと聞いている。戸田城聖はヤマ師的な事業家だったが、本山に対しては礼節を守っており、創価学会が法主上人猊下を批判した時は創価学会を解散する、とまで話している。3代目の池田大作になってから所謂52年路線で「本山は創価学会のためなら犠牲になってもらう」と方針が180度変化したのである。母は議員にならないか、という話も断り、あくまでも御書講義を中心に座談会を開いていたので、私も池田大作をペテン師だと見抜けたというわけである。

では本題に入ることにする。このブログを置いているHPの良心的な営業部門に「ツェンミィミィ」というスナックを紹介しているが、そのスナックの初代の「蜜蜜(ミィミィ)」の時代にハルピン一と言われるホステスさんが入って来た。源氏名を「アユミ」と言う。物凄い美人で、私は何度も同伴を繰り返したものだった。

そのスナックはチャイナパブを歌っていたが満州出身のホステスさんとフィリピン出身のホステスさんが両方いる、という変わった店だった。フィリピン人の国民性なのかフィリピン出身のホステスさんは性に対して開放的だったので、しばしばアユミちゃんに、「最初の相手は那田さんにしてもらいなさい。年を取ってから初体験すると痛いわよ」とか、「私の持っているバイブレーターを貸してあげるから細いのから徐々にクイーンサイズに広げる方法もあるわよ」などとアユミちゃんをからかっていた。

アユミちゃんは家が貧しかったらしく、月々3万円をハルピンの親に仕送りをしていた(そう言って騙すホステスもいるが多分本当だったと私は思う)、そして両親からは「23歳になるまでは恋人を作ってはいけない」という教えを忠実に守っていた。

しかし、私が冷静に彼女の服装や踊りを見ていると欲求不満の限界を超えていることが分かった。パンティが丸見えのミニスカートを履き、夜中にになるとその店はランバダパーティが始まるのだが、その時の踊り方が非常に激しく、私はこの子を口説いて処女を破ろうと計画した(私はこの行為をトンネル工事と呼んでおり、本当は好きではないが、アユミちゃんは特別の美人だったので、血だらけになっても構わないと思った)。

そこで同伴の時にカラオケに誘い、当時私がディスコ(今はクラブと呼ぶらしいですね)でナンパをしている様子を再現して見せた。それは私のモチネタのようなものだったが、矢沢永吉がもしナンパしたら、という前提で芝居をするものである。具体的に言えばディスコで狙った女がいるとすれば、彼女がトイレから出てくるのを待って、左腕を壁に当て右手を内転させて人差し指で女の顔を指さし「you,何なら俺と付き合う」と巻き舌でナンパする方法だった。それをアユミちゃんに見せたところ、突然膝を振るわせて泣き出してしまった。そこで私は可哀想になり、「冗談、冗談」と言って、本当はそこからキスをするのだが諦めて「蜜蜜」に連れて行った。

彼女は実際にスナックでも酔客が膝を触ったり、猥談をするとトイレに駆け込んで泣いていたと聞いている。そして私が帰る前に必ずリクエストしたのが沢田研二の「お前がパラダイス」である。アユミちゃんは「オーイェイ」を歌って、と言ったものだった。この歌は沢田研二の歌う歌の中では知る人ぞ知る名曲と言われるもので、歌が良すぎるためにヒットしなかったものだ。またこの歌を歌う客も他にいなかった。youtubeでこの歌をお聞きください。今のように怪物のように太ったジュリーからはとても想像できません。本当にこの頃のジュリーには男の色気があり、私はその気は全くありませんが、見ていて惚れ惚れします。https://www.youtube.com/watch?v=u-or3Ny2B4A 私もみんなを楽しませようと思い当時はエルヴィス・プレスリー仕様のライダーズジャケットを着てその店に遊びに行った。今でもたまにハシゴの次いでにその店に行くと歌手として入ったフィリピン人のホステスがこの店で一番歌が上手いのは那田さん、と言ってくれる。私はビートルズの下手くそなコピーバンドを高校時代に組んでいたから元々歌は下手では無かったが、坐禅を組むようになってから高音部分が幾らでも出るようになった。(ビートルズの「Oh! Darling」も同じキーで歌えます)

そこで何度もこのブログで書いているように、突然妻子が失踪した上に、本人が否定しているにも関わらず、駆け付けた母親を私が経済的精神的に虐待した、という名目で保護措置と称して母親が八王子市高齢者福祉課に監禁される事件がほぼ1年の間に起こった。このために私は2週間の間、意識不明の危篤になり、一時期は車椅子を使わないと自力では歩けないほどの状態になってしまった。

3年ほど前のことだろうか。ある程度回復した私が蜜蜜に行ってみると、驚いたことにアユミちゃんは大金持ちの中国人の5番目の愛人となって、その人の子供を産みたいと言い、蜜蜜をトックに辞めていたのである。このような貧富の差が激しい上にGDPが日本を抜いている中国に未だにODAを与えている日本政府は本当に愚かだと思うし、大きな利権が働いているのでしょうね。

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全く関係の無い話ですが、私は八王子のこのマンションを購入して以来、16年以上も郷里に帰ったことは無いのに、私が酒を飲んで親戚に迷惑をかけたので、親戚に合わせる顔が無くなり、逃げるようにして東京へ出てきた、という八王子高齢者福祉課の作った作文(全ての聞き取り記録にサインがありません)に対して、訂正(削除)請求を認めない、審査会(中にはいい人もいますが)と法制課は本当に頭が悪いというか、計画的というか、どうしようもない連中だと思います。総務省から0からやり直す方法を教えてもらったので、ある隠し玉を使い、起案者の谷渕と石森市長には責任を取ってもらいます。


創価中学の思い出(その2)

2016年05月04日 | 思い出の記

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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さて、私が絶賛したFという同級生が詠んだ俳句について当時懇意にしていたKEIZOさんという俳人の方から次のような感想が届いたことがある。

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俳句雑感

那田さんの「私と俳句」、拝読いたしました。

那田さんが、早熟な「俳句少年」であり、その手だれぶりと、
異常に鋭い感受性をお持ちだったことに驚嘆と感銘を覚えました。
愛媛(松山)には、那田さんのお父様のような方がたくさんおられ、
幼少時から師弟に俳句の語法やつぼを教える環境があるので、
たくさんの優秀な俳人が育つのかも知れんなあ、
と改めて「芸術と風土性」についても考えさせられました。

エッセイの中で、最も感銘したのは、
那田さんのF少年の作った

  カンナ見に寄るガラス戸の暖かさ

という句についての受け止め方です。
私も多少俳句をやるので、わかるのですが、
本当の意味で「選」または「鑑賞」が出来る人は、
いい俳句が作れる人同様、とてもまれだと思います。

中学生の那田さんが、この句を読んで

>この句を読んで、私はぶっとんだ。なんて凄い俳句なんだ、と思った。
>作者はカンナを見にガラス戸に顔を近づけている
>初夏の熱い空気がガラス戸を通して緩和され鼻を撫でる。
>目に見えるのは南米原産の強烈な色彩を持つカンナの花。
>視覚と皮膚感覚が手を携えて襲ってくる。
>庭のカンナとガラス戸のある家、という設定も美しい。
>また、作者はカンナだけを見ているのではない。
>ガラス戸に写った自分の顔も同時に見ているのだ。
>この俳句に漂うのは、少年のナルシシズムの匂いである。
>この感覚が素晴らしくいい。確かに、夏の季語「カンナ」を使いながら、
>「暖かさ」という中途半端な感覚で締めるのは、普通に考えると間抜けである。
>しかし、この「暖かさ」は気温の実感であるよりも、
>カンナと自分の顔が二重写しになった場面を目にした心の状態を示している。
>カンナを見ている自分自身への絶対的な信頼から生まれた「暖かさ」なのである。

と感じた感受性は尋常なものではないと思います。
まあ、ちょっと素晴らしい鑑賞文に水をさすようで
申し訳ないのですが、いちおう「カンナ」は秋の季語になっているので、
僕が思うに、F少年は「秋冷のなかに咲くカンナ」を詠ったのかも知れず、
そうすると「温かさ」という結句は、わりと素直な収め方になり、
那田さんご指摘の何かとても隠微なナルシシズム感が薄らぐように思いますが、
那田さんの「誤読」にせよ、絶世の美少年の「季語の無視」にせよ、
中学生の句会を通じて、そのような濃密で奥深い
文学的な場面が生じていたことは、とても驚きです。

しかも那田さんは、この俳句を読み、
自己の文学的才能を見限り、「筆を折る」という自己認識がすごい。

>私はつくづく、人間の才能というものには勝てないと悟った。
>こういう俳句は、自分の美しさと美意識に酔っている人間でないと作れない。
>ナルシストであるがゆえに作れる堂々とした美の世界である。
>私のように、神経質で、自己呵責が強い人間には逆立ちしても作れない。

は、世界の中での自分の位置付けや役割を、怜悧に見つめる
客観性(批評性)がないと、とても吐けない言葉で、
ゴミのような駄作を性懲りもなく撒き散らしている
僕のようなおめでたいおじさん趣味俳人とは
最初からとてもレベルが違うなあ、と恥ずかしくなった次第。

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ところが当時親しくしていた居田伊佐雄氏が、この俳句にケチを付けて来た。美少年という先入観を覗けばこの俳句は凡庸だというものである。しかし居田は俳句の素養はまるで無かった。多少なりとも俳句が分かれば、「カンナ見に寄るガラス戸」の部分にマヤ・デレンの映像のワンシーンを連想する筈である。https://www.youtube.com/watch?v=livMUiS2ZZM 思い出すと私が映像学(日本映像学会が出している機関紙)に書いた論文の抜き刷り(私の論文だけをリーフレット形式にしたもの)は毎回居田に送り、彼はそれを細かく添削して送って来たが、最初は親切心だと受け止めていたものの、今思えば常に自分が上位に立ちたかったのだろう。居田を「行動する保守」の運動に誘って炊きつけたのは私自身である。きっかけは司馬遼太郎の「峠」という小説を読むように勧め河井継之助が戦闘中仕方なしに地面に絵を描いている絵描きに向かって「戦時には絵描きは必要ないからお前たちは地面に絵を描くぐらいしかできないだろう。私たち武士が死んで平和な時代になったら存分に絵を描いて楽しめばいい」と述べたことを居田に教えたことと、居田の先祖が豪商だったので(私は当時から遺伝に興味があった)、「居田さんの先祖には道楽者がいて絵でも描いていたんでしょう。その血が居田さんにも流れているんでしょうね」と言ったことに反発して政治的な運動に進んで行ったと思われる。

また居田が竹島は日本の領土であることを示す500円のTシャツを私にくれたお返しに、微笑禅の会のロゴ入りに2万近いジャケットをプレゼントした時、開封もせずに送り返してきた。私は驚いて電話を掛け「居田さんと私の仲では無いですか。別に微笑禅の会へ入って欲しいというのではなく、部屋にでも飾って欲しいだけですよ」というと「私は変人だから気にしないでくれ」と答えた。

また、私が創価工作員を最高裁まで追い詰めた時、居田の証言書だけが証拠価値が無いという指摘があったために再度証言書を送って欲しいと電話で依頼したが、全く反応は無かった。さらにmixiに私を絶賛する紹介文を書いていたが、突然それを消してしまった。その紹介分をここに採録する(利益が発生しないので著作権法違反ではありません)

「日本の個人映画のシーンにこの人が登場したときには、論証的であると同時に感受性に裏打ちされた豊かな文章で実験映画を批評することができるのを知って驚きました。これは画期的で、思いがけないことでした。よほどの才能がなければできません。映像作家数人分の価値が優秀な批評家にはあると思ったものでした。 

芸術家の心を持った無頼派の批評家であり、好き嫌いが激しいのですが、それゆえ好きになったものに対する執着の仕方は普通ではありません」 

 せっかく褒めてもらったものだが、この文章には論理的欠点がある。それは作家と批評家を同列に論じている点である。個人映像の場合は映画年鑑にも載らないのだから、批評家が文章を残さないと存在しないことと同じになる。この文章を読むと居田が映像作家至上主義の立場に立っていることがよく分かる。

しかも最初、居田は西村修平さんのファンで「あの人のパフォーマンスは芸術的で人を惹きつける」などと言っていたが、西村さんが「私は在特会とその仲間たちではない」(つまり瀬戸弘幸氏を批判している訳です)とブログで立場を鮮明にしているにも関わらず、いまに至っても瀬戸弘幸氏と一緒に街宣に参加してプラカードなどを持っている。

私がこのブログと同時にHPの中に置いている「レアフィルム批評アーカーイブ」は劇映画が終わり、これからは実験映画の批評をすべきなのだが、気が進まないのは、ちょうど大岡昇平が「中原中也」という伝記の中で「中也本人を知らずに純粋に彼の詩だけを鑑賞できる人は幸せだ」と述べている心境が良く分かるからである。

私はしばしば日本のシュルレアリストは寺山修司と松本俊夫を除けば、自分の精神的な病を克服するために作品を作っている、と述べることがある。いわばフロイトの言う昇華の理論である。

さて創価中学の思い出に戻ることにしよう。私は中学3年の夏休みに郷里に帰ったのをきっかけに創価中学を中退することを決心した。というのは郷里の友人を見ていると、創価中学の同級生たちよりも遥かに純朴だったからだ。これでは題目を唱える意味が無いと分かった。とりわけ大阪の公明党の市会議員の息子で佐伯という人物は実に軽薄で自分が市会議員の息子だということを鼻に掛けていたし、ある軽薄な男が更衣室で着替えをしている私の金的に膝蹴りを入れたので私が咄嗟にフックを返したところ数メートルも向こうにすっ飛んだことなどを思い出す。

中退すると告げると担任、学年主任、学園長の小山内らが「池田先生の顔に泥を塗るのか」と言って必死に引き留めようとした。私は日蓮を尊敬しているから創価中学に入ったのであり、池田大作を尊敬しているわけでは無い。と言って引き留める教師たちを無視した。小山内は激高したのか私に向かって「女でも出来たんだろう」と言ったが、今の中学生ならいざ知らず、昭和31年生まれの私の世代で中学生に女が出来るなどという話は聞いたことはない。これは心理学では投影と言って、小山内に愛人がいるから咄嗟にそのような邪推をしたのに違いないと思う。

私は中学から高校までの間、剣道の試合で一本も取られたことが無かった。それは、一本を取られることは即、死を意味すると分かっていたからである。

また思い出したことがあるので書いておくことにする。私は知能の面で自分より上でとてもかなわないと思う人物に二人会ったことがある。それは創価中学の寮に住んでいた時に出会った男で、私と同じように勉強をしないのだが常にトップ3ぐらいに入っていた男と、大学院で文化人類学と言語学を習った西江雅之先生である。西江先生の場合は食べ物からして変わっていた。素材の見える食べ物しか食べない。お宅にお邪魔したときにご馳走してもらったが、出された料理はカンガルーのステーキ、トウモロコシ、アフリカで採取した木の実のみであった。

私は現役の時も浪人の時も創価大学を受験して合格した。後日「尚史君は創価学会の第一の標的になっている」と親族に漏らした(八王子市にはその証言書を提出してある)従兄弟がどうしても創価大学を受験するように勧めたからだ。そこでまたFという美少年と取り巻きのゴリラとカッパに出会った。彼らは中退した癖に何故また創価大学を受けているのか、と言って蔑称したが、裏にはそのような事情があったわけである。

私が早稲田大学に入った後で、その従兄弟と同じく創価学会本部会館の職員を務めている男と2人が私の住むアパートを訪ねて私を折伏(勧誘)しようとしたことがある。私は池田大作は日蓮を外護する四条金吾のような存在であるべきだ、と正論を主張したが、彼らは「天下を取らないと意味がない。那田君の考え方は素朴過ぎる」と言って帰っていった。

                

また思い出したことがあるのでここに書き留めることにしよう。私と私の母と、私の従兄弟と従姉妹の母親と4人で鎌倉の旅館に泊まったことがあった。私は従兄弟が仏壇の曼荼羅の横に池田大作の写真を置いてその写真と曼荼羅を同格に扱って勤行をしている姿を見たことがあるので、その過ち(池田大作本仏論)を指摘したところ、そんなことは絶対にしていないとシラを切った。さらに日蓮は莚を一枚もらっても丁寧な手紙を書いて釈尊の生まれ変わりかと思う、等々、今で言えばキチンとした領収書を出しているのに、何故創価学会は財務(いわばお布施のこと)に対して領収書を切らないのか、と詰問したところ、従兄弟は私が必ず領収書を出すように改革する、と言ったが創価学会が財務に対して領収書を切っているという話を聞いたことは今でもないし、今後もないだろう。

創価中学の思い出はまだまだあるが、とりあえずこれで終えることにする(思い出した時は、いつものように補筆として書き足すつもりです)。

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このブログも日本に240万サイトあるgooブログの中でアベレージが3千位前後になってきました。これまではヤバイ話やエロイ話の時にランキングが上になっていましたが、「日本会議とは」以降、硬い話の時もランキングが上になって来たのは非常に嬉しい限りです。

  


創価中学の思い出

2016年05月03日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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この二日は耳鳴りのためにブログを更新できなかったのは実に残念だ。耳鳴りはストレスや肩こりが原因と言われているが電磁波の影響でも起こることがある。私は探偵なので電磁波測定器を持っているが始終警告音がなる続けるし、夜中に激しい耳鳴りのせいで目が覚めることもあるので電磁波攻撃を受けている可能性も否定できない。

私が創価中学を受験したのは小学校を卒業するときに偶然にも創価学園の第一期生の募集があったからである。父親の膝に乗り愛媛から東京まで新幹線に乗って往復したことはよく覚えている。私は小学校のときは宿題もろくにしないのに学年一位をとる成績だったので受験勉強も全くしなかった。試験が終わったとき父親が今日の試験はどうだったか、と聞いた時に、簡単だった、と答えた。競争率は4倍だったがやはり合格していた。両親は受験させてみただけで本当は行かせたくはなかったのだが(私は一人っ子だったので)、今は知らないが当時の創価中学は教師はほとんど東大卒でエリート校を目指していたために自分一人の考えで上京することになった。

第一期生ということは中学生も高校生も学園の建物の三分の一しかいない、という環境に置かれるためにほとんどの顔と名前を知ることになる。今はフォーラム21などで創価学会批判を展開している乙骨正生の名前は全く記憶にないので地味な存在だったのだろう。神田という小説の上手い同級生がいたことは覚えている。

創価学園の生徒の大半は地方出身者なので私は寮に入っていた。そこでは4時間以上は勉強の時間があったが、私は勉強をやったことが無いので机に向かって俯いているうちに肋間神経痛になって治療したものだ。寮では俳句大会が毎月あり私は天地人の三賞のうちのどれかは受賞していた。というのも私は山本健吉の「現代俳句」という文庫本を何度も読んでほとんどの名句は暗記していたからだ。定期試験では真ん中ぐらいの成績だったが全国統一模試のように勉強ではなく応用力が試さる試験になると上から20位ぐらいには付けていた。

中高生という思春期の真っただ中で男子だけが集まるわけだから自然と同性愛的な雰囲気が生まれる。中退した後でヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を読んだ時に自分の自伝のような気がしたからそのような雰囲気が創価学園にもあったのだろう。神戸出身のFという同級生は勉強も運動も出来なかったがその容姿の美しさだけでゴリラのような大男とカッパのような小男を子分のようにして連れ歩いていた。また私は剣道部の副首相で彼はバスケ部の主将だったと記憶するが、ロングというあだ名の美少年は(彼は都内出身なので電車で通学していた)駅に着くたびに近所の女子中学生のファンが並ぶほどの美少年だった。私は体育館の更衣室でロングに後ろから抱きしめられて告白されたことをよく覚えている。ちなみ見性体験記の中に「剣道少年の思い出」があるが、当時のことはここに詳しく書いているので剣道を強くなりたい人はぜひ読んで頂きたい。

入学して1~2か月たったころに創立者の池田大作が寮に訪れたことがあった。生徒たちは次々と質問をしていったが、一人の生徒が「僕は将来外交官になりたいのですがどうすればなることが出来ますか?」と質問した時に、池田大作は咄嗟に「Can you speak English?」と言ったが、質問した生徒は狼狽するばかりで答えることが出来なかった。しかしこの英語は本当は間違っていることは大学生にでも分かることと思う。英語を喋る能力は誰にでもあるので「Do   you speak English?」と質問するべきである。語学が才能ではなくプレバイオプログラミングされていることを発見したのは構造主義言語学の成果である。この時から私は池田大作がペテン師だと分かったので中退するタイミングを計っていたわけである。

教員たちは押しなべていい人たちがいたと記憶している。私は池田大作の詩歌は下手糞だ、と発言して問題児になった。池田大作も参加した俳句の会には50人選ばれ、私もその中の一人として参加し、次のような俳句を詠んだ。

片隅に 浜木綿枯れし 無人駅

寒椿 つぼみに紅の 冬優し

最初の俳句は寂しさを強調するために三句とも寂寥とした風景を歌っているが所謂「ツケ過ぎ」であり、下の歌は敢えて二重季語を使っているのだが全てを言い切ってしまっており、余韻に乏しい。中学生の俳句としてはマァマァだが自分では頭で考えて作った俳句だと思う。ところが普段は美貌以外なんの才能もないように見えたFが次のような俳句を詠んだ。

カンナ見に寄る ガラス戸の 暖かさ

というものである。私はこの俳句を読んで才能というものには勝てないと思い、それ以来俳句を作るのを辞めることにした。

この俳句を巡っては幾つかエピソードがあるのでそれは明日にでも語ることにする。

中学時代の私の写真はいま手元に無いので私が大学生になった頃の写真をここに貼ることににします。

ついでに、いま物凄い耳鳴りがしてきました。誰かがこれ以上は書かないように警戒音を発しているのかもしれませんね。

ちなみに、その俳句大会で詠んだ池田大作の俳句は、「栄光の」とか「鳳雛は」といった大げさな決まり文句の俳句で私は子供心に「才能のない人だなぁ」と思ったが、黒板にチョークで書かれたその二句はスケッチなどを画用紙の上に固定させるスプレーを掛けられて、その教室は以後、開かずの扉となった。つまり私が入学した時点で池田大作本仏論は既成事実となっていたというわけである。