那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

創価中学の思い出

2016年05月03日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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この二日は耳鳴りのためにブログを更新できなかったのは実に残念だ。耳鳴りはストレスや肩こりが原因と言われているが電磁波の影響でも起こることがある。私は探偵なので電磁波測定器を持っているが始終警告音がなる続けるし、夜中に激しい耳鳴りのせいで目が覚めることもあるので電磁波攻撃を受けている可能性も否定できない。

私が創価中学を受験したのは小学校を卒業するときに偶然にも創価学園の第一期生の募集があったからである。父親の膝に乗り愛媛から東京まで新幹線に乗って往復したことはよく覚えている。私は小学校のときは宿題もろくにしないのに学年一位をとる成績だったので受験勉強も全くしなかった。試験が終わったとき父親が今日の試験はどうだったか、と聞いた時に、簡単だった、と答えた。競争率は4倍だったがやはり合格していた。両親は受験させてみただけで本当は行かせたくはなかったのだが(私は一人っ子だったので)、今は知らないが当時の創価中学は教師はほとんど東大卒でエリート校を目指していたために自分一人の考えで上京することになった。

第一期生ということは中学生も高校生も学園の建物の三分の一しかいない、という環境に置かれるためにほとんどの顔と名前を知ることになる。今はフォーラム21などで創価学会批判を展開している乙骨正生の名前は全く記憶にないので地味な存在だったのだろう。神田という小説の上手い同級生がいたことは覚えている。

創価学園の生徒の大半は地方出身者なので私は寮に入っていた。そこでは4時間以上は勉強の時間があったが、私は勉強をやったことが無いので机に向かって俯いているうちに肋間神経痛になって治療したものだ。寮では俳句大会が毎月あり私は天地人の三賞のうちのどれかは受賞していた。というのも私は山本健吉の「現代俳句」という文庫本を何度も読んでほとんどの名句は暗記していたからだ。定期試験では真ん中ぐらいの成績だったが全国統一模試のように勉強ではなく応用力が試さる試験になると上から20位ぐらいには付けていた。

中高生という思春期の真っただ中で男子だけが集まるわけだから自然と同性愛的な雰囲気が生まれる。中退した後でヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を読んだ時に自分の自伝のような気がしたからそのような雰囲気が創価学園にもあったのだろう。神戸出身のFという同級生は勉強も運動も出来なかったがその容姿の美しさだけでゴリラのような大男とカッパのような小男を子分のようにして連れ歩いていた。また私は剣道部の副首相で彼はバスケ部の主将だったと記憶するが、ロングというあだ名の美少年は(彼は都内出身なので電車で通学していた)駅に着くたびに近所の女子中学生のファンが並ぶほどの美少年だった。私は体育館の更衣室でロングに後ろから抱きしめられて告白されたことをよく覚えている。ちなみ見性体験記の中に「剣道少年の思い出」があるが、当時のことはここに詳しく書いているので剣道を強くなりたい人はぜひ読んで頂きたい。

入学して1~2か月たったころに創立者の池田大作が寮に訪れたことがあった。生徒たちは次々と質問をしていったが、一人の生徒が「僕は将来外交官になりたいのですがどうすればなることが出来ますか?」と質問した時に、池田大作は咄嗟に「Can you speak English?」と言ったが、質問した生徒は狼狽するばかりで答えることが出来なかった。しかしこの英語は本当は間違っていることは大学生にでも分かることと思う。英語を喋る能力は誰にでもあるので「Do   you speak English?」と質問するべきである。語学が才能ではなくプレバイオプログラミングされていることを発見したのは構造主義言語学の成果である。この時から私は池田大作がペテン師だと分かったので中退するタイミングを計っていたわけである。

教員たちは押しなべていい人たちがいたと記憶している。私は池田大作の詩歌は下手糞だ、と発言して問題児になった。池田大作も参加した俳句の会には50人選ばれ、私もその中の一人として参加し、次のような俳句を詠んだ。

片隅に 浜木綿枯れし 無人駅

寒椿 つぼみに紅の 冬優し

最初の俳句は寂しさを強調するために三句とも寂寥とした風景を歌っているが所謂「ツケ過ぎ」であり、下の歌は敢えて二重季語を使っているのだが全てを言い切ってしまっており、余韻に乏しい。中学生の俳句としてはマァマァだが自分では頭で考えて作った俳句だと思う。ところが普段は美貌以外なんの才能もないように見えたFが次のような俳句を詠んだ。

カンナ見に寄る ガラス戸の 暖かさ

というものである。私はこの俳句を読んで才能というものには勝てないと思い、それ以来俳句を作るのを辞めることにした。

この俳句を巡っては幾つかエピソードがあるのでそれは明日にでも語ることにする。

中学時代の私の写真はいま手元に無いので私が大学生になった頃の写真をここに貼ることににします。

ついでに、いま物凄い耳鳴りがしてきました。誰かがこれ以上は書かないように警戒音を発しているのかもしれませんね。

ちなみに、その俳句大会で詠んだ池田大作の俳句は、「栄光の」とか「鳳雛は」といった大げさな決まり文句の俳句で私は子供心に「才能のない人だなぁ」と思ったが、黒板にチョークで書かれたその二句はスケッチなどを画用紙の上に固定させるスプレーを掛けられて、その教室は以後、開かずの扉となった。つまり私が入学した時点で池田大作本仏論は既成事実となっていたというわけである。