ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

しづのめに

2017-03-15 04:24:37 | 






しづのめに しづく月夜は つきづきし    夢詩香






*「つ」が重なっていて面白いですね。「しづのめ」は「賤の女」で、身分の賤しい女のこと。「しづく」は「沈く」で、水面に月が映る様子を言い、「つきづきし」は似つかわしいという意味です。

身分の低い女には、水面に月が映っている夜が、似つかわしい。さて、どういう意味でしょう。

賤しいなどと言われると、反感を覚える人もいるでしょうが、段階の進んでいない女の人には、そういう言葉がよく似合う人がいるということも事実です。勉強をしていないから、人の心というものがよくわからない。だからつい偉そうにして、人を傷つけるようなことを、別に呵責もなく平気で言うことができる。それは乱暴なことを言ったり、したりする。反省もできない。やったことが人に迷惑をかけて、責任をとらねばならないということになると、自分がつらいことをしなければならないというのが嫌で、平気で言い訳をして逃げようとする。

そういう、品性というものがまだ育っていいない女性は、賤しいと言われても仕方がありません。教育とかしつけとかいうものは、本当に必要です。人を思いやれる優しい心と、具合よく物事を運べる知識としぐさと、神に心をなじませることのできる純真さというものを身につけないうちは、高貴などということばを、自分を表現する形容詞に使ってはなりません。

あの空に高く澄む月のように美しいなどという、清らかな譬えをかぶって恥ずかしくない女性は、この世界にはほとんどいないのだが、よくそういうことをする人がいますね。

だが、人間というものはまだ若いのに、よく美しい人がいます。それほど高く修行をしていない人でも、ごく若いうちには、まれなる美をかぶることができることがあります。それはなぜかというと、神のように高い存在が、少しでも人間が自分をよいものと思えるように、高い美しさを着せてくれるからです。

もったいないものを、くださっていたのです。まるで、月が小さな水たまりにも自分を映してくれるように。

水がある間は、月が映っているから、それは美しいが、水がなくなってしまえば、もうそれはなくなる。それが、段階の若い間の美というものです。いつまでも美しいままでいたら、それを鼻にかけてずいぶんと自分が偉いと思いすぎてしまい、何の努力もしなくなる。だからまだ勉強の進んでいない若い間は、月の光の映った水のような美しさが似つかわしい。それは月そのものではあるが月ではない。いずれは消えてしまうものだ。

もうわかりますね。

若い間は、どんなに自分が美しく見えても、それを自分のものだと思ってはいけません。それは、神が下さった着物なのです。それを着ているから美しく見えるのです。自分が美しいなどと思ってはいけませんよ。

美しさを下さった神に感謝し、その美しさに少しでも見合うようなことをしていかなければならないと、そう思って、勉強していかなければ、本当の自分の美しさを、身につけることはできないのです。









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