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那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

最初の探偵依頼者の話

2016年05月19日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

決定版は出版される可能性もあることをお知らせします(あまり期待しないでください)。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。愛媛の有馬さんもクリックをお願いします。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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私が初めて探偵認可を受けたのは平成21年の5月14日である。普通は10日から2週間ほどかかるのを八王子警察の星警部補のおかげでたった4日で認可を受けた話は、「星警部補の思い出」の中で述べた。

最初に探偵依頼をしてきたのは被害者の男性の友人と名乗る女性であった。その内容はかなり熾烈なもので、普通はこのような相談はもっと離れたところにある探偵事務所で行うのだが、私の事務所から被害者の家まではすぐ近くにあったので驚いたものだった。

その内容というのは被害者の男性が結婚した女性は元デリヘル嬢で、彼女の裸の写真が歌舞伎町あたりの風俗街で無料で山積みされているために離婚したいという内容である。(多分、今でも歌舞伎町に行けばそのような雑誌があるはずです)

離婚を切り出すと元デリヘル嬢の奥さんが自殺未遂を繰り返すので離婚することが出来ず、その上に奥さんの母親が住む近くに高いマンションを交わされている、という内容だった。

私は被害者の友人と名乗る女性に本人訴訟を勧めたが、その女性はしばらく考えます、と言って帰ってしまった。暫く経ってまた相談に来た時には、やはり弁護士に頼んで解決する、とのことだった。

ところで当時使っていた探偵事務所については面白い出来事があったのでこの際に述べることにしよう。

妻子が突然失踪したのが8月18日であり、DVシェルターに入ったことが分かったのは9月1日であった。八王子警察の生活安全課の方から「とにかく生きていて良かった。DVシェルターに入られると警察も手が出せないがとにかく頑張って下さい」と励まされたことはよく覚えている。

私は研究者の血も騒ぎDVシェルターとはどういう所か徹底的に調べてみた。DVシェルターには公営と民営とNPO法人などがあり、特に民営のDVシェルターには日本を破壊しようと企んでいる組織が混じっているのである。そしてDVシェルターに入った未成年者には携帯を持たせないとか、テレビを見せないとかの罰則を与えて、安定剤を過剰投与しカウンセリングと称して洗脳を施すということが分かった。

そこで当時作っていた掲示板に「これでは監禁と同じではないか、子供の権利条約に反するのではないか」と書きこんだところ、突然探偵事務所の大きな事務机の上に子供の携帯が置かれていたのである(今でもその携帯は取ってあります)。

実は妻子が突然失踪した後で、バイトの女の子を雇って元の妻と長女が住んでいた部屋を大掃除をして前の様子と全く違う部屋に変えて探偵事務所に、いわばリフォームのように、作り変えていたのだった。だからそこの突然携帯を置いたということは、以前の妻子の部屋の様子をしらないDVシェルターの職員が妻子が持っていた鍵を勝手に使って泥棒のように忍び込んだに違いない。

このことはバイトで雇った女の子にメールを出して大掃除をした日付を送ってもらい、それをパソコンに入れて保存していたが、いつものように外部からの侵入でその証拠が消えてしまった。しかし、私は当時私のマンションで同居していた東京工芸大学の教え子の浅野という男にパソコンの内容をメールに添付して送ったので、浅野が几帳面な男なら今でも保存していると思う。

DVシェルターとはこういう工作を平気でする所だということを知らせたくてこのブログを書いた次第である。


奥嵯峨鳥居本平野屋の邦江さんの思い出

2016年05月16日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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私が早稲田大学に落ちて甲南大学に通っていた頃の話である。甲南大学は西の学習院と言われある意味では理想的な大学だった。私が背が高いので応援部に勧誘されたが、甲南大学のようなナンパな大学の応援部では恰好が悪いと断り、ろくに授業に出なかったところ、実家に電話があって、今後応援部からの勧誘を禁止するからぜひ授業に出て欲しい、とまで大学が学生を心配するマレな大学だった。

学生の大半は企業経営者の子息たちで8割が卒業までに海外旅行をしており、大学の周りには何台もの高級外車が違法駐車をしているので、しばしば大学から注意されていた。また大学の周りには学生街が出来るのが普通だが、甲南大学の学生たちは授業が終わると三ノ宮などに遊びに出かけるために学生街は全くないという不思議な街並みだった。

私は音楽(私が一弦琴が弾けるのは音楽の授業で人間国宝の一弦琴奏者の演奏を聞いたからである)と体育(体育の時間では短距離競争も卓球も優勝した)の授業しか取らず、昼からウィスキーにブロバリン(市販の睡眠薬です)を混ぜて、簡単に言えばラリった状態でボードレールや中原中也の詩の世界を感性的に理解しようとしていた。そのために便器がオレンジ色に染まっていたのを覚えている。ちなみに中原中也の「朝の歌」が大好きで丸暗記してその心境を理解しようとしていた。「朝の歌」とは以下の通りである。

天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽(ぐんがく)の憶(おも)い
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

 

樹脂の香(か)に 朝は悩まし
  うしないし さまざまのゆめ、
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな

 

ひろごりて たいらかの空、
  土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

今はこのような寂しすぎる詩歌は好きではないが当時はこのような詩歌に魅力を感じていたのだから相当に陰鬱な気持だったのだと思う。甲南大学には唯一親友と呼べる男がいて彼は須磨区で一番税金を払っている貿易商の息子だった。私の住むマンションに来てお互いの詩を批評しあったり、彼の運転で六甲山に行ったことを覚えている。後日彼に手紙を出そうと思い甲南大学に連絡したが名前を覚えていなかったので調べようがない、という返事だった。

私の親友に草野という草野一家(有名な暴力団のほうではなく、地元に根付いている昔気質のヤクザだと思います)の御曹司がいて同志社大学に通っていた。そこで月に一度は草野と京都にある奥嵯峨鳥居本の平野屋という料亭で遊ぶことにした。その料亭は池の周りに自生しているフキを一皿注文するだけで2千円もするという思い切り高級な料亭だったが、私が草野(後に市会議員になっています)と平野屋に通ったのはそこの若女将が物凄い美人だったからである。芸能人は別としてあれほどの美人を見たことはこれまでにもない本当に物凄い美人だった。特に夏、平野屋に行った時に、邦江さんは沙の浴衣を着て耳に黒いピアスをして出迎えてくれた時は、本当に胸がドキドキしたものである。

後日、早稲田大学に入った後で平野屋を訪ねたところ、邦江さんはおらず、「おたべ」というお菓子に似た小太りのおばさんがいた時には本当にガックリしたものである。高校の同級生が京都市立大学に入っていたので聞いたところ、邦江さんは有名な女性で画学生がしばしばモデルを頼んだと聞いた。もう一度会いたいので、もし邦江さんを知っているひとがいれば左のブックマークから入って「ロータス人づくり企画」から連絡先を探し私がまた会いたがっている、と邦江さんに伝えて下さい。

私が甲南大学を中退して早稲田大学を受験したのは、同級生のカンナ屑のように薄っぺらい男が私を侮辱したからである。詳しくは見性体験記の「浪人時代」に書いているが、要するに「3か月は5時間だけは勉強する」と決心して早稲田大学教育学部、同文学部、学習院大学文学部史学科に合格したわけである。(某中卒の司法書士が一日に15時間は勉強をすること、と講演していましたが、私はこの勉強法は間違っていると思います。集中していれば5時間で十分な筈ですから)。

今思えば、甲南大学に留まっていれば大企業の重役程度にはなっていたと思うし、学習院大学文学部史学科は今の皇太子殿下の入ったところだから先輩として学友になった可能性もある。また早稲田大学教育学部は満点で合格したので学費免除の上にどこかの校長になっていたと思う。言うまでもなく大学院の指導教授に絶縁状を書かなければ今頃は間違いなくどこかの教授になっていた筈である。だが、そのようなエスタブリッシュメントの中に入れば「踏み絵」を踏まされるので私のように創価学会や政権や有名人を批判できない、牙を抜かれた虎のような存在になっていただろう。私は様々な不安定要素があるとしても現在の自由な立場に満足している。

だから、私は全く悔やんでいない。それはその時その時の総合的な直観力というか霊感が決めたものなので、恐らく晩年に後悔しない道を選んだのでだろう。私は「狭き門より入れ。滅びに至る門は大きくその路は広く、これより入る者多し。いのちに至る門は狭く、その路は細く、これを見出す者なし」をモットーにしていますから。

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これとは全く関係のない話ですが、goo事務局からメールがあり、金子遊がまたこのブログに難癖を付けて来たときはこのブログが閉鎖される可能性も無きにしもあらずとのことです。これは言論の封殺、批評の弾圧と言えます。このブログを閉鎖することに反対の方はgoo事務局に抗議してください。

https://goo.e-srvc.com/app/ask/p/916/rnt_subject/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%8A%E5%95%8F%E3%81%84%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B


幼いころの初恋の思い出

2016年05月15日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

決定版は出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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私が最初に異性を好きになったのは見性体験記にも書いてある通り真理ちゃんという親戚の女性である。真理ちゃんは私の父親の養女の娘に当たる。つまり私の孫になるが年上という不思議な間柄だった。ちなみに私の父親の幼女の姉の夫は国土大臣を務めたこともある西田司で、私とは義理の義理の兄弟になるわけだ。

次に異性を好きになったのは造園業の娘さんでIMさんだった。色黒だったが優しい雰囲気をしたおとなしそうな女性だった。のちに私は次のような五行歌を詠んでいる。

キンモクセイの下を 白いカーディガンを着た 同級生の女の子が歩く姿に ドキッとしたよ 内科医院の帰り道

一見素朴な歌だが、なんとも言えず郷愁をそそるこの歌に詠みこまれた風景を私は気に入っている。彼女は学校を卒業した後に小豆島に就職をしたらしい。

次に好きになった異性は遠山(東山かもしれません)志津子という女性で、小学校から私が級長、彼女が副級長という間柄だった。教員の娘で、教員が住む町営住宅に住んでいた記憶がある。中学に入るときに家族ごと移転したので忘れていたが、私が大学院を修了して郷里に帰っていた時、「太郎」という割烹(返杯の作法が残っている所です)に飲みに行った時に、何人かで広島に遊びに行ったとき、広島駅のガード下にある「皇」という漢字のあるスナックに飲みに行ったところ、その遠山(東山)さんがそのスナックのママになっていて私に会いたいので伝言して欲しい、と言っていたと聞いた。

もし遠山(東山)さん本人か、知り合いの人がいたら私の連絡先を探してください。「那田尚史」か「ロータス人づくり企画」で検索をかけると分かります。


植田カウンセラーの思い出(補筆3)&主権回復を目指す会より

2016年05月13日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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私が対人恐怖症になった原因は、自分の完全主義的性格により相手を怜悧に分析する鋭い目つきが相手の方に投影するからである。つまり、相手が中学生でも日本映像学会に出席した研究者であっても、彼らが私を怜悧に分析しているのではないかという無意識が働き、声が出なくなり心臓がバクバクする、という原理なのだ。しかし鬱病も対人恐怖症も狂気恐怖も、また原稿を書く時や確定申告などをするときの逃避行動も、見性体験により一発で治っている。ブログを読んでいる皆様にもぜひ微笑禅の会に入会されることをお勧めします(非宗教ですから、創価学会員でも幸福の科学の信者でも天理教の信者でもキリスト教徒でも伝統仏教の信者でも、誰でも会員になることが出来ます)。

それでは主権回復を目指す会からのメルマガをお読みください。

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月刊誌『WiLL』と松田晃平君の「義挙」
http://nipponism.net/wordpress/?p=32709

     <状況を客観視できない知の劣化
         立ちションベンを「義挙」と持ち上げるネット保守の腑抜け >

かつて慰安婦強制連行など、対シナ・朝鮮との歴史問題で共に抗議活動を戦ってきた松田晃平君が、月刊誌『WiLL』の皇室問題の対談に「内容が不敬」だとして事務所内の床をペンキで汚し、消火器を噴射した廉(かど)により住居不法侵入などで逮捕された。このアクションがネット保守などから、「義挙」などと頻りに持ち上げられているが不可解というより、状況を客観視できない知の劣化を感じてならない。

【義憤を表現できない未熟】
松田君の抗議文なるものも見たが、抗議の対象となる皇室に対する「不敬」の問題が具体的にも論理的にも全く展開されていない。つまり、抗議文の体を為していない。まともな抗議文すら書けないでは「右翼団体理事」の名が泣く、「右翼」の名誉にも関わるというものである。彼はこの抗議文の中で、「諫言」なる言葉を使用しているが、諫言とは目上・上位の人に対して忠告するという意味である。不敬を働く月刊『WiLL』に使う言葉ではないだろう。万人を納得させ、感泣せしめる檄文を作成できる素養がなっていないと言わざるを得ない。

しかも松田君の抗議は連休最中の、しかも夜の11時頃、人通りの途絶えた時間帯、人目を避けてである。己の信じる正義を掲げ、なぜ堂々と編集部員のいるま真っ昼間に乗り込んで行かなかったのか。これでは皇室に思いを馳せる松田君の義憤が、行動においても心情的にも全く世間に伝わらないのである。これをもてはやす連中だけが無責任に騒いでいるだけだ。

【嫌がらせの立ちションベン】
テレビ画像で見たが床の一部がペンキで汚れていたが、室内はデスクの上のパソコンなどは綺麗なままで消火器の泡さえ見られない。「皇室への不敬」に対して、憤怒をぶっつけるために『WiLL』に乗り込んだのではなかったのか。向こう数ヶ月又は半年でも業務の再開を不可能にしたやる怒りが微塵も感じられない。新聞などは器物破損ではなく、住居不法侵入と報道したが納得してしまう由縁である。これを「義挙」として持ち上げるなど極めて噴飯物である。

なぜ、デスク上のパソコンの類に黒ペンキをぶちまけ、皇室の不敬を働く編集機能を破壊しなかったのか。ただ床を汚しただけ、『WiLL』に取っては痛くもかゆくもない。逆に「WiLL」は内部の人事問題で売り上げも鈍っているなか、同誌の宣伝効果を上げるうえでは、またとない「義挙」を為してくれた松田君に深く感謝しているに違いない。事務所に、嫌がらせの立ちションベンしただけの結果に終わってしまった。

【舞い上がるなど自戒に自戒を】
本人は接見禁止がつけられているので面会もままならないが、行為と結果の落差を今一度冷静に客観視して貰いたい。ましてや今回の抗議を、「愛国運動の鏡」などともてはやす連中を見受けるが、立ちションベンの類を「義挙」ともてはやす胡散臭さに知の劣化を垣間見るだけである。

松田君とは彼の高校時代からの付き合い故、敢えて苦言を呈するのであって、結果の割に合わない自暴自棄の行為が残念でならない。今回の行動を「義挙」などともてはやされ、舞い上がるなど自戒に自戒を心し、経験から教訓を導き出すよう願って止まない。

下記は今から7年前のことだが、月刊『WiLL』に抗議街宣をかけ、編集部で社長、編集長らと直談判した記録である。↓

揺るがぬ事実を前に言い訳に終始した花田紀凱『will』編集長
 (平成21年2月6日)
  http://www.shukenkaifuku.com/past/KoudouKatudou/2009/090206.html
 

さらに皇室の不敬問題に関する件は、今から17年前にさかのぼる抗議行動を思う。『週刊朝日』と『サンデー毎日」が雅子妃殿下のご懐妊を嘲笑し不敬を働いた。これに対して、「政経調査会」の槇泰智氏と二人で猛抗議を展開して、両誌の編集部に乗り込み、編集長や記者を締め上げ謝罪させた。「皇室の不敬」ということで、松田君のこの度の抗議行動でふと思いついた。

【皇室にセクハラを働いた『週刊朝日』(99年12月24日】

 『お二人の愛の結実は熊本で、だった』『週刊朝日』(99年12月24日号)

週刊朝日(99/12/24号)は、「本誌が入手した雅子さまの体のリズムを考えると、皇太子夫妻のベビーは11月前半ごろ結実したことになる。なかでも可能性が高そうな11月5日から7日にかけて、皇太子夫妻は、熊本で開かれた全国身体障害者スポーツ大会を視察して…」とまで書いていた。

『週刊朝日』平成11年1月21日号。雅子妃殿下に対してあり得ないセクハラを働いた不敬を徹底糾弾した。大森編集長の引責辞任と記者本人の停職を求めて複数回談判を重ねた。朝日新聞本社前では、極秘入手のチラシ「朝日女子社員○○日一覧表」を配布して、社員等にセクハラの是非を問い質した。今から17年前、朝日新聞はセクハラでも先駆者だったのである。(※画像クリック拡大)
 

【朝日の不敬を後追いした『サンデー毎日』(99年2月7日)】
『サンデー毎日』は『雅子様の“存在感”』(99年2月7日)とタイトルを打って、小宮美香記者が、「最近は腹をおすえになったのか、存在感もご覧の通り、“デーン”と増した・・・」と嘲(あざけ)った。
 
小宮美香記者ご自身が、『サンデー毎日』のグラビアに登場してはしゃいでいるお顔を掲載しているので早速拝借、『サンデー毎日の美人編集者が赤裸々な・・・」と題したチラシを竹橋の毎日新聞社前で配布、激励を含めたたくさんの反響を頂いた。
 
このチラシ撒きが相当応えたらしく、山本編集長は音を上げて槇泰智氏を交えた談判に下ってきた。小宮記者の処分などを掲げて交渉を重ねたが、結局、「編集後記」のお詫び掲載を落としどころと定めて決着させた。(※画像クリック拡大)

 


植田カウンセラーの思い出(補筆2)

2016年05月12日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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私には鬱病だけでなく、対人恐怖症や狂気恐怖という精神的な脆さがあった。幼稚園に行く前には母親の手を引っ張って幼稚園の様子を見に行き、早く入園したいとせがんだことを覚えてるのでその頃はまだ精神的な脆さは無かったのだろう(生まれるときの記憶がある人がいると聞きますが、私は母親にオムツを着替えさせられている記憶があります)。

小学校1年生の時から対人恐怖症が現れるようになり、最初の自己紹介の時に心臓がバクバクして息が止まり声が出なかった。何度か話している内にやっと普通に喋れるようになったものである。これは早稲田大学に入った時も続き、語学の授業で当てられて発表するのが嫌で授業をさぼったために2年間留年した。これ以上留年すると除籍という切羽詰まった段階で単位を取っていない語学の授業を一度に取ることにした。特に第二外国語のフランス語はアーベーセーから習う初級編と長文読解を同時に履修するという無茶なことをやったが、就職が決まっていても落第させるので有名な教授の長文読解の単位は驚くべきことにA評価で、どうにか卒業出来たものである。

私の対人恐怖は20人以上の前に出ると声が出なくなるというものだったので、大学院の授業ではそのような症状は出ずに済んだが、郷里に帰り那田塾を経営していた時も、たかが中学生を相手にしても20人以上いると心臓が苦しくなり声が中々出なかったことを覚えている。

その対人恐怖症や狂気恐怖(気が狂うのではないかという恐怖です)の症状を植田カウンセラーに話したところ、行動療法を教えてくれた。それは20人がOKなら次は30人の前で話し、それがOKなら次は40人の前で話すというものである。また植田カウンセラーは気が狂いそうな気分になった時は子供を抱きしめて頭にエントツが出ているイメージを抱いて狂気をそのエントツから出すようにするといい、とも教えてくれた。カウンセラーは鬱病や対人恐怖の心理状態に自分を追い込み、その解決方法を自分で研究するらしい。

私は小学校低学年の長女・朗理を抱きしめたり膝枕にして寝たものである。朗理は生まれつき癒しのパワーが強かったらしく膝枕にして寝ると実に楽な気持になったことを覚えている。

私は論文を書く時でも、資料が揃い構成も完璧に出来ているのに、最初の一行目は天から降りて来る、と言った詩人の発想で論文を書いていたために、どうしても論文を書くのが億劫になり遅れてしまうのである。

九州産業大学で日本映像学会の研究発表があり、私は愛媛から九州まで出かけて「小型映画の歴史と意義」と題した研究発表をしたことがあるが、その時も心臓がバクバクして最初の一声を出すのに苦労したものだ。もっとも他人にはそれは分からず堂々として見えていたそうである。その研究発表の概要はアメリカにもパトリシア・ツィマーマンという研究者がいて小型映画(アマチュア映画)の研究をしていること、そして日本おける小型映画の特徴だったが、パトリシの紹介だけで時間が来てしまった(多分どこの学会でも同じだと思うが、持ち時間はわずか20分しかない)。その研究発表の後で今は日本映像学会の会長を務めていると聞く武田潔が「自分の意見が無かったではないか」という批判をしてきたが、私は「要するに小型映画を皆さんの力で発掘保存するように呼び掛けて下さい」というアジテーションのような研究発表になってしまった。

その研究発表には文科省の役人になった佐伯という先輩(先輩といっても同い年で郷里は同じ愛媛です)も来ていたので、同じように小型映画の発掘と保存を呼びかけたところ完全に無視されてしまった。ところが外国で小型映画の発掘と保存を呼びかけることをテーマにしたキュレーターの大会があったのをきっかけに佐伯が当時勤めていたフィルムセンターにも小型映画専門の部門が置かれるようになった。私は当然自分がその役に付くものと期待していたが、驚いたことにフィルムセンターに勤めている後輩に聞いたところでは佐伯は「那田は今後立ち入り禁止にする」とうそぶいていたそうである(多分、私に対する言動が後ろめたかったんでしょうね)。

私は1980年代から小型映画に興味を持ち、1990年初頭から小型映画に関する論文を書いて来た。しかし後続の研究者たちは2010年以降に小型映画の論文(相当下らない論文です)をやっと書き始めるようになった。私の構想してきたものは時代の流れの20年以上は先に行っていることが多い。

例えばロータス文化学院は春名先生を囲む会の発展により継承されていくだろうし、善良な信者と手を結び組織の裏の顔を知らせて創価学会を内部分裂させる方法は今から20年後から実現していくに違いないと思う。

 


植田カウンセラーの思い出(補筆)

2016年05月10日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

決定版は出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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田辺浩三という高知に住む私の親友が作った上映会に行ったときのことである。影の薄い、まるでモジリアーニや竹久夢二が描く女性のような女子高校生と出会った。

何故かは分からないが私はその女子高校生に異常なほどの惹かれ方をした。私は彼女(これからOYと呼びます)の写真を撮って植田カウンセラーに自分の感情を説明したところ、OYは私のアニマ(私の中にある女性的な元型)だというのである。そして非常に暗い印象の女性ですね、と言った。(今の私は別人のように変化したので、どちらかと言えば坂本龍馬の妻のお良さんのような意志の強い女性に惹かれる。ストライクゾーンが狭いのは相変わらずですが。お良さんも絶世の美女だったと言われていますからね)

私はOYの写真を見ながら頭を抱えるほどの状態になってしまった。そして大学受験の時にアドバイスを求めて来たので私は出来る限りのアドバイスをした。例えば早稲田大学の場合、1問の間違いはセーフだが3問間違えるとアウトになるといった具合である。そして時々は差し入れまでして応援した。その様子を見た私の元の妻は「私は一体なんなのよ!」と言って怒っていたが元型のなせる業なので仕方のないことだった。OYは差し入れをしたときだけは電話でお礼を言ったが、それ以外には全く電話を掛けて来なかった。

田辺浩三が井筒和幸監督を呼んで上映会を催した時のことである。井筒監督は酒癖が悪いのと女癖が悪いのを合わせたような人物だったので、OYを自分の横に置こうとしたが、私が間に入って邪魔をしたために井筒監督は不満気な顔を見せ、ふてくされた態度で一貫した。そのときに私はOY(キリスト教徒だった)に、何故イエスがエルサレムでしたのは神殿で商売人を追い出すことだったのか?と質問したところOYは「多分商売人が嫌いだったからじゃないですか」と答えたので、本当はOYは頭の悪い女ではないのかと思った。ちなみに私は新約聖書の福音書を読むたびに涙がこぼれる。あれは宗教というよりは詩歌であり、あの福音書から難解な神学争いが生まれたとは驚くべきことだと思う。

OYは私のアドバイスを無視して早稲田ではなく慶応大学を受験して合格した。その時も親からは連絡はあったが本人からは全く連絡は無かった。

OYは将来は映画関係の仕事に就きたいというので、私は金井勝に会わせようと思い高幡不動で待ち合わせる日時をメールで送ったが、何とOYはその日その場所に現れることは無かったのである。金井勝にそのことを話すと、俺の映画に興味のあるような人間には少しオカシイのが多いからほっとけ、との話だった。結局私はもう一人待ち合わせていた女性と一緒に金井勝の家を訪問した(金井勝のHP「映像万華」を見ると写真が出てきます)。

そこで改めてOYにメールしたところ、何日もの間友達の家に泊りがけで遊びに行っていたのでメールを読んでいなかった、という釈明のメールが来たので、私は「よく何日も外泊が出来ますね。下着はどうしてますか?もしかして汚ギャルですか?」と皮肉を言ったところ「きちんと下着ぐらいは揃えて遊びに行っています」と返事があったのを最後に私とOYの縁は切れてしまった。

映画の仕事に就きたいと言っていたが、後で分かったことは婦人公論の編集者になっていたのである。

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この話と全く関係ありませんが、私がよく飲みにいく近くのファミレスに美人で可愛い女子大生がいるので大学を訪ねたところ創価大の学生だと聞いてある意味ショックを受けている。創価学会そのものは本尊も含めて教義はデタラメだが、信者の中には性格のいい人が一杯いるからである。私は創価学会を潰すことが世直しだと思っていたが、むしろこういう善良な信者たちと手を組んで、池田大作の別の側面を知らせ内部分裂を仕掛けるのがベストだと思うようになっている。例えば洗脳された信者は次のようなゴマカシ発言をしているが、これはあくまでも犯罪の教唆(正犯)である。そういうことを善良な信者に教えたいと思う。

そもそも聖教新聞には、「脱会者はのたれ死ぬまで攻め抜け」とは書かれていない。
悪というのは、厳しく責め抜いてこそ正体を暴くことができる。追撃の手を緩めると、息を吹き返してしまう。
学会迫害の悪人は、放って置いても〝厳罰(=仏罰)で野たれ死ぬ〟運命にある。惨めな姿を世間に晒していくのは、いかに仏罰が恐ろしいかを、その姿で証明するためだ。

※【野垂れ死に】道ばたなどに倒れて看護もされずそのまま死ぬこと。行き倒れ。また、それに似たみじめな死に方。



「青年よ、仏敵を打ち砕け。学会迫害の悪人は厳罰で野たれ死ぬまで攻め抜け」
(聖教新聞「寸鉄」)

の言わんとするところは、

「青年よ、破邪顕正の言論戦で仏敵を打ち砕け。学会迫害の悪人は、正法誹謗による仏罰で惨めな最期を迎えるであろう。決して追撃の手を緩めてはならない」である。

正法を誹謗し、自ら招いた仏罰で野たれ死ぬのである。正当性と合法性を欠いた物理的強制力を用いて、野たれ死ぬまで攻め抜け、と言っているのではない。

ほんのヒトカケラの知性があれば、上の二行が典型的なゴマカシだと分かりますよね。


植田カウンセラーの思い出

2016年05月09日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

決定版が完成したのを記念して懇親会を開きますので参加予定者は私までメールか電話を下さいと書きましたが、外食を不安に感じる被害者の方が多いので個別に対応することにします。また決定版は出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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この画面が枠に囲まれて片方にズレる現象はHTML言語を使いどうにか修正しました。

私が6年ぶりに博士課程に入ることを内定されながら、修士論文を書くことに失敗して郷里愛媛に戻っていた時の話である。

堤防釣りに行った時に、長女が堤防のテトラポットの間にいる非常に奇麗な子猫を欲しがったので、駐車場までその子猫が付いて来たら飼ってもいいと約束をした。ところが100メートルはある長い堤防をその子猫は本当に付いて来たのだった。長女は読書家だったのでその子猫にジュールという名前を付けた。これは「八十日間世界一周」などで知られるジュール・ヴェルヌから取ったものである。堤防で拾った猫が長い旅をして我が家にやって来たことを意識して付けたと思われる。

そのジュールは目が緑色で全体としてシャム猫のような上品な姿をしていた。以前私は五行歌にしてこの猫のことを詠んだことがある。

古里に帰りたい と母が呟く 海で拾った青い瞳の猫 庭に眠る 古里

この歌の通りジュールは車に轢かれて死んでしまった。それがペットロスになって私はそれまで内科でもらっていたハルシオン(金色)が効かなくなり、隣の宇和町に出来た診療内科に通うようになった。院長は私の顔を一目見ただけで鬱病と判断した。ちょうど水泳を終えてプールから上がって来たばかりの人間のようにグッタリとしているので表情だけで鬱病は分かるらしい(ちなみに見性体験をしたときにこの鬱病は一発で治ってしまった)。その時に2週間に一度、鬱病の薬を貰いに行く度にカウンセラーにかかることを勧められた。

初めてカウンセラーに会ったとき、前歯は折れているし、ジーパンのすねの部分は敗れているし、私はこのカウンセラーで大丈夫だろうか、と不安になった。

しかし彼はユング派という珍しい分野のカウンセラーだったので、私は後日彼の言葉が非常に役に立った。まず彼は、私たちユング派は因果律を無視して結果的に鬱病が治る方法を選びます、と言った。具体的に説明を求めると、自分の子供が車に轢かれてそれが原因で鬱病になった母親に、「何故私の子供は死んだのですか?」と聞かれて「道路に飛び出た時に車が走って来たからです」と答えてもお母さんの鬱病は治らないでしょう?、と答えてくれた。

そして毎回私は夢日記をつけて植田カウンセラーに分析してもらった。私の夢の多くはユングのいう原型であり、彼は先輩にメールするなどしてその分析をしてくれた。鬱病は完全主義の性格から生まれるもので、別名・英雄病とも言われている。そこで彼は「人生は50点を取ればいいのだから、それで満足するようにしなさい」と言ったが私は「最低でも80点を取らないと満足出来ません」と答えた。この問答がなんと2年も続いたのである。そこで私は植田カウンセラーに「同じ話を2年も繰り返しても意味がないのでそろそろカウンセリングを止めませんか?」と提案したところ、「頭で理解するのと体で理解するのは別物だから、何度でもこの問答を繰り返しましょう」と答えた。

見性体験記にも書いているが、このカウンセラーの元には正夢を見て、しかも悪い夢が始終当たる女子中学生が来ていた。植田カウンセラーに聞いたところでは、ユング派の心理学会では予知夢や超常現象は当然という前提で論じられている、但し世間には大槻教授のような頭の固い人がいるので公にはしない、とのことだった。

私が非常勤講師として東京に移住するときにも、植田カウンセラーは「今の時期の引っ越しは鬱病には悪いから止めたほうがいい」とアドバイスしてくれた。確かに東京に来て非常勤講師にならず郷里にいれば、相当の貯金が出来ていたはずである(年に純益が1000万はありましたから)。今後どうなるかは神のみぞ知る、と私は思っている。植田カウンセラーは時々メールをくれることがあった。最後のメールは沖縄からだったので旅行にでも出かけられていたのだろう。あの植田カウンセラーには本当にお世話になったので、どこかで会って一杯飲みたいものだと思う。

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これと全く関係の無い話ですが、今朝は極彩色のフェリーニそっくりの映画を夢の中で3本立て続けに見ました。この映画は実は私自身が監督しているという夢でしたが、こういうファンタジックで楽しい夢は久々に見ました。よく考えてみると、その前日に近くのファミレスで顔見知りのウェイトレスさんに冗談混じりで粉を掛けた(お酒でも飲みにいかない?と誘ったわけです)のが原因でしょう。つまり色気というか、助平心が残っていないと創造的な活動は出来ないということですね。川端康成が性欲が無くなったためにガス管を加えて自殺した理由が良く分かります。


教育実習生に難しい質問をして不合格にした話

2016年05月07日 | 思い出の記

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決定版が完成したのを記念して懇親会を開きますので参加予定者は私までメールか電話を下さい。また決定版は出版される可能性もあることをお知らせします。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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先ず、このブログの文章が途中で枠に囲まれ右に寄って見えている原因については現在gooブログに問い合わせているところです。誰かが外部から侵入して悪戯をしているのかもしれませんね。NTTのリモートサポーターに聞いても理由が分からないとのことでした。

私は高校時代、進学クラスに所属していながら番長グループ(血友会という恐ろしい名前です)に所属するなど、本当に扱いにくい人間だった。国語の勉強はまともにしたことは無いのに常に学年トップだった。ちなみに日教組というと日本人をダメにした癌のように言われているが、私が高校一年の時に数学を教えてくれた教員は日教組で、職員会議をさぼって放課後の教室に遊びに来たり、暮らしている借家に遊びに行った時はタバコも吸わせてくれた。だから私は高校一年までは数学の授業が面白かったので時々学年トップの成績を取ることがあった。

国語に関しては自分でも相当に自信があったために、教師が詩歌の解釈をしていると、「先生、それはこういう風に解釈するべきではありませんか?」とか、何故か私は文法が大好きな側面があり、古典の時間では「時枝文法によれば動詞と助動詞を一つに数える考え方もありますよ」などと言って教師を困らせたものである。

ある時、国語の教育実習の先生がやって来た。大学を出て間もない人なので感じのいいお兄さんのような人だった。その教育実習で教員たちが教室に集まり採点をする授業の時のことである。短歌を解説する授業だったが(その短歌が何だったのかは覚えていない)、花、という言葉が出ているのに、例外的にその花は梅の花を意味していた。そこで私が「何故、この花だけが、梅の花なのですか?」と聞いたところ、その教育実習生は立ち往生してしまった。

結局その教育実習生は不合格になり教員になれなかった。私は悪いことをしたかな?と少し後悔したが、やがてその教育実習生から手紙が来て、「あの質問をしてくれてありがとう。あそこで答えを出せないようでは、私は国語の教師としての才能が無いことを自覚しました。今後は別の職業を選ぶことにします」と書いてあった。私はこれで救われたような気分になったわけである。

高校時代のエピソードは幾つもあるので、思い出すたびに書いていく予定である。


三崎町の思い出

2016年05月06日 | 思い出の記

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決定版が完成したのを記念して懇親会を開きますので参加予定者は私までメールか電話を下さい。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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先ず、このブログの文章が途中で枠に囲まれ右に寄って見えている原因については現在gooブログに問い合わせているところです。誰かが外部から侵入して悪戯をしているのかもしれませんね。

昨日のブログでハルピン一の美人と書いたのは理由があります。中国でハルピンは美人の産地として知られているからで、ハルピン一ということは中国で一番の美人、ということになります。

私が三崎町のキャバクラに通いだした原因は、当時は鬱病や対人恐怖症や仕事をする前の逃避行動があり、三崎町の診療内科に通っていた時に、医師から一人で飲んでいるとますます鬱病が酷くなるので止めた方がいい、キャバクラなら話し相手がいるので、どうせ飲むならそういう所で飲むように、との助言を受けたからです。なお、これらの病理は見性体験をしたとたんに一発で治りました。

また例の中傷ブログには私がワンセットしかキャバクラにいないと書いてあるそうですが(公訴時効があるので私はほとんど読んでいません)、それは既にキャバ嬢と男女の関係になって、お礼のためにほぼ毎日ワンセットだけ顔を出すようにしていたからに他なりません。それをあたかもお金をケチっているように邪推する中傷ブログの連中は本当に頭が悪いですよね。

私が蜜蜜というチャイナパブの常連だった頃の話です。当時ママだったモモちゃんと言う満州生まれの女の子に、合気道の連行法を教えていた時のことでした。ちょうどその店にガタイのいい男がいて、「先輩、それは合気道の技ですか」と話しかけてきました。そこで私はその男の横に座って一緒に飲むことにしました。するとその男は極真空手と柔道の黒帯で握力が90キロもあるので電話帳を掴んで引き裂くことが出来ると自慢していました。また、別の店でヤクザが7~8人絡んできたときに全員を倒して、警察から事情を尋ねられた時に、極真の黒帯だと言うことを喋ってしまったために正当防衛にならなかったことも教えてくれました。そこで私はその男と左手で握手をすることにしました。前のブログに純情な剣道師範の話をしましたが、私はケンカになりそうなときには左手で握手をすることにしています。そこでその男(佐藤といいます)と握手をしながら、「私のように50を過ぎている御爺さんと同じぐらいの握力でどうするの?佐藤君は何歳?」と尋ねたところ「43歳です」と答えました。

それ以来、蜜蜜に行くたびに佐藤君は私の顔を見つけると「兄貴」と呼びようになりました。当時私は微笑禅の会のロゴが入ったジャケットをいつもきていましたが(居田伊佐雄が開封もせずに送り返してきたジャケットです)、佐藤はそのロゴを気に入ったらしく、柔道着の胸に付けるからぜひ欲しい、というので私はそのロゴのワッペンを佐藤に上げたところとても喜んでくれました。

佐藤は私に合気道の技を掛けて欲しいと言うので様々な技を掛けたことがあります。私はスローモーションでかけるので佐藤のようなガタイのいい筋肉のある男があらかじめ筋肉に力を入れていると技が決まらなくなります。しかし4ケ条はどんなに力を入れていても技が決まりました。これは人差し指の付け根を釘のように尖らせて相手の手首の裏側にある筋を抑えるものですから、どんなに訓練してもその部分を鍛えることは出来なからです。また佐藤はサザンの歌をよく歌っていたので、それほど上手ではないけれど、私が拍手を送ると嬉しそうにしていました。こういうタイプの人間はそういう純情なところがあるものです。

三崎町を歩いている時に面白い呼び込み(黒服)に出会ったことがあります。微笑禅の会のロゴは旭日旗の白と黒を反転したものですから、一見旭日旗のように見えます。ある太った黒服が私のロゴを見て、「先輩、それは何のマークですか?」と聞いて来たので、これは戦前の日本海軍のマークであると共に自衛隊旗でもある旨を教えたところ、その黒服は「私も海上自衛隊にいたのでそのことはよく存じています」と言ったので、私は「海上自衛隊にいながら何故こんなナンパな仕事をしているのか」と尋ねたところ、その男は敬礼の形を取って「両方ともお水繋がりであります」と答えたので私は大笑いしたものだった。多分これは彼のモチネタだったのだろうと思う。

ところで蜜蜜のママのモモちゃんが剣道を習いたい、と言い始めたことがあった。私は八王子早稲田会の幹事長をしている城之内先輩が経営する山中武具店に行き、竹刀を買おうとしてその事情を伝えたところ竹刀を入れる袋と鍔は城之内先輩がオマケをしてくれた。ただその店にももう一人客がいたが、相変わらず城之内先輩の眼光が鋭いので、私は「先輩あんな目つきでお客さんを睨んでしまうとお客さんが逃げてしまいますよ」と忠告した。

モモちゃんと私は恋人のような友人のような微妙な関係だったが、モモちゃんから次のような言葉を聞いた。つまり「恋人だと別れがあるから、恋人兼妹にしてね」というものである。私はさすがに水商売の女は口が上手いな、と思いながらもその頭の良さに感心して付き合うようになった。

また別のキャバクラのNO.1と出来た時も、彼女は「あなたと同じ空気を吸っているだけで最高に幸せな気分になる」と言われたことがある。この二つの言葉を元の妻に聞かせたところ、ふてくされて「どうせ騙されているに決まっているジャン」と言った。

私はカラオケが得意なので今でもうるさい客が多い時は誰も歌えないような洋楽を思い切りシャウトして客を追い払うときがある。またあるフィリピンパブに行ったとき、本当は彼女たちは洋楽を聞きたいのに仕方なく演歌に付き合っているのを知っていたので、彼女たちのためにJ.レノンの“Imagine”を歌ったところ一人のホステスさんが泣き出したことがある。https://www.youtube.com/watch?v=VOgFZfRVaww この曲の歌詞をよく読んでみると、戦争反対、キリスト教反対、共産主義賛成の思想に貫かれているために今でもアメリカでは放送禁止の筈である。そういうわけでJ.レノンがCIAによって暗殺されたという噂は本当に違いないと私は思っています。

私がこれまで出会ったキャバ嬢の中で一番好きだったのはクラブ桜のユイちゃんというバツイチ子持ちの女性だった。何回か同伴を繰り返していると、情が移って来るようになり、毎回同伴ではお金がもったいないから、どちらにせよ夕食は食べるので、夕食だけを一緒に食べる、とか、夕食を食べた後にユイちゃんだけがお店に入り、時間差を置いて私が後からユイちゃんを指名するという心遣いの出来る女性だった。

確か横山町だったと思うが、地下にある創作居酒屋で私は同伴の時によくそこを利用していた。毎回物凄い美人を連れて行くから若い店員たちは驚いていたが、結婚した方がいいとは言われたことは無かった。しかしユイちゃんだけは店員たちから「那田さん、あの子とだけは結婚した方がいいですよ。那田さんが来るまで絶対に注文をせずに静かに待っています。あんな出来たキャバ嬢は滅多にいません」と言われたものだった。残念なことに当時は結婚していたのでユイちゃんと結婚することは出来なかったが、今は独身なので出来るものならユイちゃんと結婚したいと思う。しかし、あれほどの美貌と優しい心遣いが出来る女性なので、誰かと既に結婚してしまったのでしょう。クラブ桜に私が行くたびにそこの店員にこの話をする。もしこのブログをユイちゃんが見ていたら、今でもあなたほど素晴らしいキャバ嬢はいなかった、と伝えたい。


ハルピン一の美女を口説かず後悔した話

2016年05月05日 | 思い出の記

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決定版が完成したのを記念して懇親会を開きますので参加予定者は私までメールか電話を下さい。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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先ず、私が創価中学に入りながら洗脳されなかった理由について述べることにする。私の父親は郷里に銅像が出来てもおかしくないほどの人格者で周囲からは神様のような人、と言われていた。典型的な刻苦勉励型の人間で旧制中学を出た後に検定試験を8回受けて連続して合格し30前後で戦前の小学校の校長になった。最後まで残ったのは愛媛県で3人だけだった。その後、村会議長や助役など要職という要職は全て勤めている。詳しくは見性体験記の「父の面影」を参照されたい。そういう父親の下で育ったために池田大作の人格と比較対照することが出来たのである。

それから私の母親は四国における創価学会の一粒種で竹入や矢野らと一緒に四国中を折伏して回り200人もの学会員を育てたが、戸田二代会長の下で入信したために、(当時は日蓮正宗の信徒になれは自動的に創価学会に入信するシステムになっていたが)、あくまでも御書講義が中心で今の創価学会とは全く別物だったからである。母は愛媛の最高幹部でその頃はまだ文化会館など一つも建設されておらず様々な質問は東京の本部と直接電話で話し合っていたと聞いている。戸田城聖はヤマ師的な事業家だったが、本山に対しては礼節を守っており、創価学会が法主上人猊下を批判した時は創価学会を解散する、とまで話している。3代目の池田大作になってから所謂52年路線で「本山は創価学会のためなら犠牲になってもらう」と方針が180度変化したのである。母は議員にならないか、という話も断り、あくまでも御書講義を中心に座談会を開いていたので、私も池田大作をペテン師だと見抜けたというわけである。

では本題に入ることにする。このブログを置いているHPの良心的な営業部門に「ツェンミィミィ」というスナックを紹介しているが、そのスナックの初代の「蜜蜜(ミィミィ)」の時代にハルピン一と言われるホステスさんが入って来た。源氏名を「アユミ」と言う。物凄い美人で、私は何度も同伴を繰り返したものだった。

そのスナックはチャイナパブを歌っていたが満州出身のホステスさんとフィリピン出身のホステスさんが両方いる、という変わった店だった。フィリピン人の国民性なのかフィリピン出身のホステスさんは性に対して開放的だったので、しばしばアユミちゃんに、「最初の相手は那田さんにしてもらいなさい。年を取ってから初体験すると痛いわよ」とか、「私の持っているバイブレーターを貸してあげるから細いのから徐々にクイーンサイズに広げる方法もあるわよ」などとアユミちゃんをからかっていた。

アユミちゃんは家が貧しかったらしく、月々3万円をハルピンの親に仕送りをしていた(そう言って騙すホステスもいるが多分本当だったと私は思う)、そして両親からは「23歳になるまでは恋人を作ってはいけない」という教えを忠実に守っていた。

しかし、私が冷静に彼女の服装や踊りを見ていると欲求不満の限界を超えていることが分かった。パンティが丸見えのミニスカートを履き、夜中にになるとその店はランバダパーティが始まるのだが、その時の踊り方が非常に激しく、私はこの子を口説いて処女を破ろうと計画した(私はこの行為をトンネル工事と呼んでおり、本当は好きではないが、アユミちゃんは特別の美人だったので、血だらけになっても構わないと思った)。

そこで同伴の時にカラオケに誘い、当時私がディスコ(今はクラブと呼ぶらしいですね)でナンパをしている様子を再現して見せた。それは私のモチネタのようなものだったが、矢沢永吉がもしナンパしたら、という前提で芝居をするものである。具体的に言えばディスコで狙った女がいるとすれば、彼女がトイレから出てくるのを待って、左腕を壁に当て右手を内転させて人差し指で女の顔を指さし「you,何なら俺と付き合う」と巻き舌でナンパする方法だった。それをアユミちゃんに見せたところ、突然膝を振るわせて泣き出してしまった。そこで私は可哀想になり、「冗談、冗談」と言って、本当はそこからキスをするのだが諦めて「蜜蜜」に連れて行った。

彼女は実際にスナックでも酔客が膝を触ったり、猥談をするとトイレに駆け込んで泣いていたと聞いている。そして私が帰る前に必ずリクエストしたのが沢田研二の「お前がパラダイス」である。アユミちゃんは「オーイェイ」を歌って、と言ったものだった。この歌は沢田研二の歌う歌の中では知る人ぞ知る名曲と言われるもので、歌が良すぎるためにヒットしなかったものだ。またこの歌を歌う客も他にいなかった。youtubeでこの歌をお聞きください。今のように怪物のように太ったジュリーからはとても想像できません。本当にこの頃のジュリーには男の色気があり、私はその気は全くありませんが、見ていて惚れ惚れします。https://www.youtube.com/watch?v=u-or3Ny2B4A 私もみんなを楽しませようと思い当時はエルヴィス・プレスリー仕様のライダーズジャケットを着てその店に遊びに行った。今でもたまにハシゴの次いでにその店に行くと歌手として入ったフィリピン人のホステスがこの店で一番歌が上手いのは那田さん、と言ってくれる。私はビートルズの下手くそなコピーバンドを高校時代に組んでいたから元々歌は下手では無かったが、坐禅を組むようになってから高音部分が幾らでも出るようになった。(ビートルズの「Oh! Darling」も同じキーで歌えます)

そこで何度もこのブログで書いているように、突然妻子が失踪した上に、本人が否定しているにも関わらず、駆け付けた母親を私が経済的精神的に虐待した、という名目で保護措置と称して母親が八王子市高齢者福祉課に監禁される事件がほぼ1年の間に起こった。このために私は2週間の間、意識不明の危篤になり、一時期は車椅子を使わないと自力では歩けないほどの状態になってしまった。

3年ほど前のことだろうか。ある程度回復した私が蜜蜜に行ってみると、驚いたことにアユミちゃんは大金持ちの中国人の5番目の愛人となって、その人の子供を産みたいと言い、蜜蜜をトックに辞めていたのである。このような貧富の差が激しい上にGDPが日本を抜いている中国に未だにODAを与えている日本政府は本当に愚かだと思うし、大きな利権が働いているのでしょうね。

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全く関係の無い話ですが、私は八王子のこのマンションを購入して以来、16年以上も郷里に帰ったことは無いのに、私が酒を飲んで親戚に迷惑をかけたので、親戚に合わせる顔が無くなり、逃げるようにして東京へ出てきた、という八王子高齢者福祉課の作った作文(全ての聞き取り記録にサインがありません)に対して、訂正(削除)請求を認めない、審査会(中にはいい人もいますが)と法制課は本当に頭が悪いというか、計画的というか、どうしようもない連中だと思います。総務省から0からやり直す方法を教えてもらったので、ある隠し玉を使い、起案者の谷渕と石森市長には責任を取ってもらいます。


創価中学の思い出(その2)

2016年05月04日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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さて、私が絶賛したFという同級生が詠んだ俳句について当時懇意にしていたKEIZOさんという俳人の方から次のような感想が届いたことがある。

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俳句雑感

那田さんの「私と俳句」、拝読いたしました。

那田さんが、早熟な「俳句少年」であり、その手だれぶりと、
異常に鋭い感受性をお持ちだったことに驚嘆と感銘を覚えました。
愛媛(松山)には、那田さんのお父様のような方がたくさんおられ、
幼少時から師弟に俳句の語法やつぼを教える環境があるので、
たくさんの優秀な俳人が育つのかも知れんなあ、
と改めて「芸術と風土性」についても考えさせられました。

エッセイの中で、最も感銘したのは、
那田さんのF少年の作った

  カンナ見に寄るガラス戸の暖かさ

という句についての受け止め方です。
私も多少俳句をやるので、わかるのですが、
本当の意味で「選」または「鑑賞」が出来る人は、
いい俳句が作れる人同様、とてもまれだと思います。

中学生の那田さんが、この句を読んで

>この句を読んで、私はぶっとんだ。なんて凄い俳句なんだ、と思った。
>作者はカンナを見にガラス戸に顔を近づけている
>初夏の熱い空気がガラス戸を通して緩和され鼻を撫でる。
>目に見えるのは南米原産の強烈な色彩を持つカンナの花。
>視覚と皮膚感覚が手を携えて襲ってくる。
>庭のカンナとガラス戸のある家、という設定も美しい。
>また、作者はカンナだけを見ているのではない。
>ガラス戸に写った自分の顔も同時に見ているのだ。
>この俳句に漂うのは、少年のナルシシズムの匂いである。
>この感覚が素晴らしくいい。確かに、夏の季語「カンナ」を使いながら、
>「暖かさ」という中途半端な感覚で締めるのは、普通に考えると間抜けである。
>しかし、この「暖かさ」は気温の実感であるよりも、
>カンナと自分の顔が二重写しになった場面を目にした心の状態を示している。
>カンナを見ている自分自身への絶対的な信頼から生まれた「暖かさ」なのである。

と感じた感受性は尋常なものではないと思います。
まあ、ちょっと素晴らしい鑑賞文に水をさすようで
申し訳ないのですが、いちおう「カンナ」は秋の季語になっているので、
僕が思うに、F少年は「秋冷のなかに咲くカンナ」を詠ったのかも知れず、
そうすると「温かさ」という結句は、わりと素直な収め方になり、
那田さんご指摘の何かとても隠微なナルシシズム感が薄らぐように思いますが、
那田さんの「誤読」にせよ、絶世の美少年の「季語の無視」にせよ、
中学生の句会を通じて、そのような濃密で奥深い
文学的な場面が生じていたことは、とても驚きです。

しかも那田さんは、この俳句を読み、
自己の文学的才能を見限り、「筆を折る」という自己認識がすごい。

>私はつくづく、人間の才能というものには勝てないと悟った。
>こういう俳句は、自分の美しさと美意識に酔っている人間でないと作れない。
>ナルシストであるがゆえに作れる堂々とした美の世界である。
>私のように、神経質で、自己呵責が強い人間には逆立ちしても作れない。

は、世界の中での自分の位置付けや役割を、怜悧に見つめる
客観性(批評性)がないと、とても吐けない言葉で、
ゴミのような駄作を性懲りもなく撒き散らしている
僕のようなおめでたいおじさん趣味俳人とは
最初からとてもレベルが違うなあ、と恥ずかしくなった次第。

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ところが当時親しくしていた居田伊佐雄氏が、この俳句にケチを付けて来た。美少年という先入観を覗けばこの俳句は凡庸だというものである。しかし居田は俳句の素養はまるで無かった。多少なりとも俳句が分かれば、「カンナ見に寄るガラス戸」の部分にマヤ・デレンの映像のワンシーンを連想する筈である。https://www.youtube.com/watch?v=livMUiS2ZZM 思い出すと私が映像学(日本映像学会が出している機関紙)に書いた論文の抜き刷り(私の論文だけをリーフレット形式にしたもの)は毎回居田に送り、彼はそれを細かく添削して送って来たが、最初は親切心だと受け止めていたものの、今思えば常に自分が上位に立ちたかったのだろう。居田を「行動する保守」の運動に誘って炊きつけたのは私自身である。きっかけは司馬遼太郎の「峠」という小説を読むように勧め河井継之助が戦闘中仕方なしに地面に絵を描いている絵描きに向かって「戦時には絵描きは必要ないからお前たちは地面に絵を描くぐらいしかできないだろう。私たち武士が死んで平和な時代になったら存分に絵を描いて楽しめばいい」と述べたことを居田に教えたことと、居田の先祖が豪商だったので(私は当時から遺伝に興味があった)、「居田さんの先祖には道楽者がいて絵でも描いていたんでしょう。その血が居田さんにも流れているんでしょうね」と言ったことに反発して政治的な運動に進んで行ったと思われる。

また居田が竹島は日本の領土であることを示す500円のTシャツを私にくれたお返しに、微笑禅の会のロゴ入りに2万近いジャケットをプレゼントした時、開封もせずに送り返してきた。私は驚いて電話を掛け「居田さんと私の仲では無いですか。別に微笑禅の会へ入って欲しいというのではなく、部屋にでも飾って欲しいだけですよ」というと「私は変人だから気にしないでくれ」と答えた。

また、私が創価工作員を最高裁まで追い詰めた時、居田の証言書だけが証拠価値が無いという指摘があったために再度証言書を送って欲しいと電話で依頼したが、全く反応は無かった。さらにmixiに私を絶賛する紹介文を書いていたが、突然それを消してしまった。その紹介分をここに採録する(利益が発生しないので著作権法違反ではありません)

「日本の個人映画のシーンにこの人が登場したときには、論証的であると同時に感受性に裏打ちされた豊かな文章で実験映画を批評することができるのを知って驚きました。これは画期的で、思いがけないことでした。よほどの才能がなければできません。映像作家数人分の価値が優秀な批評家にはあると思ったものでした。 

芸術家の心を持った無頼派の批評家であり、好き嫌いが激しいのですが、それゆえ好きになったものに対する執着の仕方は普通ではありません」 

 せっかく褒めてもらったものだが、この文章には論理的欠点がある。それは作家と批評家を同列に論じている点である。個人映像の場合は映画年鑑にも載らないのだから、批評家が文章を残さないと存在しないことと同じになる。この文章を読むと居田が映像作家至上主義の立場に立っていることがよく分かる。

しかも最初、居田は西村修平さんのファンで「あの人のパフォーマンスは芸術的で人を惹きつける」などと言っていたが、西村さんが「私は在特会とその仲間たちではない」(つまり瀬戸弘幸氏を批判している訳です)とブログで立場を鮮明にしているにも関わらず、いまに至っても瀬戸弘幸氏と一緒に街宣に参加してプラカードなどを持っている。

私がこのブログと同時にHPの中に置いている「レアフィルム批評アーカーイブ」は劇映画が終わり、これからは実験映画の批評をすべきなのだが、気が進まないのは、ちょうど大岡昇平が「中原中也」という伝記の中で「中也本人を知らずに純粋に彼の詩だけを鑑賞できる人は幸せだ」と述べている心境が良く分かるからである。

私はしばしば日本のシュルレアリストは寺山修司と松本俊夫を除けば、自分の精神的な病を克服するために作品を作っている、と述べることがある。いわばフロイトの言う昇華の理論である。

さて創価中学の思い出に戻ることにしよう。私は中学3年の夏休みに郷里に帰ったのをきっかけに創価中学を中退することを決心した。というのは郷里の友人を見ていると、創価中学の同級生たちよりも遥かに純朴だったからだ。これでは題目を唱える意味が無いと分かった。とりわけ大阪の公明党の市会議員の息子で佐伯という人物は実に軽薄で自分が市会議員の息子だということを鼻に掛けていたし、ある軽薄な男が更衣室で着替えをしている私の金的に膝蹴りを入れたので私が咄嗟にフックを返したところ数メートルも向こうにすっ飛んだことなどを思い出す。

中退すると告げると担任、学年主任、学園長の小山内らが「池田先生の顔に泥を塗るのか」と言って必死に引き留めようとした。私は日蓮を尊敬しているから創価中学に入ったのであり、池田大作を尊敬しているわけでは無い。と言って引き留める教師たちを無視した。小山内は激高したのか私に向かって「女でも出来たんだろう」と言ったが、今の中学生ならいざ知らず、昭和31年生まれの私の世代で中学生に女が出来るなどという話は聞いたことはない。これは心理学では投影と言って、小山内に愛人がいるから咄嗟にそのような邪推をしたのに違いないと思う。

私は中学から高校までの間、剣道の試合で一本も取られたことが無かった。それは、一本を取られることは即、死を意味すると分かっていたからである。

また思い出したことがあるので書いておくことにする。私は知能の面で自分より上でとてもかなわないと思う人物に二人会ったことがある。それは創価中学の寮に住んでいた時に出会った男で、私と同じように勉強をしないのだが常にトップ3ぐらいに入っていた男と、大学院で文化人類学と言語学を習った西江雅之先生である。西江先生の場合は食べ物からして変わっていた。素材の見える食べ物しか食べない。お宅にお邪魔したときにご馳走してもらったが、出された料理はカンガルーのステーキ、トウモロコシ、アフリカで採取した木の実のみであった。

私は現役の時も浪人の時も創価大学を受験して合格した。後日「尚史君は創価学会の第一の標的になっている」と親族に漏らした(八王子市にはその証言書を提出してある)従兄弟がどうしても創価大学を受験するように勧めたからだ。そこでまたFという美少年と取り巻きのゴリラとカッパに出会った。彼らは中退した癖に何故また創価大学を受けているのか、と言って蔑称したが、裏にはそのような事情があったわけである。

私が早稲田大学に入った後で、その従兄弟と同じく創価学会本部会館の職員を務めている男と2人が私の住むアパートを訪ねて私を折伏(勧誘)しようとしたことがある。私は池田大作は日蓮を外護する四条金吾のような存在であるべきだ、と正論を主張したが、彼らは「天下を取らないと意味がない。那田君の考え方は素朴過ぎる」と言って帰っていった。

                

また思い出したことがあるのでここに書き留めることにしよう。私と私の母と、私の従兄弟と従姉妹の母親と4人で鎌倉の旅館に泊まったことがあった。私は従兄弟が仏壇の曼荼羅の横に池田大作の写真を置いてその写真と曼荼羅を同格に扱って勤行をしている姿を見たことがあるので、その過ち(池田大作本仏論)を指摘したところ、そんなことは絶対にしていないとシラを切った。さらに日蓮は莚を一枚もらっても丁寧な手紙を書いて釈尊の生まれ変わりかと思う、等々、今で言えばキチンとした領収書を出しているのに、何故創価学会は財務(いわばお布施のこと)に対して領収書を切らないのか、と詰問したところ、従兄弟は私が必ず領収書を出すように改革する、と言ったが創価学会が財務に対して領収書を切っているという話を聞いたことは今でもないし、今後もないだろう。

創価中学の思い出はまだまだあるが、とりあえずこれで終えることにする(思い出した時は、いつものように補筆として書き足すつもりです)。

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このブログも日本に240万サイトあるgooブログの中でアベレージが3千位前後になってきました。これまではヤバイ話やエロイ話の時にランキングが上になっていましたが、「日本会議とは」以降、硬い話の時もランキングが上になって来たのは非常に嬉しい限りです。

  


創価中学の思い出

2016年05月03日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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この二日は耳鳴りのためにブログを更新できなかったのは実に残念だ。耳鳴りはストレスや肩こりが原因と言われているが電磁波の影響でも起こることがある。私は探偵なので電磁波測定器を持っているが始終警告音がなる続けるし、夜中に激しい耳鳴りのせいで目が覚めることもあるので電磁波攻撃を受けている可能性も否定できない。

私が創価中学を受験したのは小学校を卒業するときに偶然にも創価学園の第一期生の募集があったからである。父親の膝に乗り愛媛から東京まで新幹線に乗って往復したことはよく覚えている。私は小学校のときは宿題もろくにしないのに学年一位をとる成績だったので受験勉強も全くしなかった。試験が終わったとき父親が今日の試験はどうだったか、と聞いた時に、簡単だった、と答えた。競争率は4倍だったがやはり合格していた。両親は受験させてみただけで本当は行かせたくはなかったのだが(私は一人っ子だったので)、今は知らないが当時の創価中学は教師はほとんど東大卒でエリート校を目指していたために自分一人の考えで上京することになった。

第一期生ということは中学生も高校生も学園の建物の三分の一しかいない、という環境に置かれるためにほとんどの顔と名前を知ることになる。今はフォーラム21などで創価学会批判を展開している乙骨正生の名前は全く記憶にないので地味な存在だったのだろう。神田という小説の上手い同級生がいたことは覚えている。

創価学園の生徒の大半は地方出身者なので私は寮に入っていた。そこでは4時間以上は勉強の時間があったが、私は勉強をやったことが無いので机に向かって俯いているうちに肋間神経痛になって治療したものだ。寮では俳句大会が毎月あり私は天地人の三賞のうちのどれかは受賞していた。というのも私は山本健吉の「現代俳句」という文庫本を何度も読んでほとんどの名句は暗記していたからだ。定期試験では真ん中ぐらいの成績だったが全国統一模試のように勉強ではなく応用力が試さる試験になると上から20位ぐらいには付けていた。

中高生という思春期の真っただ中で男子だけが集まるわけだから自然と同性愛的な雰囲気が生まれる。中退した後でヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を読んだ時に自分の自伝のような気がしたからそのような雰囲気が創価学園にもあったのだろう。神戸出身のFという同級生は勉強も運動も出来なかったがその容姿の美しさだけでゴリラのような大男とカッパのような小男を子分のようにして連れ歩いていた。また私は剣道部の副首相で彼はバスケ部の主将だったと記憶するが、ロングというあだ名の美少年は(彼は都内出身なので電車で通学していた)駅に着くたびに近所の女子中学生のファンが並ぶほどの美少年だった。私は体育館の更衣室でロングに後ろから抱きしめられて告白されたことをよく覚えている。ちなみ見性体験記の中に「剣道少年の思い出」があるが、当時のことはここに詳しく書いているので剣道を強くなりたい人はぜひ読んで頂きたい。

入学して1~2か月たったころに創立者の池田大作が寮に訪れたことがあった。生徒たちは次々と質問をしていったが、一人の生徒が「僕は将来外交官になりたいのですがどうすればなることが出来ますか?」と質問した時に、池田大作は咄嗟に「Can you speak English?」と言ったが、質問した生徒は狼狽するばかりで答えることが出来なかった。しかしこの英語は本当は間違っていることは大学生にでも分かることと思う。英語を喋る能力は誰にでもあるので「Do   you speak English?」と質問するべきである。語学が才能ではなくプレバイオプログラミングされていることを発見したのは構造主義言語学の成果である。この時から私は池田大作がペテン師だと分かったので中退するタイミングを計っていたわけである。

教員たちは押しなべていい人たちがいたと記憶している。私は池田大作の詩歌は下手糞だ、と発言して問題児になった。池田大作も参加した俳句の会には50人選ばれ、私もその中の一人として参加し、次のような俳句を詠んだ。

片隅に 浜木綿枯れし 無人駅

寒椿 つぼみに紅の 冬優し

最初の俳句は寂しさを強調するために三句とも寂寥とした風景を歌っているが所謂「ツケ過ぎ」であり、下の歌は敢えて二重季語を使っているのだが全てを言い切ってしまっており、余韻に乏しい。中学生の俳句としてはマァマァだが自分では頭で考えて作った俳句だと思う。ところが普段は美貌以外なんの才能もないように見えたFが次のような俳句を詠んだ。

カンナ見に寄る ガラス戸の 暖かさ

というものである。私はこの俳句を読んで才能というものには勝てないと思い、それ以来俳句を作るのを辞めることにした。

この俳句を巡っては幾つかエピソードがあるのでそれは明日にでも語ることにする。

中学時代の私の写真はいま手元に無いので私が大学生になった頃の写真をここに貼ることににします。

ついでに、いま物凄い耳鳴りがしてきました。誰かがこれ以上は書かないように警戒音を発しているのかもしれませんね。

ちなみに、その俳句大会で詠んだ池田大作の俳句は、「栄光の」とか「鳳雛は」といった大げさな決まり文句の俳句で私は子供心に「才能のない人だなぁ」と思ったが、黒板にチョークで書かれたその二句はスケッチなどを画用紙の上に固定させるスプレーを掛けられて、その教室は以後、開かずの扉となった。つまり私が入学した時点で池田大作本仏論は既成事実となっていたというわけである。


那田塾の思い出(補筆)

2016年04月30日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(あと一カ月ほどで決定版が出ます。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます。いまのうちに増補改訂版を購入すると非常にお得です。決定版は3千円ですから。相当の資料があるために決定版の作成が遅れていることをお詫びいたします)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

増補改訂版を購入された被害者の方から次のようなメールが届きました。

こんにちは那田先生、〇〇です。お忙しい所すみません。まだ毎日嫌がらせされてますが、那田先生のPDFを読んで本当に助かりました。一度きりの人生を創価の外道達に台無しにされないように頑張ります。本当に有り難う御座いました.

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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私が那田塾を経営していた時に抗議活動をしたことが二度あるので簡単に解説する。一度目は女子バレー部の塾生が試合の前になると必ず休むので理由を聞いたところ、女子バレー部の部長になっている女子教員が体力を温存するために那田塾を休むようにと塾生に指導していることが分かった。そこで私は野村中学の校長に手紙を出してその女子教員と一緒に謝罪に来るように訴えた。その内容は人間には知育、徳育、体育の3つが同時に必用なのであり体力だけを付けても教育にならない上に営業妨害ではないか、というものだった。女子教員は来なかったが校長が来宅して「二度とこういう指導をしないように注意いたします」と言って帰って行った。さすがに人の上に立つ人間のすることは違う、と思ったものだ。

もう一つは以前このブログでも書いたことがあるが、商店街の主要な店舗をショッピングセンターに移動させてテナント料を取る上に売り上げに応じて一定額を第三セクターに納めるという計画に対して、私一人が反対意見書を町議会に提出し結果的にその計画を中止させたことである。

那田塾に付いて書き忘れたことがあるのでこの際に書いておくことにする。那田塾にいた時から数学が全く分からない女子塾生がいた。私は彼女を遅くまで残し、徹底的に数学の解き方を教えたものだった。彼女は隣町にある宇和高校に入ったが、そこでもまた数学が分からなくなり、また那田塾に入りたいと言ってきた。しかし彼女一人だけを教えるタイムテーブルが組めなかったために断ってしまった。彼女は非常に残念そうな顔をして帰って行ったことを覚えている。高校入試の最後=5番目の問題は非常に難解なのでその回答を出版している会社の本を読んだところ、証明の仕方が間違っているので手紙で本当の証明の仕方を書いて感謝されたこともある。(本当はこういう場合は1万円ぐらいの謝礼をするものだが、その会社はお礼の手紙だけしかくれなかったので少しガッカリした記憶がある)

もう一人の女子塾生についても思い出したことがある。その塾生は英語のセンスが全く無かったのでしばしば質問し、私が何度説明しても理解してくれなかった。そこで私は彼女のために「〇〇さんのためのBE動詞の使い方」とか「〇〇さんのための関係代名詞の使い方」などと書いた用紙をコピーして全員に教えた。中には〇〇さんが可哀想、という声もあったがこのおかげで多くの塾生が英語の基本を復習することが出来た。英語は基本的に全てが五文型に収まるのだからそれは美しいことであると塾生に教えた。

ここからは少しエロい話になるが事実は事実なので書いておくことにする。那田塾の場合は東京工芸大学で教えていた時と同じように、私と一緒にタバコを吸いながら質問や恋愛の相談などをする親衛隊のような存在がいた。その中に一人が那田塾を卒業後、法政大学に合格しプロレス関係の仕事をしたいと言っていた男だった。彼はマスターベーションを10回連続して行ったところ最後の方には血が出てしまったと言ってみんなを笑わせた。私もそこまで苦労してマスターベーションをしても意味が無いではないか、と言ったが、彼は「いや先生、どこま出来るかチャレンジしたかったのですよ」と答えた。

面白いもので定期試験や高校入試の時期になると、ライバルを一人でも落としたいと思うのだろう。授業の最後に残るメンバーは上記のように面白い連中がいたので、お互いにエロ本を持ってきてこれを読むようにとプレゼントし合っていた。プレゼントされた側は、こんなものを読んでいると試験の成績が悪くなるから絶対に読まない、と言っていたが実は読んでいたらしい。

私は大学を受験する二人の男子塾生だけは車で家まで送るようにしていた。共に建設業の子供たちで(地方でも東京でも公務員と建設業はリッチな階級に属している)、一人は有名なワル、もう一人は母親が物凄い美人で近くの料理店で飲んでいる時にしばしば顔を合わせて一緒に飲んだことがある。私の従姉妹が経営しているワコールの店に来て、一度に40万円の買い物をした、と従姉妹本人から聞いたぐらいだから相当にお金の余裕があったのだろう。

一人のワルは高校では絶対に大学に受かることはない、と思われていたが松山商科大学(現在は松山大学になっている)に合格した。親は大喜びして電話を掛けてきた。本人に聞いたところでは、那田先生には言わなかったけれど、彼女とHをしながら受験勉強を両立させるのは大変だった、と答えた。もう一人の美人のお母さんがいる塾生は、ルックスはお母さんに似てハンサムだったが、性格が弱かったのだろう、松山商科大学を受けずに、より安全な専門学校を受けて合格した。美人のお母さんに聞いたところでは、本人が納得するのならそれでいい、と答えたが、私は彼の能力なら松山商科大学なら絶対に通っていた筈なので少しもったいない気がする、と自分の考えを述べたものだ。

私は野村町にいた時に所謂土建業政の典型的な地域に住むことが嫌になって、それも一つの原因で八王子に来たのだが、八王子はもっと酷い土建業政なのでガックリしている。

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全く関係のない話をしますが、私は自公連立政権は最悪であり、後年歴史の本には「暗黒の時代」と書かれているだろうと予測します。特に公明党はもともと反自民、反自衛隊を謳い文句にして生まれた政党です(ほとんどの人はこのことを知らないでしょう)。ところが権力の座が欲しくて党是を簡単に変えて自民党にすり寄りました。今の日本は司法官憲の3割が創価学会が牛耳っており総体革命が出来上がっています。ですから私は公明党は大嫌いですが、個人個人の創価学会員には非常にいい人がいます。それは否定しません。人がいいからあのようなデタラメな教義にも疑問を持たず信じているのでしょう。


那田塾の思い出(その6)

2016年04月29日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(あと一カ月ほどで決定版が出ます。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます。いまのうちに増補改訂版を購入すると非常にお得です。決定版は3千円ですから。相当の資料があるために決定版の作成が遅れていることをお詫びいたします)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

増補改訂版を購入された被害者の方から次のようなメールが届きました。

こんにちは那田先生、〇〇です。お忙しい所すみません。まだ毎日嫌がらせされてますが、那田先生のPDFを読んで本当に助かりました。一度きりの人生を創価の外道達に台無しにされないように頑張ります。本当に有り難う御座いました.

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp

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私は那田塾を経営していた時にも親友が出版している『Fs』という雑誌に「戦前個人映画の歴史」(それまでは誰一人として手掛けていなかった研究です)を毎年掲載したり、「世界映画大事典」というこれまでで出版された映画関係の事典の中で最も大がかりな事典に執筆したり、フィルムアート社の「ファーストカット」というハリウッド映画の編集者が書いた本の翻訳を請け負っていた。しかしフィルムアート社は原稿料が幾らになるのかを教えないので私は月収80万以上を那田塾で稼いでいたために翻訳が遅れ遅れになってした。そこでフィルムアート社は他の翻訳者を選んだために結局「ファーストカット」の七割ほどを私が翻訳することになった。(これまでに私が執筆した論文や批評は今年中に出版される予定になっています)

ところで那田塾の塾生の中に2人、ワキガの強烈な人間がいた。一人は学校をサボってゲームばかりやっている男子。もう一人は町議(当時は東宇和郡野村町だったが、現在は西予市野村町になっているので町議はおらず市議になっている)の娘で成績も良く結構美人なのだが、彼女のワキガは相当に強烈で宇和島に塾生が映画を見に行った時に彼女が入ると映画館の中がワキガの匂いで満ち溢れたらしい。そこで那田塾の男子塾生たちは男の塾生のワキガはグレープフルーツの匂いがするが女子塾生のワキガは腐った靴下のような匂いがすると言ってからかったために町議の娘は那田塾を辞めてしまった。私はワキガには敏感では無かったのでその可愛い町議の娘が那田塾を辞めたことは残念だった。

私は塾生を中央大学や法政大学に合格させた。愛媛から私立大学を受ける場合は立命館大学や同志社大学や所謂関大が一般だったので、中央大学や法政大学に合格することは非常にマレなことで那田塾の名声は益々高くなって行った。法政大学に入った塾生はとてもナイーブな性格で、自分が嫌われていると思っているのに好かれていると分かった時は泣きながら握手を求めていたことも思い出す。彼は大のプロレスファンで大学を卒業した後にはプロレス関係の仕事に就きたいと言っていたがその後の消息は分からない。中央大学に合格した女子の塾生は大の読書家で図書館の司書になりたいと言っていたがどうやらIT関係の会社に就職したようである。彼女の父親は写真館を経営している人で私も一緒に飲んだことがあるが非常に親切な人だった。彼の兄は現役で東大に合格し写真館は弟の方が後を継いだとのことだった。

特に愛媛大学医学部に合格したワルの弟の方は、ホワイトボードに数学の回答を書かせると、顔を赤くして恥ずかしそうな顔をしながら完璧な回答を書くので(私の長男と全く同じ性格です)、私は彼に「もう那田塾に来る必要はない。親孝行をするために愛媛大学医学部を受けるように。君なら絶対に合格するから」とアドバイスした。

左が赤ちゃんの時の長男 右は長女(私にそっくりです)

私が上京した後で私の母親が自宅の屋根瓦を新しくするときに愛媛大学医学部に合格した塾生の父親が軽トラでやって来て、私の母親に最敬礼をして感謝されたと聞く。また彼だけでなく那田塾の塾生の親たちからは何度も感謝されたらしい。

この時に映画関係資料では日本一と言われる牧野コレクションを所有する牧野守先生から「牧野コレクションは部分売りはしないが君の情熱に免じて小型映画関係の書物は君に譲ることにする」と言われて125万円分の蔵書をローンで買うことになり、小型映画関係の蔵書は私が今でも日本一所有している。

私と妻子が非常勤講師になって上京するときには塾生の親たちが集まってみんなが泣きじゃくっていたことを思い出す。私の元の妻も泣いていた。非常勤講師は週にヒトコマ(90分のこと)を教えて3万円前後なので地方出身者にとっては過酷な条件だが、田舎にいて小銭を稼ぐよりも情報の多い東京に出ることのほうが私には価値のある事と思えたし、子供たちが大きくなって大学に入った時のことを考えると上京するのがベストかもしれないと思った。幸い那田塾を経営したおかげで第一那田ビルを購入するほどの頭金が出来たので、家族もそのマンションに住みながら家賃収入を得ればどうにか食べて行けるだろうと思った(保護措置として母親を換金した高齢者福祉課は、この那田塾が成功したのでマンションを購入する頭金が出来た、という部分を(「牧野さんの家の方」にという小冊子に書いた文章http://w01.tp1.jp/~a920031141/makino.html )を絶対に認めようとしない。数量的客観的なものしか事実と認めない、という理由だが、これは総務省通達に真っ向から対立している。

私に非常勤講師を勧めた指導教授はその時に「経済的な能力は私よりも君のほうがある。君が非常勤講師になって上京したら出来る限り教授にするように努力する」あるいは「絶対に教授にするから上京して早稲田大学の非常勤講師になりなさい」と言ったか、どちらだったかは忘れてしまったが、要するに教授にするというお墨付きをもらったわけである。そこで東京工芸大学で教えていた頃の話に書いたように、この指導教授には不思議な性格があり、嫌われている人間から順番に正教員にさせて行った(特に日大芸術学部からの学歴ロンダリング組の世渡りの上手さには逆に尊敬したくなるほど驚かされた)。理由はそれだけではないが、私はアカデミズムの世界は実力だけで決まるものと思っていたので、その指導教授に絶縁状を出して自分の全能力を事業に注ぎ込むと決心してノンバンクから大きな借金をしその利息の返済に追われていた時に妻子が突然失踪したわけである。

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この話と全く関係の無い話をしますが、yahoo無料占いを見ると身近なところに将来の結婚相手がいる、と必ず書いてあります。私が結婚したかった鈴木茂美さん(旧姓)は江戸川区なので身近ではありません。心当たりのある方は私にメールを下さい。但し私は思い切りストライクゾーンが狭いです。つまり相当の美人でないと相手にしませんw


那田塾の思い出(その5)

2016年04月28日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(あと一カ月ほどで決定版が出ます。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます。いまのうちに増補改訂版を購入すると非常にお得です。決定版は3千円ですから。相当の資料があるために決定版の作成が遅れていることをお詫びいたします)http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

増補改訂版を購入された被害者の方から次のようなメールが届きました。

こんにちは那田先生、〇〇です。お忙しい所すみません。まだ毎日嫌がらせされてますが、那田先生のPDFを読んで本当に助かりました。一度きりの人生を創価の外道達に台無しにされないように頑張ります。本当に有り難う御座いました.

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp

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今日は予定を変更して学習障害(LD児童)の話をすることにする。

私は学習塾を始めた当初は家はお金持ちなのに子供は成績が悪い、という家庭を狙って経営すればうまく行くだろうと思っていたが、それは甘いということに気が付いた。

あるお金持ちの息子を特別に家庭教師で引き受けたことがあった。塾生と一緒には教えることが出来ないからである。英単語も全く覚えていないので私の書斎で赤いボールペンで英単語を50回ずつ書かせ、ボールペン一本が使えなくなるまで付き合ったところ、父親が息子がボールペン一本を使い切るなど初めて見た、と言ったので私は驚いたものである。ちなみに英単語を覚えるには発音を耳で聞き、口に出して発音し、手で書く、という3つの感覚を同時に使うとよく覚える、と言われているが、私の場合は基本的に英単語を見ることだけで覚えたものだった。もちろんpsychologyのような例外的に発音とスペルが遠い単語は手で書いて覚えたが。

ある時、その教え子が国語はいつも赤点なのに65点も取った、と言って喜んでその答案を見せに来た。よく読んでみると、「係り結びの助詞」など私が予想した問題には〇が付いていたが、2か月もの間、学校と私の書斎で「平家物語」について学んでいたのに、「この文章の題名を答えよ」という問題に「源氏物語」と答えていた。また、徒然草も試験範囲だったから必ず兼好法師の名前を書かされるから、と言って名前を書く練習をさせていたが、時代は?という問いに対して鎌倉時代という漢字が書けず、ひらがなで、かまくら時代、と書いていた。

こういう普通は誰でも分かる問題をきちんと解いていたら80点は取れたのに、と私がいうとその塾生は寂しそうな顔をした。彼は愛嬌もよく、トンチも効くので家の仕事(個人情報になるので言えません)を手伝って利用者には人気があった。そして私は彼の家まで車で40分も掛けて教えに行ったことが何度もあるが、そのたびに彼は「那田先生の運転は安全過ぎですよ。私の父親はこの道路なら130キロで走っています」と言ったが、案の定、彼が運転免許を取った時に、新車を買ってもらい最初の運転で飛ばし過ぎたためにスリップして車を壊してしまった。彼は現在、家業を継ぐための免許を取って人気があるらしい。人を教えた人間として教え子が出世し成功することはこの上もない喜びである。

前回のブログで紹介した中学の最後まで割り算が出来ずカタカナで発音を書かせたUという男も高校を卒業してすぐに所謂「スカG」という車の新車を買って月給は10万円ほどなのに車のローンを月々5万も払う意味のないお金の使い方をしていた。

またこれは途中で退塾させた教え子だが、彼もトンネルの中で飛ばし過ぎてスリップ事故を起こしたと親から聞いたことがある。

私が那田塾で覚えたのは、高い車を買う男にロクなものがいない、ということである。(そういえばヤクザ屋さんも必ず高級車に乗っていますね) 那田塾の思い出はまだまだあるので明日もこの話題を続けることにします。