町誇る 五無斎没し 早や100年
24年6月29日 〈金〉 晴れも浅間山は雲の中。 15度
明るくなってくる日の出前 4時23分
日の出時間が4時32分となっているのでベランダに出ると、東の空が赤く染まり始めているが、まだ日の出前である。
昇り始めた朝陽
ウツラウツラしていたら部屋の中に陽が差し込んでくる。時間は5時6分である。
朝陽に染まる靄の町
明け六つ(午前6時)起床する。
上空を轟音を立てて飛ぶ米軍の飛行機。キャデイとの会話も聞こえにくいほどの音である。かってN協力会の理事として、毎年行っていた沖縄のゴルフ場でプレーする夢を見ていたのだ。
そしてふっと目覚めると、耳元を舞う蚊の鋭い音がしている。これが飛行機の音に聞こえての夢であったのか。
慌てて飛び起きてフマキラーを散布する。昨夕暑かったので遅くまで網戸にしておいたので入り込んだのか。変な夢を見たもんだ。寝覚めが悪い!
玄関先の電線で元気に朝の挨拶・シジュウカラ
新聞を取りに行くと、「ツッピーツッピー」と電線で尻尾を振って鳴く鳥が1羽いる。
姿から見てシジュウカラのようだ。朝陽の出る前から、庭木を飛びまわってキジに変わって目覚まし鳥となっているのだ。
蓼科学で熱演するS講師、「五無斎・保科百助」
蓼科高校総合学習講座の第4回目である。教員生活40年で退職されたS講師は、午前中は軽井沢高校で講義をされてきたとか。
パワーポイントと資料により、生徒たちが理解できるようにと、飽きさせることなく休みをいれた2時間の熱演である。2~3年の生徒20数人である。
明治1年に生まれ、明治が終わる45年に45歳で没した保科五無斎。
郷土が誇る教育者であるり、蓼科高校の初代校長でもあるのだ。
江戸時代の名君「保科正之」が祖先という説は確かなようだ。
奇人、変人ののイメージがあるが、本当は常識人で改革を熱心に説き100年先を読んでいたようだ。それで人物を見て、沢山の友人が援助の手を差しのべたようである。
狂歌は有名で、茶店でわらじを買うときに詠んだ「わらじなし、お金もなし、と5つのなしから」五無斎と名がついたそうだ。
聴講の多い町の知識人
いつもよりも多い聴講者が参加しての、五無斎の講座である。
あと3回S講師による、五無斎講座が開催される予定である。楽しみで待ちどうしい。
次回7月13日は「六川長三郎の塩沢堰」のバスによる現地見学である。
信濃句集第13号から第31号までと14冊も
長野県俳人協会編の「信濃句集があるけれどほしいですか?」とKH先生に訊ねられたので”ほしいです!”と気軽に返事をしたら、今日の五無斎講座で一諸になり、持ってきましたよといわれる。1冊だけかと思っていたら、なんと風呂敷に包まれて14冊もあり驚く。
県内の俳人の秀作が掲載されており、俳句を詠むのに役立ちそうだ。
小林一茶のカルタ
テレビを見ていたら、小林一茶のカルタが発売されたようだ。
英語も書かれており、勉強にもなるので入手したいものだ。
居眠り磐音・江戸双紙「秋思ノ人」 佐伯泰英、6月17日に発売された本であり、18日にK先生からいただいたものだ。
今回は敬妻が先に読んだので回ってくる。 「奏者番速水左近」田沼意次親子との戦いは天の定めか。甲府への「山流し」の悲哀を味わう速水を、幕閣の中枢に戻して、ともに悪政を倒そうとする坂坂磐音。予想どうりの面白さで、眼が冴えてしまうほどである。
敬妻はお人形つくりにと、根を詰めて疲れたを連発している。
気温も上がってきて、何もしなくともだるくなる日である。
小沢VS輿石会談はされたが、結論は月曜日に持ち越しとなる。
五無斎の祖先である「保科正之」が今の総理なら、日本は大きく成長するとか。
そんな今日の講義を思い出す。そして母は100歳と没後と同じ年である。
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