那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

植田カウンセラーの思い出(補筆2)

2016年05月12日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

決定版は出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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私には鬱病だけでなく、対人恐怖症や狂気恐怖という精神的な脆さがあった。幼稚園に行く前には母親の手を引っ張って幼稚園の様子を見に行き、早く入園したいとせがんだことを覚えてるのでその頃はまだ精神的な脆さは無かったのだろう(生まれるときの記憶がある人がいると聞きますが、私は母親にオムツを着替えさせられている記憶があります)。

小学校1年生の時から対人恐怖症が現れるようになり、最初の自己紹介の時に心臓がバクバクして息が止まり声が出なかった。何度か話している内にやっと普通に喋れるようになったものである。これは早稲田大学に入った時も続き、語学の授業で当てられて発表するのが嫌で授業をさぼったために2年間留年した。これ以上留年すると除籍という切羽詰まった段階で単位を取っていない語学の授業を一度に取ることにした。特に第二外国語のフランス語はアーベーセーから習う初級編と長文読解を同時に履修するという無茶なことをやったが、就職が決まっていても落第させるので有名な教授の長文読解の単位は驚くべきことにA評価で、どうにか卒業出来たものである。

私の対人恐怖は20人以上の前に出ると声が出なくなるというものだったので、大学院の授業ではそのような症状は出ずに済んだが、郷里に帰り那田塾を経営していた時も、たかが中学生を相手にしても20人以上いると心臓が苦しくなり声が中々出なかったことを覚えている。

その対人恐怖症や狂気恐怖(気が狂うのではないかという恐怖です)の症状を植田カウンセラーに話したところ、行動療法を教えてくれた。それは20人がOKなら次は30人の前で話し、それがOKなら次は40人の前で話すというものである。また植田カウンセラーは気が狂いそうな気分になった時は子供を抱きしめて頭にエントツが出ているイメージを抱いて狂気をそのエントツから出すようにするといい、とも教えてくれた。カウンセラーは鬱病や対人恐怖の心理状態に自分を追い込み、その解決方法を自分で研究するらしい。

私は小学校低学年の長女・朗理を抱きしめたり膝枕にして寝たものである。朗理は生まれつき癒しのパワーが強かったらしく膝枕にして寝ると実に楽な気持になったことを覚えている。

私は論文を書く時でも、資料が揃い構成も完璧に出来ているのに、最初の一行目は天から降りて来る、と言った詩人の発想で論文を書いていたために、どうしても論文を書くのが億劫になり遅れてしまうのである。

九州産業大学で日本映像学会の研究発表があり、私は愛媛から九州まで出かけて「小型映画の歴史と意義」と題した研究発表をしたことがあるが、その時も心臓がバクバクして最初の一声を出すのに苦労したものだ。もっとも他人にはそれは分からず堂々として見えていたそうである。その研究発表の概要はアメリカにもパトリシア・ツィマーマンという研究者がいて小型映画(アマチュア映画)の研究をしていること、そして日本おける小型映画の特徴だったが、パトリシの紹介だけで時間が来てしまった(多分どこの学会でも同じだと思うが、持ち時間はわずか20分しかない)。その研究発表の後で今は日本映像学会の会長を務めていると聞く武田潔が「自分の意見が無かったではないか」という批判をしてきたが、私は「要するに小型映画を皆さんの力で発掘保存するように呼び掛けて下さい」というアジテーションのような研究発表になってしまった。

その研究発表には文科省の役人になった佐伯という先輩(先輩といっても同い年で郷里は同じ愛媛です)も来ていたので、同じように小型映画の発掘と保存を呼びかけたところ完全に無視されてしまった。ところが外国で小型映画の発掘と保存を呼びかけることをテーマにしたキュレーターの大会があったのをきっかけに佐伯が当時勤めていたフィルムセンターにも小型映画専門の部門が置かれるようになった。私は当然自分がその役に付くものと期待していたが、驚いたことにフィルムセンターに勤めている後輩に聞いたところでは佐伯は「那田は今後立ち入り禁止にする」とうそぶいていたそうである(多分、私に対する言動が後ろめたかったんでしょうね)。

私は1980年代から小型映画に興味を持ち、1990年初頭から小型映画に関する論文を書いて来た。しかし後続の研究者たちは2010年以降に小型映画の論文(相当下らない論文です)をやっと書き始めるようになった。私の構想してきたものは時代の流れの20年以上は先に行っていることが多い。

例えばロータス文化学院は春名先生を囲む会の発展により継承されていくだろうし、善良な信者と手を結び組織の裏の顔を知らせて創価学会を内部分裂させる方法は今から20年後から実現していくに違いないと思う。

 



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