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Kブログ

恒星探索、非物質、変性意識、タロット、生命の樹、西洋占星術、高次存在、ヘリオセントリック音楽 etc

老衰と言う言葉自体が実は老衰の原因、人間自身の無智

2022-01-26 16:50:57 | 引用など

菩提樹には、細胞の生命エネルギーに有害な影響を与えるような腐朽とか、老衰とかいう自然法則があるとは考えられない。神聖なる人体もまた同様である。

人間の場合も、事故でない限り死や老朽という如き自然律はありえない。人間の肉体又は細胞群には、不可避の老化と言うものや人を次第に麻痺させるようなものは何等存在しない。だから死という事故は避けられるものである。

病とはとりわけ安らぎよりの分離(dis-ease)、安らぎ−サンスクリットで言うサンティ(心を通して肉体に映じた魂の甘美な、喜ばしき平和の状態)−の欠如である。

人類には老衰の体験が共通しているが、この老衰と言う言葉自体が実は老衰の原因、心と肉体とのある病的状態についてのを蔽いかくしている。事故でさえ適当な精神状態であれば、これを防ぐことができるものである。 』

 

ヒマラヤ聖者の生活探求I p52





師、弟子、主体:師弟論

2022-01-26 16:27:06 | 引用など

タルムードのテクストが完全記号であるのと同じ仕方で、「他者としての師」は「完全な師」である。その叡智が「弟子」の理解能力を絶対的に超えた知的優位、それが「師」である。

師は弟子に向かって「こちらに向かってきなさい」と呼びかける。その呼びかけに応えて、弟子はおのれの外部へ身を乗り出す。

「おのれの外部へ身を乗り出すもの」、それが「主体」である。弟子とは、師からの呼びかけに応じて、おのれの外部に向けて歩を進める者のことである。

他者と死者 ラカンによるレヴィナス(内田樹)第二章、p57