われならぬ もののさかひに たたずみて うそよまことに なれとつぶやく
*ツイッターやそのほかのところで、わたしたちが、もう偽物の自分はやめて、本当の自分に戻りなさいと言っても、馬鹿者はそれをやめようとはしません。
それ以上やれば、もう本当の自分を壊してしまう、いえ、もう壊してしまったと、そういうところまで来ているのに、馬鹿者は未だに偽物の自分にこだわっている。そしてそこにずっと突っ立ったままでいて、何かがうまくいって、嘘が本当にならないかと、馬鹿なことを考えている。
それが馬鹿者の甘さというか、わがままというものです。
どんなに待っても、塩は砂糖にはならないように、嘘は本当にはなりません。自分は、自分以外のものにはなれないのです。それを無理に変えようとすれば、たとえようもなく苦しい地獄が待っている。
馬鹿なことばかりしている自分がいやで、それから逃げようとしてもがいて、馬鹿なことをやり重ね、もっと自分がいやになり、それから逃げようともがいて、また馬鹿なことをやり重ねる。永遠の回転地獄。いやそれだけではない。
本当の自分を嫌がって、それから逃げ続けてきたものは、とうとう本当に自分ではないものになり、人間世界を追い出されることになるのです。
それから向かうところは、地獄などという生易しいものではない。何もない世界。神が創造の努力を何もなさらなかった世界。泥と風ばかりの冷たい世界。そこで馬鹿者は永遠に何もしないでいることしかできない。
もうそこからの風が吹き始めているというのに、馬鹿者はいまだに馬鹿をやめられない。人まねとずるでつくった偽物の自分をかぶりながら、まだ、嘘が本当にならないかと、何かがうまくいって、自分たちのほうがいいことにならないかと、心の中でつぶやいているのです。