那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

創価中学の思い出(その2)

2016年05月04日 | 思い出の記

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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さて、私が絶賛したFという同級生が詠んだ俳句について当時懇意にしていたKEIZOさんという俳人の方から次のような感想が届いたことがある。

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俳句雑感

那田さんの「私と俳句」、拝読いたしました。

那田さんが、早熟な「俳句少年」であり、その手だれぶりと、
異常に鋭い感受性をお持ちだったことに驚嘆と感銘を覚えました。
愛媛(松山)には、那田さんのお父様のような方がたくさんおられ、
幼少時から師弟に俳句の語法やつぼを教える環境があるので、
たくさんの優秀な俳人が育つのかも知れんなあ、
と改めて「芸術と風土性」についても考えさせられました。

エッセイの中で、最も感銘したのは、
那田さんのF少年の作った

  カンナ見に寄るガラス戸の暖かさ

という句についての受け止め方です。
私も多少俳句をやるので、わかるのですが、
本当の意味で「選」または「鑑賞」が出来る人は、
いい俳句が作れる人同様、とてもまれだと思います。

中学生の那田さんが、この句を読んで

>この句を読んで、私はぶっとんだ。なんて凄い俳句なんだ、と思った。
>作者はカンナを見にガラス戸に顔を近づけている
>初夏の熱い空気がガラス戸を通して緩和され鼻を撫でる。
>目に見えるのは南米原産の強烈な色彩を持つカンナの花。
>視覚と皮膚感覚が手を携えて襲ってくる。
>庭のカンナとガラス戸のある家、という設定も美しい。
>また、作者はカンナだけを見ているのではない。
>ガラス戸に写った自分の顔も同時に見ているのだ。
>この俳句に漂うのは、少年のナルシシズムの匂いである。
>この感覚が素晴らしくいい。確かに、夏の季語「カンナ」を使いながら、
>「暖かさ」という中途半端な感覚で締めるのは、普通に考えると間抜けである。
>しかし、この「暖かさ」は気温の実感であるよりも、
>カンナと自分の顔が二重写しになった場面を目にした心の状態を示している。
>カンナを見ている自分自身への絶対的な信頼から生まれた「暖かさ」なのである。

と感じた感受性は尋常なものではないと思います。
まあ、ちょっと素晴らしい鑑賞文に水をさすようで
申し訳ないのですが、いちおう「カンナ」は秋の季語になっているので、
僕が思うに、F少年は「秋冷のなかに咲くカンナ」を詠ったのかも知れず、
そうすると「温かさ」という結句は、わりと素直な収め方になり、
那田さんご指摘の何かとても隠微なナルシシズム感が薄らぐように思いますが、
那田さんの「誤読」にせよ、絶世の美少年の「季語の無視」にせよ、
中学生の句会を通じて、そのような濃密で奥深い
文学的な場面が生じていたことは、とても驚きです。

しかも那田さんは、この俳句を読み、
自己の文学的才能を見限り、「筆を折る」という自己認識がすごい。

>私はつくづく、人間の才能というものには勝てないと悟った。
>こういう俳句は、自分の美しさと美意識に酔っている人間でないと作れない。
>ナルシストであるがゆえに作れる堂々とした美の世界である。
>私のように、神経質で、自己呵責が強い人間には逆立ちしても作れない。

は、世界の中での自分の位置付けや役割を、怜悧に見つめる
客観性(批評性)がないと、とても吐けない言葉で、
ゴミのような駄作を性懲りもなく撒き散らしている
僕のようなおめでたいおじさん趣味俳人とは
最初からとてもレベルが違うなあ、と恥ずかしくなった次第。

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ところが当時親しくしていた居田伊佐雄氏が、この俳句にケチを付けて来た。美少年という先入観を覗けばこの俳句は凡庸だというものである。しかし居田は俳句の素養はまるで無かった。多少なりとも俳句が分かれば、「カンナ見に寄るガラス戸」の部分にマヤ・デレンの映像のワンシーンを連想する筈である。https://www.youtube.com/watch?v=livMUiS2ZZM 思い出すと私が映像学(日本映像学会が出している機関紙)に書いた論文の抜き刷り(私の論文だけをリーフレット形式にしたもの)は毎回居田に送り、彼はそれを細かく添削して送って来たが、最初は親切心だと受け止めていたものの、今思えば常に自分が上位に立ちたかったのだろう。居田を「行動する保守」の運動に誘って炊きつけたのは私自身である。きっかけは司馬遼太郎の「峠」という小説を読むように勧め河井継之助が戦闘中仕方なしに地面に絵を描いている絵描きに向かって「戦時には絵描きは必要ないからお前たちは地面に絵を描くぐらいしかできないだろう。私たち武士が死んで平和な時代になったら存分に絵を描いて楽しめばいい」と述べたことを居田に教えたことと、居田の先祖が豪商だったので(私は当時から遺伝に興味があった)、「居田さんの先祖には道楽者がいて絵でも描いていたんでしょう。その血が居田さんにも流れているんでしょうね」と言ったことに反発して政治的な運動に進んで行ったと思われる。

また居田が竹島は日本の領土であることを示す500円のTシャツを私にくれたお返しに、微笑禅の会のロゴ入りに2万近いジャケットをプレゼントした時、開封もせずに送り返してきた。私は驚いて電話を掛け「居田さんと私の仲では無いですか。別に微笑禅の会へ入って欲しいというのではなく、部屋にでも飾って欲しいだけですよ」というと「私は変人だから気にしないでくれ」と答えた。

また、私が創価工作員を最高裁まで追い詰めた時、居田の証言書だけが証拠価値が無いという指摘があったために再度証言書を送って欲しいと電話で依頼したが、全く反応は無かった。さらにmixiに私を絶賛する紹介文を書いていたが、突然それを消してしまった。その紹介分をここに採録する(利益が発生しないので著作権法違反ではありません)

「日本の個人映画のシーンにこの人が登場したときには、論証的であると同時に感受性に裏打ちされた豊かな文章で実験映画を批評することができるのを知って驚きました。これは画期的で、思いがけないことでした。よほどの才能がなければできません。映像作家数人分の価値が優秀な批評家にはあると思ったものでした。 

芸術家の心を持った無頼派の批評家であり、好き嫌いが激しいのですが、それゆえ好きになったものに対する執着の仕方は普通ではありません」 

 せっかく褒めてもらったものだが、この文章には論理的欠点がある。それは作家と批評家を同列に論じている点である。個人映像の場合は映画年鑑にも載らないのだから、批評家が文章を残さないと存在しないことと同じになる。この文章を読むと居田が映像作家至上主義の立場に立っていることがよく分かる。

しかも最初、居田は西村修平さんのファンで「あの人のパフォーマンスは芸術的で人を惹きつける」などと言っていたが、西村さんが「私は在特会とその仲間たちではない」(つまり瀬戸弘幸氏を批判している訳です)とブログで立場を鮮明にしているにも関わらず、いまに至っても瀬戸弘幸氏と一緒に街宣に参加してプラカードなどを持っている。

私がこのブログと同時にHPの中に置いている「レアフィルム批評アーカーイブ」は劇映画が終わり、これからは実験映画の批評をすべきなのだが、気が進まないのは、ちょうど大岡昇平が「中原中也」という伝記の中で「中也本人を知らずに純粋に彼の詩だけを鑑賞できる人は幸せだ」と述べている心境が良く分かるからである。

私はしばしば日本のシュルレアリストは寺山修司と松本俊夫を除けば、自分の精神的な病を克服するために作品を作っている、と述べることがある。いわばフロイトの言う昇華の理論である。

さて創価中学の思い出に戻ることにしよう。私は中学3年の夏休みに郷里に帰ったのをきっかけに創価中学を中退することを決心した。というのは郷里の友人を見ていると、創価中学の同級生たちよりも遥かに純朴だったからだ。これでは題目を唱える意味が無いと分かった。とりわけ大阪の公明党の市会議員の息子で佐伯という人物は実に軽薄で自分が市会議員の息子だということを鼻に掛けていたし、ある軽薄な男が更衣室で着替えをしている私の金的に膝蹴りを入れたので私が咄嗟にフックを返したところ数メートルも向こうにすっ飛んだことなどを思い出す。

中退すると告げると担任、学年主任、学園長の小山内らが「池田先生の顔に泥を塗るのか」と言って必死に引き留めようとした。私は日蓮を尊敬しているから創価中学に入ったのであり、池田大作を尊敬しているわけでは無い。と言って引き留める教師たちを無視した。小山内は激高したのか私に向かって「女でも出来たんだろう」と言ったが、今の中学生ならいざ知らず、昭和31年生まれの私の世代で中学生に女が出来るなどという話は聞いたことはない。これは心理学では投影と言って、小山内に愛人がいるから咄嗟にそのような邪推をしたのに違いないと思う。

私は中学から高校までの間、剣道の試合で一本も取られたことが無かった。それは、一本を取られることは即、死を意味すると分かっていたからである。

また思い出したことがあるので書いておくことにする。私は知能の面で自分より上でとてもかなわないと思う人物に二人会ったことがある。それは創価中学の寮に住んでいた時に出会った男で、私と同じように勉強をしないのだが常にトップ3ぐらいに入っていた男と、大学院で文化人類学と言語学を習った西江雅之先生である。西江先生の場合は食べ物からして変わっていた。素材の見える食べ物しか食べない。お宅にお邪魔したときにご馳走してもらったが、出された料理はカンガルーのステーキ、トウモロコシ、アフリカで採取した木の実のみであった。

私は現役の時も浪人の時も創価大学を受験して合格した。後日「尚史君は創価学会の第一の標的になっている」と親族に漏らした(八王子市にはその証言書を提出してある)従兄弟がどうしても創価大学を受験するように勧めたからだ。そこでまたFという美少年と取り巻きのゴリラとカッパに出会った。彼らは中退した癖に何故また創価大学を受けているのか、と言って蔑称したが、裏にはそのような事情があったわけである。

私が早稲田大学に入った後で、その従兄弟と同じく創価学会本部会館の職員を務めている男と2人が私の住むアパートを訪ねて私を折伏(勧誘)しようとしたことがある。私は池田大作は日蓮を外護する四条金吾のような存在であるべきだ、と正論を主張したが、彼らは「天下を取らないと意味がない。那田君の考え方は素朴過ぎる」と言って帰っていった。

                

また思い出したことがあるのでここに書き留めることにしよう。私と私の母と、私の従兄弟と従姉妹の母親と4人で鎌倉の旅館に泊まったことがあった。私は従兄弟が仏壇の曼荼羅の横に池田大作の写真を置いてその写真と曼荼羅を同格に扱って勤行をしている姿を見たことがあるので、その過ち(池田大作本仏論)を指摘したところ、そんなことは絶対にしていないとシラを切った。さらに日蓮は莚を一枚もらっても丁寧な手紙を書いて釈尊の生まれ変わりかと思う、等々、今で言えばキチンとした領収書を出しているのに、何故創価学会は財務(いわばお布施のこと)に対して領収書を切らないのか、と詰問したところ、従兄弟は私が必ず領収書を出すように改革する、と言ったが創価学会が財務に対して領収書を切っているという話を聞いたことは今でもないし、今後もないだろう。

創価中学の思い出はまだまだあるが、とりあえずこれで終えることにする(思い出した時は、いつものように補筆として書き足すつもりです)。

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このブログも日本に240万サイトあるgooブログの中でアベレージが3千位前後になってきました。これまではヤバイ話やエロイ話の時にランキングが上になっていましたが、「日本会議とは」以降、硬い話の時もランキングが上になって来たのは非常に嬉しい限りです。

  



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