自分はクジを当てられるのか、みたいな話をメインガイドとしていたら「できるけど」と言ったあと、わたしの気持ち(テンション)が低くなった(ので無理)みたいなことを言われた。
ポテンシャルとしては可能だしできる。数字を当てられるらしい。
で、なぜそれが今できていないのか、なぜ話をしていたときに気持ち(テンション)が低くなったのか自分の内面を探ってみたら「別にお金を儲けること自体は面白くないし好きじゃない」と出た。わはは。
「メインガイドに教えてもらってクジをあてた」ということが、誰かとのネタになるとか、面白くなるとか、テンションが上がることならやってもいいのかもしれない。
しかし本当に「自分のために高次元のメインガイドを使ってクジを当てる」ことにお尻がおもたい。そこに何も面白みを感じない。
お金なんて、自分が色々工夫してもらうものじゃないと思っているんだよね。本当に心の奥底では「だって単なるツールだし、自分の周りにありふれて膨大にあるもの(エネルギー)だし」という感覚がある。空気と同じ。空気を得るためにあくせく工夫をするか?しないだろ?なのになぜクジを経由してお金を得るなんてことをしなきゃいけないのか?というかんじ。ここの「工夫」を面白いと思える人はクジを当てられるんだろう。でも私はいまのところ無理。
この「本当の心の奥底」は大事で、ここを自分で認知しないと一生自分の表層の意識や「自分の思考だと思っていたけど、実は他人に振り回されて影響をうけていた思考」にのっとられて一生を終える。
自分の本当の奥底では、お金を儲けるために一々なにか行動するのが面倒くさいし面白くないと思っている。なにか行動した結果、お金を儲けるというのは構わないんだけね、お金を目的とした行動はとたんに興味がなくなる。
だけどお金自体はある程度持っていたいし、ある程度もっていた上で、自由に色々興味あることをする、試す軍資金もある程度欲しい。例えば国内くらいは思い立ったらすぐ赴いて、興味あることを経験したり、物を買ったりするくらいのお金はいつもある程度に。
まあ、昨日自分の内面をみた結果としては、クジをあてて大金を得るポテンシャルはあるけど、「自分は人間としてこう幸福に生きる」という意図からはズレがあるので、今は積極的にこれをやりたいとは思わないかな。
それとは逆に、自動的にクジを買ってはおくということはしている。これは大金を得るための侵入口をあけておいておくという意味。ふとしたときにここから転がり込んでくる窓口を作っておくかんじ。