さいきん疲れたので、重低音が聞いた音を聞く。
でもカンバリアと接しておいたほうがいいらしい。
海外のDJ音楽の重低音の効いたものをききながらカンバリアに接してみる。
すると、まだやってなかった原始反射の探索をしたほうがいいらしい。
基準というか、ルートは18月。それをもとにして探索する。
情報として、これを使う。
https://text.nankodo.co.jp/cms/rehabilitation/pdf/pts/support/9784524255337/1.pdf
すると、脳幹での各種緊張性頚反射、迷路反射、モロー反射の項目で、胸など身体がギュッとする感じがする。
「緊張」という言葉に拡大解釈をしていたようだ。緊張というのは、定義的に、単なる筋肉の「緊張‐弛緩」のなにものでもない場合がある。
なのに緊張に過分に過剰に意味や感情を与えていたようなので、それを破棄する。
たぶん脳幹に、色々付随した感情があった、そしてそれに共鳴して、不要な過去生的情報や、集団無意識の情報をよびよせていた。
さいきん集団無意識が荒れている、というのを見たが、荒れていても別に良い。
そこに自分が触れなければ。
人間集団は常に荒れている。
たとえば中世の世界をみたら、それはもう無様で酷いものだ。人間の尊厳を踏みにじられて、各国の、各共同体の底辺とされた人は無惨に踏みにじられていく。
それを思えば、少なくとも今の日本は平和で安泰だ。
世界にはもっと下がいる。下をみたらきりがなく、上をみたらきりがないけど。
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重低音がきいた音楽をききながら、ザリガニのようなエビのような甲殻類がはいあがる18月のタロットに思いをはせる。すると手がぷるぷると小刻みに震えているイメージが浮かぶ。
これは肉体なのか、感情なのか。
混じったようなその領域の声を聞くと、愉悦らしい。
私は思い出す。肉体は思い出す、緊張に封じ込められた様々な肉片や有機物やさまざまなものの声を。
緊張は別に良いものでもなく悪し様にいわれるものもない。それは地球上の肉体の現象。
筋肉紡錘体のはかない青い?光。
一瞬一瞬が脳内のニューロンきらめく光のような、現象の光。
なのにそれは、それが、いつのまにか悪いもののように名付けられた。
それの解放。そこの軛からの解放。
解放されたものは、あらたに肉体を睥睨する。
なぜ私はこのような狭いところに閉じ込められていたのか?と。
わかったから飛んで行け。飛んでいく。その光。
光はいつも追い求められ、そして逃げていく。
追い求めているようなもののところには、光はとどまらない。