小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

M1グランプリを観る:笑いの科学と方程式  

2019年12月25日 | 映画・テレビ批評

=M1グランプリを観る:笑いの科学と方程式

 

何年かぶりかに、M1グランプリをたまたま、テレビで観る機会を得たが、同時に、その優勝者の決定後にネットのGYAOで、配信された<忖度なしの反省会>というものを併せて観た。成る程、テレビというものも、今や、ネットでの裏番組に、押されるわけで、一般的な上っ面だけでの評論とは、別の面白みが、ネット配信にはあることが、容易に理解されよう。つまり、<笑いの科学>というか、<笑いの方程式>というものが、わかりやすく解説されていて、興味深いものがある。漫才とか、コントなども、演者だけではなくて、原作者をもっと、明らかにして、歌手だけでなくて、作詞家・作曲家ではないが、放送作家やコント作家も名前を公表してみたら如何なものであろうか?むしろ、芥川賞などの作家のデビューを手助けするように、<若手のコント作家を広く公募>して、笑いの方程式や笑いの科学の新たな試みを試すような機会を創出するべきではないだろうか?実際、漫才師は、突っ込みやぼけのどちらかが、原作を作る傾向がある以上、笑い飯のネット上での解説には、一定の重みが感じられた。ボケとツッコミとの往復とか、観客との対話とか、或いは、昔のコント55号が初めて使った掟破りと謂われる画面の横へのはみ出し移動と、(身長差による)縦の伸縮などの手法とか、言葉だけでなくて、様々な視覚的なテクニックとか、言葉というツールを使いながら、笑いの方程式を、次々に、緻密に、論じてゆくものである。どうやら、唯単に、浮かれた感じのおちゃらけやブサイクやキモカワイイを売り物にするキャラクターだけでは、笑いの方程式は完成せず、観客の笑いは、とれないらしい。その意味で、優勝した関東では無名に近いミルクボーイよりも、既に実績のあるかまいたちの方が、<玄人受けする複雑な方程式を提示>していたような気がしてならない。尤も、既にキング・オブ・コントでの実績がある以上、業界的には、苦節10数年のテレビでは無名に近い実績の無い、ミルクボーイの方が、コーンフレークや最中というキー・ワードの中での展開の方を、テレビ的には、吉本興行的には、優先されていたのではないだろうか?業界的には、その方が、丸く各方面の関係筋には良かったことであろうし、優勝者も、次点も、3位も、全て美味しいものではないだろうか?尤も、気の毒なのは、敗者復活からのし上がってきた和牛こそが、冷や飯を食わされたようである。おまけに上沼恵美子から、余計なコメントまでもらった挙げ句に、決定戦を準備中に敗退してしまったことは、悔やまれようが、既に、ある程度の実績を残している以上、仕方ないことではなろうか、ここは、<煮え湯を飲むという選択肢>もやむを得ないのではないだろうか?優勝者を決定するというテレビ的な手法の前では、確かに、<くじ運による順番>も、この<笑いの科学>の前には、方程式通りとはゆかないわけで、<松本人志の特異のツッコミ役の持論>は別にして、インディアンズにしても、ナイツの土屋がコメントしていたように、斬新な歌による掛け合い漫才も、所詮は、トップ・バッターによるある種の基準点のような意味合いも有り、本来は、何らかの+加点でも与えてあげなければ、<審査員による好悪という壁>の前では、撃沈されてしまわざるを得ないのかもしれない。それも又、<ある種の不運>なのかもしれない。それにしても、優勝することで、一夜にして、その知名度が上がり、その瞬間から、その人生も一変するわけだから、厳しいといえば、厳しいものがある。尤も、それすらも、実力がなければ、その後の一年後の活動も、持たないわけであるから、余程、実力が無ければ、全く、話にならないことは、この世界では、当たり前なのかもしれない。それにしても、吉本の会社組織を挙げてのバック・アップ支援と漫才を試す機会を劇場ライブも含めて、総力を挙げて実現する手法は、古典的な寄席中心の落語の世界の営業とは異なり、立川志らく当たりには、羨ましい限りではないだろうか?大御所と謂われる居並ぶ審査員の力量も、<様々な眼に見えない思惑>が垣間見られて、面白いが、それもこれも、GYAOのネット配信でのパンクブーブーや麒麟、笑い飯、ナイツ、小薮による司会の<忖度なしの解説コメント>のお陰だったのかもしれない。ツイッターによる同時コメントを観ながら、ネット視聴するのも、テレビの副音声とは違った意味での新しい楽しみ方なのかもしれない。久しぶりに、なかなか、面白い<表と裏、建前と本音のM1グランプリ>であった。


Dr. Nakamura の突然の訃報

2019年12月16日 | 社会戯評

=Dr. Nakamura の突然の訃報:

自分が未だ子どもの頃には、マハトマ・ガンジーとか、密林の聖者と謂われたシュバイツァー博士とか、或いは、やはり、医師であったチェ・ゲバラとか、様々な同時代の同じ空気を自分も吸っていたであろう先人達が、人道主義者が、現に存在していた事を、ふと思い出した。国連難民高等弁務官を務めていた緒方貞子氏も、つい先頃、亡くなり、そして、突然、中村哲医師が、銃弾に斃れてしまったとの一方が、ネットに流れてきた。

それにしても医師として、人々の命を救おうとする中で、何故、土木作業を伴う、水利事業をアフガニスタンで、しかも、30余年という長きに亘り、取り組むことになったのか?

<不作為>とか、<忖度>という言葉の影で、<品格>とか、<矜持>とかいう言葉が、既に、忘れ去られようとする今の時代の中で、ハッキリと、自衛隊の海外派兵は、全く無意味で、むしろ、中村哲医師が目指すような運動への援助をヒト・モノ・カネの面で、積極的に行うことの方が、ずっと、効果的であるという趣旨の国会での発言にも、おおいに、考えさせられる。

医師として、命を助ける中で、幼い幼児の命も、老人の死も、結局は、死という事実の前では、命の長さに、価値があるのではなくて、弱い者から、犠牲になる事実は変わらず、むしろ、清らかな飲料水を提供することで、そこから、まずは、井戸を掘ることから始め、クナール川の急激な流れを自分の故郷の伝統的な山田堰などによる水の流れの変更と灌漑水利事業へと、更には、農地改革と農業による地域65万人にも及ぶ、砂漠の緑化事業へと、30有余年を掛けて、実現へ向かってゆくわけである。それにしても、医師による医療活動を通じる中で、何故、自らも、工事用重機を運転してまでも、日本人スタッフの殺害をも乗り越えて、、、、<危険な現場での活動>に拘ったのであろうか?

Sow the Flagを、インド洋での自衛隊による補給艦や、米軍のミサイルなどではなくて、全く、別の形で、日本人として、アンチテーゼを樹立したことは、不毛な政治家による対米追従路線とは別の道筋を示したように感じられる。国境なき医師団などとは異なる、<100人の医師の派遣よりも、1本の水路を!>というテーゼの確立と、その事業の実行という方向性、テロとの戦いは、貧困との闘いで、水の確保、治水事業、緑の大地と砂漠の克服、農業の振興を、現地の人への尊厳と敬意、家族の安全と、現地人材育成、専門知識の習得の機会と仕組み作りへの邁進、等などという別の異なる手法の確立。

どうもその辺を考える時、そのルーツには、ファミリー・ヒストリー(?)が、関係しているのかもしれない。中村の叔父は、火野葦平、芥川賞作家であり、その本名は、玉井勝則で、<麦と兵隊>や<花と龍>の著作を著し、同時に、今の北九州市の若松区で沖仲仕だった、玉井金五郎の長男であり、玉井組の2代目でもある。(そんな中で、余談だが、石原裕次郎が主演の映画、<花と龍>、母のまん役は、浅丘ルリ子だった。まぁ、それは、どうでも宜しいが、)火野葦平の妹の息子こそが、Dr. Nakamuraで、甥っ子に当たるわけである。祖父、玉井金五郎の顔写真は、そっくりの顔立ちであることにも改めて驚く。

<社会正義感>というものを初めて感じて成人してゆく課程には、何らかのこうした家族環境というか、ファミリーの血の中に、何らかの形で、色濃く影響されながら、引き継がれてゆくものなのであろうか?それとも、幼少期や少年期で、火野葦平の影響が何らかの形で、その後の医師としての、或いは、アフガンでの活動に、どのような影響があったのかは、今となっては、わからないが、、、、、、。<社会貢献>などという概念は、或いは、<貧しい人の為に尽くす>という概念は、ある種の教育で育てられるものなのであろうか?昔の武士の時代のように、武士道とか、忠義とかを、子どもの頃から、教え込まれてきたならいざしらず、73歳になっても、海外、しかも、命の危険を伴うアフガニスタンで、<人道支援事業>を30有余年も継続し続けるというその基になるものとは、何なのであろうか?そして、年齢的にも今や近くなりつつある現在、翻って自分の過去を振り返るときに、同じように、海外事業で、尤も、こちらは、自らの生業のために、やむなく、海外での事業展開に30数余年同じように関わってきたものの、私心というものと、公の心とも、呼べるものが、果たして、少しでも有り、そして、その<開発途上国への何らかの貢献>が、あったのであろうかと自問自答するとき、<技術の移転とヒト作り>くらいは、現地の幹部スタッフには、足跡の一つも残せたかなくらいの誇りは、心の片隅に、一種の結果としての拝金主義的な成功者を、その後に、残してしまったのではないかという罪悪感とともに、反面、持ち合わせているのが、正直なところであろうか?。<現地への利益の完全還元・寄与>という究極な崇高な高い意思は、どうしたら、培われるのであろうか?私のように、生業として、ビジネスとして、やむなく、洗濯せざるを得なかったものには、何とも、ずしりと重くのしかかってくるDr.Nakamuraの訃報でしかない。主亡き後、現地のスタッフ達は、どのように、今後、この事業を推敲継続し、次の30年後に、どのような国作りをするのであろうか?そして、この日本から、若い人達が、Dr.Nakamuraの遺志を継ぐ形で、輩出してくるのであろうか?

吊るし干し柿作りを愉しみながら、訃報に接するとき、非常に、複雑な思いと共に、今、何が、自分に出来るのであろうかと自問自答せざるを得ない。そろそろ、自分史とファミリー・ヒストリーでも整理し始める時期が、近づいてきたのであろうかとも思える。

合掌と共に、その遺志が、一人一人の各自の行動の中に、永遠に引き継がれることを祈りつつ、


BS 映画<キューポラのあるまち>を観る:

2019年12月02日 | 映画・テレビ批評

BS 映画<キューポラのあるまち>を観る:

1962年(昭和37年)の未だ白黒映画時代の吉永小百合・浜田光夫や、往年の今は亡き俳優達が多数出演している映画で、題名は知っているものの映画をしっかり観たという記憶が定かでなく、たまたま、テレビ欄で眼に飛び込んできたので、観ることにした。

それにしても、当時17歳だった吉永小百合が、ティンネージャーから、女性俳優へと脱皮してゆく時期の過渡期での作品であり、又今村昌平と後の夢千代日記などで有名になる浦山桐郎監督との共同作品で、五十有余年後の今日、改めて、観ても、その映画の中で、追求していこうとした数々の課題は、未だに、解決していないことを考えると、映画の問いかける時代の普遍性とは大変重いことを改めて、思わざるを得ない。

キューポラとは、ラテン語の樽を意味するそうで、そこから、転じて、溶鉱炉を意味するもので、当時の鋳物工場で有名であった川口という一地方都市の物語で、組合活動やオートメ化に伴う産業構造の変化や、労働者階級や職人階級という存在、在日朝鮮人差別と祖国帰還事業により家族が引き裂かれてゆく状況や、中学卒や定時制高校・夜間高校、貧富の格差、頑固親父との親子関係、担任教師との関係性や思春期の性の悩み、集団就職と職場での歌声運動、そして、今では懐かしい言葉となってしまった、<様々な放送禁止・差別用語>が、新聞配達や当時の町並みや風景の中や親子喧嘩の中で、垣間見られるのも、又、<そういう時代だった故>なのだろうか?それにしても、今でも、修学旅行のお小遣いや集金袋の回収など、気がつけば未だに、身近で、解決されていない問題にも、改めて気づかされてしまう。

 私たちが、未だ、幼かった昭和30年から35年頃には、等しく、みんな、貧しかったが故からか、貧乏人も、お手伝いさんのいるお坊ちゃまのお家で、三時のおやつに、ひとしきり、遊びほうけた後で、手も洗わずに、食い散らかしては、帰宅後に、母から、こっぴどく、叱られたことを、今でも、クラス会の時に、当時の仲間と共に、想い出しては、懐かしく語れるものの、賛否はあるものの、帰還事業で、北朝鮮へ、渡った在日朝鮮人達は、まさに、楽園と言われた彼の地で、ダブル・スタンダードの過酷な差別に苦しめられて、どうなっているのであろうか?その後の吉永小百合の信念にしても、影響があった、往年の映画には、それぞれの影響を及ぼしたであろう台詞が、そこここに、散見されている。それにしても、ただ、等しく、皆貧しかった時代には、何故、皆、これ、良しとしてしまうのであろうか?それは、皆、等しく、平等に、程度の差はあれ、皆、生活が豊かになり、物心両面でのほどほどの成功感と達成感という充足を味わえたからなのだろうか?さすれば、毛沢東時代の中国とキム三代の北朝鮮や韓国との比較の中で、相対的に、日本は、上記の幸福度は、達成感と充足度のバランスが、とれていると言うことなのであろうか?そして、何にもまして、当時の日本人の有する、考え方、<一生懸命働けば、明日は、今日よりも良い日が来る>という、一種の<勤勉精神と明日への向上期待信仰>への確信が、現として、存在していたのであろうか?もしそうであるとするなら、今日、何もかも、当時の面影は、無くなってしまった今日、鋳物工場も、海外工場へ移転され、人手不足から、在日外国人移民が増加して、ゴミ問題や言葉の障害による地域社会の対立があったり、労働組合は崩壊して、非正規雇用パート・タイマーで溢れ、既に、右肩上がりの経済モデルは、少子化と高齢化社会の中で、崩壊してしまい、家族関係も分断され、<親リッチ>とは無縁な、ショービニズムに犯された嫌韓、ネト右のはびこる、ギスギスした、<正義と本質の見えずらい社会>に、いつしか、なってしまった。猫の目のように、映画の中で輝いていた当時17歳の吉永小百合の瞳には、何が、一体、今日、見えているのであろうか?キューボラのない街は、今日、もう一度、映画を撮るとしたら、何をテーマに、撮影して、どんな俳優が演じるのであろうか?それにしても、東野英治郎、菅井きん、北村谷栄、殿山泰司、加藤武、小林昭二、小沢昭一、吉行和子、浜田光夫、懐かしい白黒映画時代の俳優たちである。


干し柿作りにトライする:

2019年11月21日 | 男の手料理・食

=干し柿作りにトライする:

 もう随分前になってしまうが、渋柿を自己流に、網のネットに入れて、軒下に吊しておき、乾燥させていたところ、存外、うまく出来たものの、一部は、青カビが生えていたので、部分的に、カットして、食したことがあった。もっとも、写真は残っているものの、いつのことやら、とんと、想い出せない。全く困ったことである。

小諸での生活をしていると、間違いなく、渋柿と思われる柿の木は、どうも、放置されていて、誰もそれをとろうとはしない。せいぜいが、熟柿が鳥の餌にでもなるのが、関の山なのであろうか?それにしても、昔の人は、食料飢饉に備えて、栗の木や、杏や胡桃、それこそ、柿の木までも、冬場の保存食として、活用できるように、植えることを奨励されていたようである。今では、それこそ、飽食の時代で、渋柿などは、そっぽを向かれる典型的なものなのかもしれない。

何とも、今の時代は、便利になったモノである。料理を作るのも、レシピーを検索して、作り方を学べば、それなりの、プロの腕前ではないかもしれぬが、一応、自分や家族で食する分には、合格点の出来映えは、保証されていよう。そんなわけで、以前は、製造工程も、全く、勉強せずに、自己流でやってしまったので、カビを生やしてしまったが、今回は。YouTubeで検索して、色々な作り方を参照した上で、いざ、トライすることにした。

そして、日帰り温泉施設に、いつまでも、残っていた渋柿を横目に、いつでも手に入るなと、思い込んでいたところ、いざ、買おうとしたところ、何と、売り切れしまった。そこで、やむなく、知り合いに頼んで、畑にある渋柿をとって戴き、いよいよ、加工生産する事にした。柿の木からへた付きでとったものを、若干、はさみで、トリミングして、がくを綺麗に、丸く形を整えて、皮をむき、ひもに吊す場所に、等間隔で、マークして、目印として、一個一個をしっかりと結びつけてゆく。そして、前回の轍を踏まないように、熱湯につけた後で、消毒用に、アルコールを散布して、剥いた皮も、バイプロダクトとして、乾燥完成後には、ミルで粉にして、カレーの隠し味にするそうで、併せて、吊し柿とは別に、切り干し柿も試してみることにした。これをネットに入れて、吊すことにした。

それにしても、存外、夜なべ仕事で、囲炉裏のそばで、昔の人は、こんなことをやっていたのかもしれない。たかが、48個+程度だから、8個づつ、6本も吊せば、作業終了だが、確かに、干し柿とか、あんぽ柿とか、手間がかかるわけで、歩留まりも考えれば、手間暇時間もかかり、確かに、売値も高くなるモノである。自然の資源を有効活用して、しかも、頭の体操になることは、うれしい限りである。これに味をしめて、この次は、子どもの頃こたつで暖めておやつに食べた干し芋作りにも、或いはワイン葡萄の枝付き干しぶどうに「挑戦してみるとしようかな、どうなることやら。又、今日用事が出来た!(教養・教育につながる)

参考にしたYouTube:  https://www.youtube.com/watch?v=QfUPPxqQynQ 


うえだ城下町映画祭で、<万引き家族>を観る:

2019年11月19日 | 映画・テレビ批評

=うえだ城下町映画祭で、<万引き家族>を観る:

 たまたま、見損ねた映画を、上映するというので、コンビニでチケットを購入することにした。是枝裕和監督によるカンヌ映画祭の最高賞、バルム・ドール賞を受賞した作品である。<そして、父となる>でも、テーマとなった<家族の在り方>、とりわけ、血縁とは別の家族の関係性とは何かを、今日に於ける社会問題化している諸問題でもある、貧困格差、虐待、家庭内DVD、老人問題、貧困、子どもの保護、肉親の死体遺棄、年金不正受給、JK風俗アルバイト問題、等を、<万引き>という切り口から、犯罪に手を染めることでしか、生きられない<虚構の擬似家族?>を通して、曲者俳優と子役の素晴らしい演技で、描き出している。父役のリリー・フランキー、母役の安藤サクラ、姉役の松岡苿優、祖母役の樹木希林、駄菓子屋の親父役の柄本明、映画の前半では、この(擬似)家族の過去の関係性は、大凡では、理解しつつも、どのような<心の傷と闇>を持っていたのかという事が、推測は出来ても、確信には至らない。幾つかの台詞の中で、象徴的な言葉が、聞かれる。家庭内での幼女への虐待を疑われたことから、やむなく引き取ることを余儀なくされたことと失踪事件として報道されたことが、逆に仇となり、パート先からのレイ・オフの対象となり、やむなく、脅しにも似た状況中で、<しゃべったら、殺してやる!>と、吐き捨てる場面などは、成る程、後から、この意味合いが、理解出来ることになる。そして、この夫婦の過去の関係性というものも、後半になり、樹木希林の祖母役が突然、死亡してから、そして、駄菓子屋の親父から、<妹に、万引をやらせては、駄目だぞ!>と駄菓子をもらったことで、幼い妹を守ろうとする少年にも、実は、暗い出生の過去があったことも、パチンコ屋のシーンも、車上荒らしのシーンも、後から初めて理解される。この少年が演じる健気な勉学への意欲と未来への希望、本当の父母でもない(実際は犯罪者)である人間への<ある種の信頼感>とでも言えるような感情は、血のつながりがなくても、歳の差も関係ない<人間同士の信頼感>が、芽生えているようである。そして、それは、生めば母になってしまうという、世間の常識では、決して図りしれない非常識こそが、実は、真実なのかもしれないという事が、逆に、意味を持つことになるのかもしれない。それは、仮面夫婦でも、擬似家族であれ、現代社会に潜む、どこにでも陥りそうな<身近な罠>なのかもしれない。

この映画の役どころの人物像の名前も、実際、偽名で、どこからが本名で、どこまでが、偽名で、源氏名なのか?そして、<その理由と由来>とは?そこを考えるときに、この映画の<微妙に隠された社会的な背景>があるようにも思われる。それを語り始めるとある種のネタばらしにもなってしまうので、ここでは、詳細に触れることを敢えて、避けますが、この<本名と偽名の間>には、<監督の密かに仕込んだ日本社会の問題点>が垣間見られるようです。

 果たして、エンディングでのそれぞれの置かれた立場での登場人物は、一体、どうなってしまったのであろうか?象徴的に、長髪から短髪へと髪を切った少年は、心の決断を表しているように思えるし、捨てられるという家族からの裏切りにも、既に自覚と理解を有しており、しっかりと、未来に向かって、勉学にも励み、逆境にも打ち勝ちつつ、成長してゆくのではないかと確信する。しかし、未だ物心のつかない妹は、恐らく、元の家族の下に戻されて、どのような境遇に置かれるか、心配であるが、年齢差によるその時の環境への順応は、姉や兄の場合とは異なり、対応が出来ないであろうことは、十分、映画からも、想像に難くなく、制度的な救済がなければならないとも思われるし、実際、現実にも、そういうことは、あり得るであろう。そんな<エンディングでの示唆>だったのかもしれない。

ある時点から、少年は、ある種の<やましさ>に覚醒しつつ、祖母の死をきっかけに、脚を洗う機会を探していたのかもしれない、それが、妹の万引を庇おうとして、自らが逃走を試みるも、捕まり、これを契機にして、一挙に、<全てのこの家族の謎解き>が、始まるわけである。そのことは、ひょっとして、少年が、感動的に父や妹に話す、<スィミーの逸話>にも、通じるのであろうか?映画が進行推移するに従って、やがて、この少年の拾われてきた経緯が、徐々に解き明かされてくるのであるが、それが、皮肉にも、母との拘置所内での面会室のガラス越しで、本当の両親を探したいのであればとの母心から、車種やパチンコ屋の場所などの情報が初めて知らされることになるのも、何とも、切ないモノである。実際、パチンコ屋の駐車場の車内から、幼児が熱射病で死亡したとかというニュースを聞くと、本当に、車上荒らしの車の中で、幼児が拾われたであろうことすらも、逆に、犯罪的な幼児略取として、現行法では扱われることにも、結果的に、小さな命が救われたこと事実にも、疑問が出てくるのかもしれない。それは、同じように、高良健吾肯んじる男性刑事や池脇千鶴演じる女性警察官の発言に、如実に現れているようにも思われる。残念ながら、現実の世の中というものは、こういうものなのであろうことも、事実で有り、否定し得ない現実なのかもしれない。

そもそも、血縁以外に、家族としての紐帯というか、絆を作るものは、一体何が必要なのかと、考えさせられてしまう。現代では、同性愛者でも、カップルとして、養子縁組みや、子育てもし、又、不妊治療を諦めた夫婦が、里親制度での養子縁組を採用したりと、<家族の在り方>も、大きく変貌しつつあるのが現実である。一体、日本を含めて、世界は、どこへ向かってゆくのであろうか?夫婦という形も、結婚という形すらも、事実婚や、夫婦別姓ではないが、パートナーシップ制度や、既存の民法の範囲を超えながら、進み始めているのが現実なのかもしれない。

 今年で、うえだ城下町映画祭も、23回目になるそうであるが、腰の悪い年寄りには、<翔んで埼玉>も、応援上映を観たかったが、やむなく、会場を後にしたのは、残念であった。

上田映劇や犀の角などで、好評を博した映画などを幅広く、今後、再上映してもらいたいモノである。関係者の皆様、ご苦労様でした。来年も楽しみです!

https://www.umic.jp/eigasai/

 


英語 民間試験延期に考える:

2019年11月09日 | 社会戯評

英語 民間試験延期に考える:

 

どこかの国の文部科学省大臣が、身の丈に応じた試験対応を受験生に御願いしたいとかという発言をきっかけにしたせいなのか、どうかは、解らぬが、可哀想なのは、これまで実施想定を前提に、準備してきた受験生や関係者はたまったものではない。それにしても、英語という教科は、これまで、書くことや文法中心で、sを三人称単数の時には、つけなさいとか、耳からの発音や会話や、英語によるディベートなどは、確かに後回しになっていて、中学校から、大学卒業まで、10年ほどの長い間、学校教育を受けたところで、まともな英語での会話などは、到底達成できなかったということも確かに、事実であろう。

 自分自身の経験からしても、特別に、一部の親しい友人のように、高校時代からESSや英語検定資格試験などを受けていない限り、頭では解っていても、なかなか、会話が進まない歯がゆさは、社会に出てから、イヤという程、蹉跌を踏む思いで、そのギャップをおもい知らされると同時に、必死になって、そのハンディキャップを取り戻そうとばかりに、再勉強をしたモノである。所詮、受験勉強という前提であって、決して、英語という言語を使って、世界観を表現したり、哲学論、日本の文化を外国人達と語り合おうなどと言う<崇高な志>などは、なかったように思われる。尤も、今の時代のように。TOEICとか、TOEFLなどによる点数の評価が、課せられていたら、きっと、<受験勉強の一環>として、必死こいて、勉強しただろうが、そんなことよりも、激動の時代に生まれ、青春時代を過ごしてしまったことから、別の社会勉強の方にばかり、うつつを抜かしてしまい、<英語で国際感覚>を養うなどと言うことは、せいぜいが、小田実の<何でも観てやろう>を読んで、あのベ平連を作った男が、後日、フルブライト留学生だったことに、気がつく頃には、もはや、手遅れでありました。そんなこんなで、何も解らず仕舞いで、社会に放り出された挙げ句の果てに、悠々自適な本社総務部・人事部への志望とは裏腹に、海外営業部なる部署に、まっこと、英語も貿易も解らずじまいで、いきなり、天と地が逆転するような環境下に放り出されたことを今にして思うと、あぁ、もっと勉強しておけば良かったと後悔しても、全く、くその役にも立ちませんでした。

 有り難いことに、当時、会社では、社内英語試験にパスすると、A級が、月額5千円給与に加算されるという制度が、インセンティブで創設されていて、<ニンジンほしさ>に、高尚な志とは違って、<おカネ欲しさ>という極めて不純な動機のみで、一生懸命、ワンレッスン@5千円の外国人会話レッスン教室で、あっという間に、消えることになりました。今から考えると、オンライン・チャット会話とか、IT活用の英会話レッスンに比べると、随分、プリミティブな方策であったと愕然と致します。日々、<恥の掻き捨て>と<OJT>で、もともと、ツラの皮が厚かったのが幸いしてか、どうかは、解りませんが、課長に連れられ連れられしながら、様々な場面を踏みつつ、接待の酒で酩酊しながらも、帰宅後に、様々な<後付け復習>の成果でしょうか、入社後、5年もたてば、いっぱしの海外貿易マン風には、なり、30前後には、<食うための英語>というユダヤ人張りの人生訓を身につけるに至りました。まさか、後年、これらの延長線上で、独立事業を興し、海外貿易に、40年余携わり、<英語を武器に>生業になるとは、全く想像だにしていませんでした。

 引退後に、様々なボランティアに、携わる中で、外国人旅行者に接する度に、彼らが、<アニメや漫画、カラオケ、映画>等で、繰り返し、繰り返し、毎日、日本語の会話を学び、基礎的な知識を学んだ後で、文法などをきちんと、勉強し直して、徐々に、そのスキルを向上させてゆく課程を知るにつけ、一体、日本の英語教育は、どうなっているのかと、考え始めました。又、自分の会社で雇用した<帰国子女>の英語がうまい社員は、接待の時に、<寿司や醤油の歴史>をすしや天ぷらを食べているときに、説明してあげて下さいというと、それは出来ませんと、答えられ、唖然としましたが、その理由は、彼らは、そもそも、寿司や天ぷら、醤油の文化的な歴史を日本語で知らないという事で、英語で説明できないと言うことが、判明しました。

 何も、全員が、同時通訳者を目指すわけではない以上、中学生程度のボキャブラリーでも、十分、日常会話は愉しめるわけですし、何も、哲学論を闘わすわけではない以上、外国語教育というものは、何も、こうすれば、王道だというものはないのではなかろうかと、私は、感じます。とりわけ、仕事で、ベトナム語やタイ語や、スペイン語を現地で話さなければならないときに、私は、まず、わがままに、<私は○○したい>或いは、<○○下さい>という言葉を、真っ先に覚えることにしています。それは、<生きるために必要だから>です。そして、<ありがとう、感謝といりません!拒絶>です。この自分で作成した会話帳は、大いに役立ち、レストラン、タクシー、買い物で、大変役に立っています。

 文化論・歴史観・イデオロギー論などを論じる時には、やはり、しっかりとした<自国言語での確固たる論理>をしっかりと、有していないと、議論には、ならないでしょうね。これは、痛感しますし、それなりの英語スキルがある程度なければ、表現できませんね。これからの時代には、<読み・書き・聞く・述べる>これらを英語で、同時に、しかも、リアルタイムで、フェースタイムやビデオ・チャットで、相手の顔色を窺いながら、やっていかなければならない時代で、老い先短い私らと違い、これからの若い受験生達は、大変な時代であろうかと想像されます。小泉進次郎が、Sexy発言で、温室ガス削減をHowと外国記者から尋ねられて、言葉に詰まった如く、原稿を書いて、考察する時間的な猶予がない場面が、これからは、多くなり、真の実力が、或いは、当意即妙な柔軟な双方向での対応が、不可欠になる時代かもしれません。何も、<記述式の課題>は、英語だけでなく、国語や数学その他にも、波及していきそうであるし、そもそも、民間への丸投げの利権談合や<教育の機会均等問題>というものにも、飛び火しそうですが、、、、、。ここでは、問題が多すぎるので、後日取り上げましょう


映画、<楽園>の人間心理:

2019年11月04日 | 映画・テレビ批評
映画、<楽園>の人間心理:
 
  綾野剛演じる少女失踪事件の容疑者として、次第に追い詰められてゆく、過去の生い立ちに様々な事情を抱える孤独な、徐々に精神を病んでゆく青年、そして、不幸な惨劇を自らが犯してしまうことになる青年、杉咲花演じる、子どもの時に起きた失踪事件のその直前まで親友と一緒にいて、Y字路で別れ、そして事件後、<一人だけ生き残って>幸せになるということで心に傷を抱える少女、そして、再び、12年後に未解決のまま、同様な事件が起きる。自然に恵まれた環境の中、<限界集落>に於ける、村おこしを巡って村八分にされる何の罪もない中年の男役を演じる佐藤浩市、そして、その果ての謂われのなき惨劇といい、これらの主人公達を巡って、その周辺に関わる地域社会の人間達とその地域で暮らしてゆかざるを得ないそうした<人々の群衆心理>と誰でも良いから良いからという<魔女狩り>志向、そして、各個人のとってしまう行為とは、、、、、。<犯罪被害者とその家族の心持ち>、<あいつが、犯人だと言ってくれ!>と迫る、犯罪被害者家族である祖父役の柄本明、そして、加害者とおぼしき人物、加害者となるべくしてなってしまったその人物達の<心理的な葛藤と平然差の落差>と、徐々に、追い込まれてゆくその過程の様相とは、小さな地域、狭い共同体の中で、その一員として果たしていた人間が、いわれなき理由から、或いは、ふとした些細なきっかけから、疑心暗鬼となり、相互不信へと、徐々に、日常生活の中で、<分断、孤立化して行き、壊れてゆく過程>には、一体どこに、救いがあるのであろうか?助けは、どこにもないのであろうか?<共同体としての一員>としての<個という存在>と<地域共同体が体現する、有する無言の目に見えぬ圧力と強制的支配力>との狭間に揺れる姿、<自助努力と共助の両立>は、果たして、本当に可能なのであろうか?地域社会にその一員として、溶け込みながら、如何にして、<自己の個としての存在を共立>しうるのか?
  それにしても、現実の世界では、この映画に出てきそうな話が、いくつも、思い起こされるが、その度に、どうしたら、防げたのであろうかと、、、、、。ここ何本か、立て続けに、様々な映画を偶然、鑑賞したが、そのどれにも、共通するものは、<社会的な弱者へのセーフティ・ネットを担保するもの>は、最終的には、<家族が最期の砦>なのであろうか、それとも、<地域社会による共助>なのだろうか、それとも、<自己責任をベースとした自助努力>をよりどころにした、カネがものをいうものだろうか?聞くところでは、今や中国には、一人っ子政策による弊害として、唯一の子どもに、先立たれた両親が、今日、老齢を迎えるに当たって、誰が、互いの家族の生活や介護を担ってくれるのかという問題が、大きな社会問題になりつつあると謂われているが、日本でも、少子化や結婚年齢の高齢化問題やお一人様問題、孤独死、等を含めると、どういう方向性に向かってゆくのであろうか?考えさせられてしまう。
役者というものは、綾野剛にしても、風貌も含めて、難しいこうした役柄、中国難民認定親子の言葉の問題と地域社会へ溶け込めない事から生じる精神的な葛藤と精神を病んでゆく過程の表現、とりわけ、ライターで火をつけるに至る形相など、これは、映画、閉鎖病棟:それぞれの朝でも彼が演じて見せた役者の技量には、おおいに、今後を期待しても宜しいのではないかと感じてしまう。併せて、杉咲花も、難しい役柄を、若い女性へと変貌してゆく過程を演じきっていて、これからが愉しみになる。又、犯罪被害者家族の心情と本音をストレートな形で、表現した柄本明も、十分存在感があったと思う。佐藤浩市の演技は、私には、もっと、惨劇に至るまでの心理的な課程、過去からの時間的・心理的な葛藤、私には、個人的に、愛犬を家族同然に飼っていた経験からも、色々な意味からも、解らぬ事はなく、逆に、最期の惨劇を決断する状況の表現が、もう少し欲しかったかなぁとも思う。
  映画のシーンというのは、その場その場で、観ていると、<サラッと流してしまう>が、冒頭の二人でクローバーの花飾りを作る(象徴的な)シーンでも、<あの場面がどういう意味を有するものなのか>と言うことは、最期の方で、理解されることになる。又、シェパードの存在も、成る程、そういうことだったのかと言うことも、改めて、後から、納得される。映画というものは、小説もそうかもしれないが、各シーン・各カットを個々に分解して、その中で、<ある種のパズルの謎解き>のように、再構成してゆく手法は、映画を観る観客と創る側との<知的心理的な戦い>なのかもしれない。その意味で、年寄りには、知的、刺激的で、やみつきになりそうで、だから、映画鑑賞は面白いし、なかなか、やめられないモノである。

映画、<閉鎖病棟―それぞれの朝>:

2019年11月02日 | 映画・テレビ批評

ここのところ、やけに映画評論が続いているが、年寄りには、頭の体操でもあり、ぼけ防止、監督や役者との知恵比べと謂ったところだろうか?この映画の印象を述べる前に、<楽園>の中で、主演の一人を好演した綾野剛の演技が、なかなか、興味深かったので、この作品の中でも、ある種共通する彼の演技力に、これからの作品でも、期待したモノである。現代的な問題として、<自殺>、<精神疾患>、<薬物中毒>、<性犯罪>、<性的DV・虐待>、<老々介護>、<死刑制度>、そして、<家族>、この映画の3人の主人公達が、抱える問題は、全て、こうした現代的な、今日的な問題が、独立行政法人国立病院機構が運営する精神科の専門医療施設・小諸高原病院の協力の下に、しっかりと描かれている。元サラリーマンで幻聴に悩まされ、妹夫婦から阻害され精神病院へ隔離されてしまう役の綾野剛、妻の不倫現場を目撃してとっさに、相手もろとも殺戮し、更に、残される老母を切なく思いつつ、手にかけてしまう死刑囚で、奇跡的に、執行時に、生還して、脊椎損傷により、精神病院をたらい回しにされる元死刑囚の役の笑福亭鶴瓶、そして、母の再婚相手から性的DVを受けて自殺を図る、女子高校生役の小松菜奈、更に、この精神病棟の様々な患者の様々なそれぞれの人生模様とその病歴、孤独死、そして、そんな中でも必死に生きようとする患者の生活の中で、日常を一変させてしまうある事件をきっかけに、新たな殺人事件が、不幸にも、起こるべくして、起きてしまう。そして、法廷での展開へと移ってゆく。(ネタバレしない程度にして、是非映画を観て下さい。)
 それにつけても、人は、一度、不幸に堕ち始めると、とことん、蟻地獄の穴にはまってしまったかのように、奈落の底へ、堕ちてゆくモノである。健康な精神は、健康な身体に宿ると謂われているが、本当に、一度、歯車が狂うと、万事がうまく行かなくなるモノである。
家族の中ですら、その<自分の居場所>、社会の中でも、むろん<自分の居場所>、それが、身体的苦痛や病気や、何かのきっかけで、バランスを崩してしまうと、いとも簡単に、<社会的な弱者へと転落>してゆくものなであろうか?社会的な弱者を救済するのは、果たして、<家族のみ>なのであろうか?他には、この社会には、そうした<社会的なセイフティー・ネット制度>みたいな、そんなものはないのであろうか?<JOKER>の中にも出てくるソーシャル・ワーカーの虚しさも解らなくはないが、それでも、最期のシーンで、退院することになった綾野剛に、<ゆっくりゆっくりでいいよ!それでも駄目だったら、戻ってくればいいよ!>という小林聡美演じる看護婦長の言葉で、やっと初めて<唯一救済され>そうである。誰が、<再び立ち上がる>のを助けてくれるのだろうか?刑務所の運動場で、車椅子から、必死の思いで、自分の脚で、一生懸命、<立ち上がろう>とするシーンは、<再び、残りの人生を生きてゆこうとする証し>であり、新たな決断と意思なのであろう。きっと、この3人の主人公は、しっかりと、それぞれの場所で、それぞれの居場所を見つけて、それぞれの朝を迎えて、きっと生きてゆくことを選んだのであろう。 原作は、精神科医の箒木蓬生による同名の著作である。
それにしても、<楽園>での綾野剛が演じた精神を病んだ人間の演技と、この映画での役柄といい、なかなか、若手ながら、良い演技ではないだろうか、又、小松菜名も、やや、エキセントリックな役柄にもかかわらず、思い切った役への挑戦という意味では、将来が楽しみでもあり、又、<楽園>での杉咲花も、楽しみである。見終わってから、上田城映画祭で、今年前半に見損なってしまった<万引き家族>が上映されることを知ったので、今度は、こちらも愉しみである。それにしても、80台とおぼしき老夫婦が、連れだって、次は、何を観るベと、相談している姿は、なかなか、都会では、見られない光景で、この人達には、パチンコ屋は、きっと、不必要であろうし、居場所が見つからないようには、到底思えない。羨ましい限りである。





映画<JOKER>の<笑いと狂気>:

2019年11月01日 | 映画・テレビ批評

映画<JOKER>の<笑いと狂気>:

 美術館での絵画の鑑賞には、私は、いつも解説のイヤホンを余程のことがない限り、借りることなく、ますは、自分の感性を信じて、自分なりの想像の中で、画家と対話することにしている。ここのところ、幾つかの映画を観ることになったが、映画の場合には、DVDでも、再度、シーンをじっくりと、見直すことも可能であるから、実に面白い。その意味では、この<JOKER - put on a happy face>という映画も、じっくりと、それぞれのシーンやカットに、込められた脚本家・監督・役者・カメラマン達の<挑戦的な問いかけ>が、解らずに、見逃してしまいそうである。風聞するところでは、主役のホアキン・フェニックスが、お気に入りのシーンですら、監督に、バサリと削除カットされてしまったとか、それならば、完全ノーカット版というのが、仮にあるとすれば、それはどんなモノなのか、一体何故、どうして、こうなったのか、、、、そして、この映画の続編は製作されるのであろうか?期待したい作品である。一体、<どこからどこまでが事実>であり、<どこから先が、妄想>なのか?今風に言えば、<FACTとは何で、FAKEはどこまで>?といったところであろうか、果たして、アーサーという主人公が、ジョーカーという人物なのであろうか?一般的には、ジョーカー誕生までのストーリーであり、それでは、富豪の両親を射殺されてしまうブルース・ウェインという子どもが、結局長じて、バットマンになるのか?別に、私は、バットマンの映画をシリーズで観ているわけではないから、細かな人物の設定まで、コミックスを読んでもいないから、知識はないが、ある程度は、推測可能なのかもしれない。唯、事は、そう簡単には、この映画の脚本家も監督も役者もカメラマンも、卸してくれそうもない。そもそも、様々なシーンに、どこかの映画で観たようなシーンや、雰囲気が、<謎めいたパズル>のように、意図的に、ちりばめられているように感じてならない。

例えば、<笑いとダンス>のシーンが、様々な場面で垣間見られる。元来、笑いというものは、人間だけが有するもので、類人猿でも、仲間内でも、敵意がないことを示す顔つきはしても、心からの笑いというものはなく、ましてや、文化としてのコメディーやコントや落語、などは、あり得ないわけで、もっとも、その根源には、対比としての<悲しみ・悲劇>があることも忘れてはならない。その意味では、アーサーが、奇しくも言うように、<人生の悲劇は喜劇>にもなることに繋がっているのかもしれない。そして、役者としてのホアキン・フェニックスの真骨頂は、その<笑いとダンス>のシーンに、数々の場面で、遺憾なく発揮されているように思われる。まるで、コンテンポラリー・パーフォーマーが、即興で踊るように、その高揚感と悲しみを、このダンスの場面で、<心の高揚感・充足度>として、まるで表現しているようで、その変化は、微妙に、アーサーというコメディアンを目指していたピエロが、徐々に、ジョーカーへと変貌してゆく過程でもあろう。年老いた母との二人でのダンス、地下鉄階段での様々なシーンでのダンス、トイレの鏡に映し出された自分の分身である姿を見ながらのダンス、他、明らかに、そこには、<ある種のメッセージ性>が隠されていると思われる。重い足取り、軽いステップ、歩き方にも、細かい心境の変化がちりばめられているように感じられてならない。明らかに、映画を観ている観客への挑戦であろう。

目だけ、或いは、表面面の顔だけが笑っていても、心の底からは、決して、笑っていない、笑えない心境を、表現している演技なのだろう、脳の障害の為に予期せぬ時に、笑ってしまう病気なので、お許し下さい、というメッセージを準備して、バスの中で黒人の子どもの母親から、構わないで下さいと言われるシーンでも、第一の殺人を犯すきっかけとなる地下鉄車両の中でのピエロの衣装をまとったままでの突然の笑いも、様々なシーンでの笑いが、観られる。

この映画は、どこまでが、事実で、或いは、妄想であるか、解らないと評したが、それを判断するのは、観る側の想像力で大きく評価が分かれるところであるが、今日的な病巣である、厳然たるFACT(事実)であるところの<精神疾患>、<出自の秘密>、<幼少期でのネグレクト・DV・体罰>、<シングル・マザー>、<貧困格差>、<1%の富裕層>、<ソーシャル・ワーカー>、<暴動・暴力・殺人・治安>等の問題が、更には、<テレビのショー番組>という<エスタブリッシュメント>が、ゴッサムという都市の中で、描かれている。

出自・出生の秘密に絶望し、隣人女性に拒絶され、職場を解雇・失職され、自分の居場所を喪失してゆく、そして、福祉予算支援も削られ ソーシャル・ワーカーによる相談も廃止の憂き目に遭うこととなり、自分の尊厳と存在そのものも、喪失してゆく。そんな折に、偶然、ロバート・デ・ニーロ演じるマレー・フランクリンという人気司会者のショーに、出演するきっかけを掴むが、、、、、、。既に、そこに至る過程で、自身の人生は悲劇だ!これが、今や、喜劇と化す、一大ライブ・ショーを自らが、演じることになる。そして、それは、<我々はピエロだ!存在そのものも>、、、、、、というあたかも、<we are not 1%>或いは、ウォール・ストリートを占拠せよというムーブメントに呼応するかのように、<暴動・略奪・殺人>が、デモと共に、起こる。ここから先は、ネタばれにもなってしまうので、是非、映画を観てもらいたいものである。

私は、バットマンやジョーカーの俳優に関して、全くの門外漢であるが、(カッコーの巣の上で)のジャック・ニコルソンが演じたジョーカーの役を、今回のホアキン・フェニックスは、十分、凌駕するにたる演技ではないだろうか、R+15という映画だから、ある程度の殺人場面は、やむを得ぬが、これらも、今日的な意味合いからすれば、FACTなのであろうから、やむを得ないのかもしれない。こびと症の同僚を、唯一、良くしてくれたのは、君だけだったからという理由から、解放したり、幾つかの<心理的な葛藤>が、その演技の中に、垣間見られる。

最期のラストシーンは、どのように、解釈したら良いのであろうか?

連行されるパトカーの中から、暴徒達に、助け出されて、カリスマ的な悪の犯罪リーダーとしてのジョーカーの誕生に、この当人が至ることになるのか、それとも、それは、単なる妄想の中で、アーカム州立病院の精神科の中に幽閉されてしまう精神病患者の連続殺人犯が現実なのか、一体、どちらなのか、どう解釈したら良いのであろうか?仮に、ジョーカーなる人物は、アーサーではなくて、<アーサーが作り出した仮面のジョーカーの哲学>に、共鳴した別の人物が、トーマス・ウェイン夫妻を殺害して、その子どもである、ブルース・ウェインが、後のバットマンに、なるのであろうか?そうなると、バットマンの執事は、誰なのであろうか?(それはどうでも良いかな)

 追伸):映画で、いつも楽しみなのは、音楽である。門外漢の私でも、チャップリンの映画、モダンタイムスの中で使われているスマイルの曲は、<どんな辛いときにも、スマイルすれば、乗り越えられる>、というメッセージは、母親から言われた、<どんなときも笑顔で、、、、、>も、まるで、皮肉にも受け取れてしまう。スローテンポの映画内の甘いメロディーは、まるで、<懐かしいよき時代のアメリカ>と大きな対比なのであろうか?字幕の歌詞も、意味深長なものである。想像力がかき立てられ、<現実のギャップ>として、浮き出てこよう。


ドラフト会議に思う:

2019年10月24日 | スポーツ

ドラフト会議に思う:

余り、最近では、ドラフト会議にも興味が沸かないが、たまたま、秋口には、プロの野球選手の戦力外通知やら、トライアウトやらの記事が、目に入るので、少々、気になって、観てみることにした。毎年、すさまじい数の新人達が、競って、プロ入りするモノであるが、新聞の一覧表には、<昨年或いは直近5年間のリストと一軍での実績>を、参考までに、掲載してもらいたいモノである。何せ、歳と共に、記憶力が衰える一方で、ドラフト1位指名の選手が、誰であったかも、一年前ですら、余程有名でない限り、或いは、活躍していない限り、思い出せないものである。

つい先頃、早稲田の当時三羽がらすと騒がれた、大石(西武)斉藤(日ハム)福井(広島)の中でも、大石が、戦力外通知という報道を目にしたが、何とも、実力主義以外の何者でもない世界であることを改めて、知らされる。それにしても、人生の内、わずか、18歳か、22歳からしても、5年か、10年間程度で、第二の人生を描き直すというのは、野球一本の生活に、身も心も捧げてきた若者には、如何ばかりのものがあるのであろうか?

30歳前での人生リセットとは、普通のサラリーマンでは、やっと、仕事の要領も覚えて、これから、一働きをしなければならない、そんな時期ではないだろうか?そういう意味合いからすれば、それなりのある種の決断を、可能な限り、出来うる年齢であるとも言えるのであろうか?それにしても、<消えた天才>とか、<誰もが認めた非凡な才能>とか、どんなに、世間やマスコミにもてはやされても、所詮は、何の保障も担保もない、<実力と実績>しか、通用しない世界なのであろう。同じ事は、相撲の力士にも、言えるであろうし、程度の差はあっても、多かれ少なかれ、どこのビジネスの世界にも当てはまるのかもしれない。

金田や長嶋などのような超一流選手は別なのかもしれないが、ストレス耐性に強く、怪我をしないような身体作り、食生活、行動を正しく律する日常生活、金銭感覚、そして、指導にも恵まれ、時として、幸運にも、チャンスにも恵まれて、ここ一番と言うときにも、思う存分実力が発揮できるだけの技術・体力・精神力、<運・鈍・根>ではないが、天運にも、恵まれるような、そんな一握りの選手だけが、勝ち残れる世界が、プロの世界なのかもしれない。小さな地域では、天才とか、もてはやされても、地方、全国、そして、同年代ではなくて、異なる世代も含めた競争の世界では、唯の凡人であったことに、気づかされるとうことも、何も、プロの世界だけではなくて、普通のビジネの世界でも、人生の中では、まま、あるであろう。

それにつけても、どのように、人生をリセット可能なのか?メンタルな面でも、どうやって、残りの長い人生に向かって、リセットしてゆくのであろうか?活躍を祈らずには、いられないと共に、自分自身も、残りの人生リセットは、どうして行くのか、自問自答しなければならないのかもしれない。一年後、二年後のドラフト会議までに、名前を覚えていられるであろうか?多分、対比表にでもしてくれたら、有り難いモノであるが、、、、、。

考えさせられてしまった。くじを引く強運もさることながら、くじを引いてもらう強運にも恵まれないと成功も駄目なのかもしれないとは、厳しいモノである。

 

 


台風19号に思う:

2019年10月18日 | 社会戯評

台風19号に思う:

 

これまで、広島に在住する長年の友人から、自宅用に排水ポンプを購入したという連絡をもらったり、<連続線上降水帯>による西日本豪雨災害の話を見聞きしたりして、ある程度は、<災害への危機感>も持ち、それなりの準備を物心両面から、していたつもりであったが、今回の台風19号(HAGABIS)の被害報道に接するにつけ、改めて今後への対策をきちんと樹てておきたいと思い始めました。たまたま、帰京していて、長野県の千曲川の氾濫や東御市の田中橋手前の崩落などを知るに至り、数年前の小諸での冬場での大雪や、3.11 東日本大震災時のことを想起させられました。考えてみれば、あれから、既に、万人に、平等に、時間も経過していて、今や、杖をついていないと歩行困難者になり、二階や、階段を上るのにも、手すりにつかまらないと、バランスが悪く、よいしょと掛け声をかけないと登れななくなってしまった現在では、謂わば、一種の<災害弱者>の一歩手前、否、既に、他人の手助けを煩わせないといけない、<災害弱者>そのものであるという、<自覚>が、必要なのかもしれません。3.11の頃のように、徒歩で、都心部から、3時間余り、一人で、歩いて自宅へ戻るなども、今では、恐らく、倍以上の時間がかかる矢もしれませんね。都バスの無料パスも、全く、役に立たないことは、きっと、間違いないでしょうね。

古文書や土地の言い伝えではないが、開発以前の地形・地質や<土壌や地層の成り立ち>なども、以前では、1m程の下水道だったところも、きれいに、土管の下に埋もれて、遊歩道化されていたり、子どもの頃に、遊んでいた窪地も、盛り土されて、きれいな造成地となり、瀟洒な住宅地化されていたり、単純に、<ハザード・マップ>だけでは、判断しきれない<隠された地形>が、そこここに、所謂、<開発という美名と快適・便利さ>の下に、<隠されている>のが、実体ではなかろうか?それは、液状化現象だけでなくとも、分かります。<安心・安全・快適・便利という神話>を、もう一度、疑ってみる必要があるのかもしれません。<自然災害だから、致し方ない>という、諦めは、如何にも、日本人が、持ち合わせている<独特な仏教的な諦観にも似た考え方>ではあるが、一方で、科学万能志向、堤防の景観悪化に、反対したから、洪水被害が起きたのであるという式の馬鹿げた考え方にも、困ったモノである。

詳細な検証を待たなければ、まだ、分からぬものの、都心部で、利根川が氾濫しなかったのも、或いは、都市部での中小河川が、大きな氾濫が、起きなかったのも、恐らく、<巨大な地下神殿式の地下遊水・貯水施設>が、効果を発揮したのではないだろうか、自宅の前で、数年前から実施されてきた<巨大な地下排水トンネル工事>も、間違いなく、その一環で行われてきた工事であろうことは疑いありません。むしろ、大型河川での堤防補強工事に対する、<安心神話への過信>、1985年以来、風水害があまり、来ていないという<準備不足や油断>というモノも、あったのやもしれません。この辺りは、被害住民の心理的な行動意識調査結果を待たないと分からないかもしれませんが、当時の長野県中野市をたまたま、車で車で通過して、土石流による甚大な被害の様を目の当たりにした覚えがありますが、あんなに巨大な石ころが、なんと簡単に、流れ落ちてくるモノであるかと感心したものです。それにしても、<堤防の決壊のメカニズム>というモノが、何通りもあることを初めて知りました。こういう情報も、専門家による、<知識・ノウハウの独占>ではなくて広く、子どもの頃から、学校教育の中でも、SNSでも、周知徹底してもらいたいモノです。早速、ネットで、検索してみました。

それにしても、<命と資産の自己防衛>は、如何にして、両立出来れば、それに越したことはないが、少なくとも、<命あっての物種>で、<命を最優先>するとしたら、3.11の教訓から学んだことは、あのときも、事前のNHKの<メガ・クェイク来襲>という番組放映から、地震により発生する<都市型火災・河川の氾濫の危険性>と、事前準備の警鐘を思い起こします。今回は、自分独自で、この時作成した<時の避難準備マニュアルの更新・アップデート>が、今後毎年予想されるであろう<スーパー台風>にも、必要でありましょう。

今回は、台風15号による千葉県での停電被害に対応すべく、車載用蓄電池を、アウトドアーに精通した友人(ワンちゃんがいるので、夏場のゴム・ボートも、付近の河川の氾濫に伴う避難時にも使えるとか、)に相談した上で、準備しましたが、不幸中の幸いで、使用に至らずに、済みました。それにしても、<事前準備>・<被害時での行動>・<被害後の対応>という、まさに、Before/Afterという一連のスムースな流れの<シミュレーション>を描いておいて、情報収集して、<自己防衛・共助>の準備をしておかなければなりません。真剣に、考えさせられました。

60年前の子どもの頃とは違って、ラジオで、情報を入手するだけでなくて、電気が不通にならない限り、ネットでも、テレビでも、様々な情報を入手できましたが、今回は、とりわけ、次のような情報が大変やくにたちましたね、<地域の雨雲レーダー>、<地域の河川水位グラフ>、<地域の河川水位ライブ・カメラ>(夜間は、見えづらいが)、<地域の降雨グラフ> 、<24時間増水推移グラフ>、<避難場所の情報>、<緊急避難勧告情報メール>(今回は、幸いにも、通知がありませんでした)、基本的に、私は、行政を頼りにせず、<独自情報収集と危機管理>で、事前に行動対応するのを、旨としています。<アルミのはしご>は、2階に、準備すべきだったですね。屋上につながる階段があるので、本来不要ですが、隣のうちに、移動する時には、役に立つかもしれませんね。(テレビを観ていて、そう思いました)

3.11震災後に、車載用に、<携帯用防寒アルミ・フォイル・ポンチョ>を準備していましたが、今回も使用せずに済みました。<ゴミ袋、大>は、二重にすると、水嚢(CTに入れて連結する水嚢)を作ったり、飲料水の貯水用(段ボールや大型リュックに入れる方式)にも便利とかで、事前に、多数準備しておいても、良いかもしれませんね。<エアー・マット>も、床に直接寝ずに済むので、便利かもしれません。(腰の悪い年寄りには、必須かもしれない。)それにしても、イタリアなどの災害被害テントに比べて、設備・食事等などは、ずいぶん見劣りするのは、何故でしょうかね?災害担当大臣他は、一日体験をしてみるべきでしょうね。

それにしても、救援が来るまでには、<飲料水・電源・缶詰>は、少なくとも、自己責任で、3日間分くらい最低でも、準備が必要でしょうね。3.11時の経験から、友人・知人・親族の連絡網は、電話連絡やショート・メール連絡等は、改選の混み具合のせいか、<地方の方が繋がりやすく>、伝言ゲームではありませんが、<Google Person Finder>等よりも、実戦効果有りかもしれません。又、<幾つかの多様なルートを使い分けること>が、非常災害時には不可欠かもしれません。色々と各種試してみて、勉強になりました。

フランス人アーティストとのミーティングが、たまたま、予定されていて、豊島区の東部避難所に、避難したいという要請があり、当日は、HP上で住所と連絡先、地図アプリで、連絡したり、避難所に電話して受け入れ要請したり、具体的に、どういう行動をとったら良いかも、併せて、勉強させて貰えました。海外で一晩でも避難するなんて、なかなか、レアーな一生に一度でも珍しい経験ですね。何でも、傘が、パーになってしまったとか?まぁ、床が堅くて、寝られなかったとか、翌朝5時過ぎには、無事、退去できたと連絡があったので、ホッと一安心しましたが、、、、、本当に何もなくて無事で良かった。

<防災・減災>、或いは、<危機管理体験>というものは、実際、ある程度、<実地体験>してみないことには、分からないことが多いけれど、そのときになって、遅かったと気がついても、そのときには、既に手遅れな訳であって、<普段からの想定準備・仮想体験>を心がけていなければならないことが再認識されました。<災害タイムライン>も、場所は関係なしに、頭の中で、<どう行動するかという想定>を、しっかりと、準備しておかなければなりませんね。

その意味からも、<事前準備・最中・事後の対応>など、<メジャー活用による被害状況のカメラの撮り方>、<罹災証明書の申請の仕方>、<家財保険・水害特約保険などの条件の再確認>、<公的支援申請方法>など、或いは、通勤通学に使用している<生活道路の通行止め情報入手方法>とか、広範囲に、様々なことに、思いを巡らせないといけなくなってきました。これまでの地震による津波や火災による被害を想定していた事に加えて、風水害・竜巻・突風も含めてとなると、これはこれで、なかなかなものになりそうです。

人工透析の友人は、自宅に帰れずに、病院で一泊したとか、自宅が停電になれば、どうするのかと思えば、<持病の投薬在庫>も、多少は、多めに、保有しておく必要があるかなど、次から次へと、大変なことです。河川氾濫の各種カテゴリーも、多様なようで、支流の<バック・ウォーター>やら、<内水氾濫>とか、これまでの<マンホール・下水の逆流>などという現象とは、別な事例も、堤防の氾濫メカニズムも、内側・外側・内部・深部とか、様々なメカニズムがあるようで、<坂東太郎の氾濫>を、様々な治水で、対策を講じた家康の江戸時代まで、遡って歴史を顧みると、(武田)信玄堰なども、改めて、先人達の犠牲と艱難辛苦を思わざるを得ません。地下室にある電気室の浸水で、断水・IHコンロも使えず、おまけに、50階から、階段を上がり下りでは、堪らないですね。

まだ、愛犬が元気だったときに、ゲリラ豪雨で、自宅近くの幹線道路のアンダー・パスや、橋が通行止めになった時には、自宅前の道も10cm程冠水して、隣のお宅の半地下式車庫は、水没して、汚水が流れ込み、被害が出て、我が家の車も坂の上付近に路上駐車を余儀なくされたこと、又、自宅に戻るときには、愛犬が犬かきで泳いでいたことを想い出しました。又、翌日には。水が引いた後で、噴霧された消毒液の匂いが、1週間ほど、消えなかったことを想い出しました。テレビを観ていたら、食器の消毒に、<ベンザルコニウム塩化剤希釈用>や、<次亜塩素酸ナトリウム溶液>などという、懐かしい、食品衛生に使用される薬剤の名前を目にしました。

それにしても、自分が、いつも見聞きしている親しい場所が、被害が出たり、知り合いが、被害に遭ったりすると、構えるモノですが、以前にもまして、真剣に、<命と資産管理>をどのように自己防衛するか、に関して、考えるときを迎えているような気がします。<Google Map>の<道路通行止め箇所地図情報>とか、<各種地図・交通情報アプリの各種新たな使い方>の<新たな使い方も、初めて知る>ことが、お陰様で出来ました。

確かに、災害報道も、これでもか、これでもかで、必要であろうが、<通勤通学道路の通行止め情報・混雑渋滞情報>の方が、次には、時間的な段階を経過する過程では、必要なのかもしれませんね。その意味では、<マニュアルも然り>で、それにしても、これまで、数多くの災害被害対策を経てきたにもかかわらず、何故、そうした総合的な<時系列対応型の防災マニュアル>が、ネット上に、公開されないのでしょうか?専門家は、一体、何をしているのでしょうか?

<松枯れによる倒木での電線切断>や土砂崩れによる停電では、ネットも含めて、石油ヒーターなども使用不能になり、冬期では命に関わる問題になりかねません。かなりの数の倒木被害や道路の寸断などによる迂回を余儀なくされているようですから、こういった対策や復旧も必要不可欠でしょうね。それにしても、命を失ったり、危険な目に遭われたりした皆様には、何と声をかけたら良いのでしょうか?農業被害も含めて、停電に伴う冷蔵庫の二次災害や、材料や機械器具などの被害も併せると、一体、どのくらいの被害額になることでしょうか?金額だけで済むのであれば、それはそれで、考えようによっては、解決可能かもしれませんが、人生の中で、或いは、個人個人の一生のライフ・ステージの中では、如何なものでしょうか?まだ若い内では、何とか、将来やり直しが利くかもしれませんが、引退してからやお年寄りには、到底耐えがたい物心両面でのダメージとなりかねません。おカネで取り返せないような貴重な家族との想い出など、濁流と共に、一瞬のうちに、悪夢の如く、ながされてしまったのでは、取り返しのしようがありません。

間違いなく、これからは、この種の災害が、もっと大きなモノがやってくるような気がします。<災害大国、ニッポン>は、どこへ、行くのでしょうか?又、その時に、自分自身の将来は?、或いは、家族の将来は?今回、又、全く、考えさせられてしまいました。


映画、<山中静夫氏の尊厳死>を観る:

2019年09月22日 | 映画・テレビ批評

映画、<山中静夫氏の尊厳死>を観る:

原作が作家・医師でもある、南木佳士(なぎ・けいじ)による同名の原作(文春文庫)で、過去に、<阿弥陀堂だより>という原作に基づいた映画があることを思い起こす。そういえば、その映画のロケ地の飯山の里山の阿弥陀堂を、観に行ったことを想い出した。それにしても、地方の映画館で映画を観るときには、ほとんど、観客が平日であれば、数人か、せいぜいが、10人以下であるのに、この映画は前売りであること、しかも、初日の主演男優監督他の舞台挨拶もあると謂うことで、全館満席であること自体に、驚きを禁じ得ない。

よい映画というモノは、その映画のテーマ次第では、まだまだ、映画も捨てたモノではなさそうである。原作・俳優・演技・テーマ・監督・脚本・情景、など、それぞれ相互にかみ合えば、興業も、成功するモノであろう。それにしても、<人生の最期を自分の意思で生き抜くことの意味>とは、安楽死でもなく、尊厳死とは、ホスピスでもなく、中村梅雀演じる元郵便配達員の婿養子の末期肺がん患者(山中静夫:中島静夫)の最期を看取るとは、そして、津田寛治演じる呼吸器科の担当医師自身も、<その余りに、職業的な立場から故の真摯な数多くの患者の死との向き合いから、自らうつ病を発症してしまう>という状況のなか、家族の葛藤も含めて、信州の浅間山を望む佐久市の病院を舞台に、<人間が死んでゆくことの意味>とは、何であり、<最期まで生き抜く>という意味は、<楽にして下さい>とは、必ずしも、安楽死ではなく、個人の尊厳を、どのように尊重しながら、未来への希望とともに、<死を迎え、受け入れるのか>ということを考えさせられる。<楽に死ねるような気がして、ふるさとの山をみゆ>という辞世の句の中に、山頭火のような句の似たような心境を見いだし、<わたしには、やっておきたいことがある>という患者の自分のお墓を創るという最期の望を叶えさせてあげたり、医師という存在は、単に、看取るだけではなくて、それなりの医療技術と共に、患者との或いは、その家族との心の信頼関係も含めて、患者だけでなく、同じように、<担当医師自身にも、様々な身体的・精神的なダメージが蓄積されていく>ことが、うつ病の発症に至ることからもわかる。

そういえば、亡くなった母が、入院していた介護施設付属の病院の医師が、死亡通知書を受け取りに言った際に、<自分の仕事は、患者を再起させても、せいぜいが、介護施設に戻せるか、看取るか、どちらかで、この葛藤の中で、医師として、勤務しなければならないことを理解してもらいたい>と言っていたことを思い起こす。石丸謙二郎演じる病院の事務方による浅間山が眺望できる患者の病室の移転要請を断る場面も、他の患者の手術実施を延期する希望を受け入れ、後日、病状の悪化により緊急入院する事になることも、患者ファーストで有り、自分のことは、セカンドであること、又、受験期の子どもとの会話も、こどもの自主性を尊重した対応にも、もっとも、夫婦間の会話は、やや、最期の場面以外には、やや、気掛かりなものがあるように描かれているが、、、、、、。中村梅雀は、役作りのために、6キロの減量をしたとかで、もっとも、津田寛治の方は、それをもっと上回る減量を実施したと、舞台挨拶の中で、言っていた。幼なじみ役の浅田美代子も、患者の妻役の高畑淳子も、脇役の中で、それなりの存在感を発揮していたし、医師の妻役の田中美里も、いかにも、息子を心配する典型的な医師の妻役を演じていて、抑え気味で脇を固めている。

舞台挨拶で、梅雀は、患者の呼吸の仕方を相当演技の上でも、工夫したそうで、腹水が、溜まって抜くシーンでも、色々と演技に細かく生かされている。先日、NHKのファミリー・ヒストリーで、大河ドラマの花神の大村益次郎役の父、中村梅之助の懐かしい場面がでていたが、役者としては、父にだんだん、似てきたという言葉が、好きではないらしい。確かに、役者というモノは、<自分は、自分でありたいモノであろう>ことは、確かであろう。今回の映画でも、末期がん患者の生き様というか、死に様を、思う存分、演じたような気がしてならない。むしろ、私は、患者が、ずっと、気を遣って生きてきたように、同じように、津田寛治演じる医師こそが、病院で、日々、気を遣いすぎて、鬱症状を発症してしまう課程での演技は、動作、顔色や、ボサボサの髪型だけではなくて、減量だけではなくて、しっかりと、台詞にも、演技にも、反映されているように感じられた。

夕暮れの情景も、小海線の電車も、千曲川を背景とした四季折々の浅間山の情景も、季節の流れを暗示させる木々の色も、その眺望が素晴らしい病室が、実は、佐久市の会議室内に創られたセットであることも、忘れてしまいそうである。

主題歌は、小椋佳、作詞・作曲の<老いの願い>で、村橋監督やプロデューサーによれば、年末までは、佐久市だけの上映に限定され、来年から、東京銀座で、順次、全国上映になるそうで、何度も、映画を観に、歌を聴きに来てもらいたいと、その先には、海外へも、上映を拡げてゆきたいと、、、、、、。舞台挨拶で、アッピールしていた。

両俳優、並びに製作チームの今後の活躍を祈りたいものである。

 

梅雀のひとりごと:ブログ参照下さい。ミュージシャンの側面も意外な一面である。

https://blog.goo.ne.jp/baijakujaco/e/689e00f7e601ce33c3d9f67bf3cfd6af

 


映画、<人間失格 太宰治と3人の女>を観る:

2019年09月18日 | 映画・テレビ批評

映画、<人間失格 太宰治と3人の女>を観る:

演出家の蜷川幸雄を父に持つ、蜷川実花監督による映画で、独特な映像手法と色彩感覚に溢れた中で、この重い主題をどのように表現しているのかということで、観ることにした。主演の太宰治に、小栗旬、妻の津島美知子役 宮沢えり、大田静子役 沢尻エリカ、山崎富栄役 二階堂ふみ、脇役陣を 坂口安吾役 藤原竜也、三島由起夫役 高良健吾、編集者役 成田凌、等が、固めて、お友達キャスティングに近い若い俳優陣達で、製作されている。

確かに、映像美としての数々のシーンは、初めの真っ赤な彼岸花が咲き誇る中で、子供達と歩く姿から、最初の入水自殺に失敗した、海岸での生還するシーンへと、等など、色彩感覚の表現は、確かに、写真家出身の才能が映像表現にでも各シーン、各シーンに、十二分に生かされているように思われる。

自明の史実に即しながら、重いテーマである、<堕ちるというコトとは、>或いは、<家族というものとは、>更には、志賀直哉、川端康成、井伏鱒二、等は、人物としては映画にでていないが、太宰の台詞として、表現されているものの、残念ながら、主題が、<太宰治と3人の女>ということである以上、三島由紀夫(高良健吾)や坂口安吾(藤原竜也)との議論は、なかなか、文学史的には、興味深いモノであって、残念ながら、史実通りかどうかは分からぬが、もう少し、深掘りを期待する観客には、一寸、物足りないものがあろうか?

どうも、小栗旬には、濡れ場が不得意そうに見えて仕方がない。これでは、沢尻エリカ様から、或いは、女性監督である蜷川実花監督からも、多少のクレームはつかなかったのであろうか?もう少し、ぐいぐいといっても良いのでなかろうかと、勝手に、観る側は、そんな風に受け止めてしまう。個人的に言えば、妻の役の宮沢りえの静の演技と、最期に入水自殺する山崎富栄役の二階堂ふみの情念の演技には、光るものがあり、評価されてしかるべきであろう。

太宰役の小栗旬が発する、<人間は恋と革命のために生まれてきた>他、これらの台詞の言葉も、どうも、流れの中で、重く受け止められないのは、どうしたモノであろうか?本という中で、同じ言葉を読者が、受け止めるインパクトと、映画の中で、俳優が発する台詞を介して、受け止めるものには、<どこか、違い>が生じるモノなのであろうか?

後年、大田静子の日記にもとづいた、その娘である大田治子による、<斜陽日記>の刊行をみても、この当時の小説を書くと言うことに対する苦悩と実生活で身重の妻と愛人の出産という同時進行は、いかばかりのモノがあったのであろうか?

 <人間は堕ちる、生きているから堕ちる>、<壊れてないと書けないんです、小説なんて>

<愛されない妻よりずっと恋される愛人でいたい>、<私赤ちゃんが欲しい>、

<人間は恋と革命のために生まれてきた>、<死ぬ気で恋、する?><おまえを、誰より、愛していました>

<本当の傑作を書きなさい>、<あなたは、もっと凄いものが書ける>、<壊しなさい、私たちを>

<死にたいんです一緒に>、<行き詰まったら、みんな死ねばいいんです>、<私と彼にしかできないことがある>、<戦闘、開始!>、<生きなくていいです>

<私ばかりが幸せでごめんなさい>、

<ぼくは太宰さん文学が嫌いです>、<たかが不倫じゃないですか>

 もし、太宰が、この映画を観たならば、どのようなコメントを寄せるであろうか?それにしても、自分が誕生した頃の時代・地理的な背景を考えると、成る程、そういう時代だったのかとも、想像される。もう一度、読み返してみるとしようか、、、、、、。

 

 


<唐牛伝>を読む:

2019年08月15日 | 書評・絵本

<唐牛伝>を読む:

敗者の戦後漂流、60年安保のカリスマが何者でもない死を遂げるまで、、、、

左目の白内障手術の後、視力が戻り、霧が晴れたことで、ハッキリと文字が読めるようになった。これまで、途中で、未読を余儀なくされていた何冊かの大作をサクサクと読めることは、大きな喜びであり、楽しみの一つとなった。

イデオロギーを論じる解説本では無くして、どちらかというと、泥臭い、男女関係も含めた交遊録というか、人脈ネットワークを、その唐牛健太郎の軌跡を忠実に追跡することで、或いは、その交遊録に関わった周辺の人々も含めて、ルポルタージュ風に、纏めたものである。

人生、ところてん風に、時間と共に、押し出されてゆく運命であるとは言いながらも、ここに登場する人物達の関係性は、誠に、ドロッとしていて、既に鬼籍に入ってしまった人達が大半なれども、自死(自決)・病死・事故死も含めて、若くして、或いは、老年でも、確固たる<矜持と信念>を持ち合わせつつ、<転向>とか、<変節>などと言う軽い言葉では、語り尽くせぬ、もっと理解不能な<生き方様>を、それぞれ、見せていることを知り得ただけでも、救われる思いがする。

<言葉は腐るから気をつけろ>という、唐牛の言葉は、確かに、その行動に懸けたことであろうが、寺山修司の<言葉を腐らせるな>と詩に懸けたことと、筆者が説明している如く、対極をなすようであるものの、どこかで、クロスするところがあるのかもしれない。昨年、’18.78歳で、自死した西部邁によれば、出生から来るであろうと想像される<生来からの内在性的な無頼>を、払拭できずに、<無頼になり切るには、知的すぎ、知的になり切るには、無頼に過ぎるという二律背反に挟撃されているそれが、唐牛の実相である>と述べている。<社会の庶子になること>であったのであろうか?

今日、ハンシャ勢力との付き合いが、社会的な、或いは、組織的にも、受け入れられない社会的なコンプライアンス重視の中で、財界の今里広記はじめ、山口組の田岡一雄、内閣調査室とも間違いなく関わっていたであろう中野学校出身の草間孝次なども、含めて、演劇界、女優、文学界など、今日の尺度では、到底読み解けないような、<清濁併せ飲むような人物の器と度量>という言葉だけでは、済まされないそんな何かが、あるような気がしてならない。<稀代の人たらし>では済まされないものがあろう。日本人初のノーベル経済学賞に一番近い候補と称された青木昌彦:(姫岡玲治)とも、後に沖縄で精神科医として働き、今やALSの徳田虎雄を紹介することになる島成郎や、更に、後年、保守論客となる西部遭にしても、ペンシルバニア大で、火事で客死した生田浩二も、ひとそれぞれの<その後の>人生の生き方、苦悩が、あったことを窺わせる。

60年安保世代も、そして、その10年後の60年代後半・70年安保・全共闘世代も含めて、既に、棺桶に脚を半分くらい踏み入れ始めた時代に、改めて、往時の関係者の人生を、振り返るときに、その人生とは、何たるかを、自分に照らし合わせて、考えることは、意義深いし、おおいに、考えさせられる。

 

主だって登場する人物を順不同で列記してみたい:

唐牛健太郎(‘84.47歳)島成郎(’00.69歳)青木昌彦(‘15.77歳):(姫岡玲治)

西部遭(’18.78歳)清水丈夫 北小路敏(‘10.74歳)篠原浩一郎 東原吉伸 小島弘(’66.33歳)藤本敏夫(’02.58歳) 加藤登紀子 桐島洋子 樺俊雄・光子 樺美智子(’60.22歳) 吉行和子 石田早苗 堤清二 安東仁兵衛  徳田虎雄(徳州会)  堀江謙一 渡邊恒雄 氏家齊一郎 堤清二 網野善彦 今里広記 香山健一 森田実 岩見隆夫 吉本隆明(‘12.87歳)清水幾多郎 村上一郎 谷川雁 柄谷行人 寺山修司 福田恒存 大江健三郎 江藤淳 埴生雄高 野坂昭如 丸谷才一 長谷日出雄 式川武大 深沢七郎 井上光晴 大島渚 澁澤龍彦 野間宏 大岡昇平 高橋和己(’71.39歳) 武田泰淳 三島由紀夫(’70.45歳) 石原慎太郎 鶴見俊輔 長崎浩 山本義隆 秋田明大 田村正敏(’98.51歳) 奥浩平(’65.21歳):(青春の墓標)

山口二矢 田中清玄 田岡一雄 児玉誉士夫 一水会:鈴木邦夫 草間孝次 陸軍中野学校 SEALDS ジラード事件57年 コザ暴動70年 内ゲバ 連合赤軍事件 三里塚闘争 宮本顕治 岸 信介 佐藤栄作 三木武夫 河野一郎 池田勇人 田中角栄 二階堂進 橋本登美三郎 赤木宗徳 宇都宮徳馬 川島正次郎 屋良朝苗 安部晋三 八百板正 山口敏夫 保岡興治 加藤紘一 西岡武夫 菅直人 江田五月

 

 


山口音楽教育センター(貞祥寺 長野教室)主催 第47回サマーコンサートを聴く

2019年08月13日 | イベント 祭 催し

山口音楽教育センター(貞祥寺 長野教室)主催 第47回サマーコンサートを聴く:

 

佐久の別荘に住んでいる知人から案内を受けて、上記の無料コンサートを聴きに行きましたが、素晴らしい演奏で、耳濯ぐようで、有り難うございました。障害者教育にも力を注いでいるようで、大変、喜ばしいことだと思いました。全く楽器の出来ない自分には、全く、羨ましい限りです。又、ハープに似たコロンビアの民族楽器を初めて、その音色に、接しましたが、素晴らしい音色で、バイオリンとの共演も、見事でした。兎に角、年に一度でも、こうしたコンサートを山の日に、開催持続することは、大変、エネルギーが必要で、大変なことだと思われます。又、曹洞宗の貞祥寺による支援も含めて、社会貢献という面でも大変、素晴らしいことであると思います。

小諸の青雲館では、アート・イン・レジデンスという形や、小諸善光寺(大輪寺)での座禅プログラムなどを里山暮らし体験の一環として、提供していますが、何らかの形で、糠地メセナホールでのコラボも行いたいモノであると思いました。

ここでは、私は、門外漢でありますから、個別の演奏者には、触れませんが、若手のピアニスト、バイオリニストから、ベテランの歌手まで、素晴らしい演奏会であったと思います。

これからも、コンサートのコンセプトを守りながら、社会貢献の一環として、市民共々、生演奏を聴く機会が提供されることを願ってやみません。

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