ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

凡庸のわれ

2018-01-19 04:19:23 | 短歌





凡庸の われになきもの 月に見て あれが憎きと くるふひとの世





*人はもう、目を見るだけで人の心が見えるようになった。それは時に悲しいことを引き起こします。テレビに出ているタレントや、ネットのニュースで見る芸能人たちの心がやすやすと見破られている。彼らが何を考え何をしているか、みなに見抜かれている。それが、見るほうが恥ずかしいくらい、みっともないことがある。

ある日ネットのニュースである女優さんの顔を見た時でした。あられもない心が顔に書かれている。それを見破られていることもわかっていて、実に苦しそうな顔をしているのです。見られたくない最も恥ずかしいところが、あらわに出ている。

それを詠ったのが表題の歌です。

あの女がうらやましかったと。自分が欲しいものをみなもっている。自分がそうなりたい自分があれなのに、あれが自分ではないから、陰から馬鹿にしまくったと。

本当に、そういうことが全部読めるのです。

あなたがたにもわかるでしょう。

この時代、かのじょという人がこの世に引き起こした現象にはすさまじいものがありました。

美しい女が、まじめに清らかに生きているというだけで、万人の嫉妬を買い、おそろしく陰湿ないじめが、おそろしく大きく膨らんだのです。

かのじょは別に目立ったことをしなかった。おとなしい人ですから、小さな文芸同人誌を開いたりして、細々と自分の表現をしているくらいだった。主婦業や育児を真面目にこなしながら、絵本の読み聞かせボランティアなどもしていた。夫を助けて書店のパート勤めなどもしていた。できたお嫁さんだと言ってくれてもよさそうなほど真面目にやっていたのだが。

きついほどきれいな女性だったというだけで、人々は恐ろしいことをしたのです。

そして人間の最も痛い本音が出てきた。ありとあらゆる人間が、永遠に隠しておきたかった真実が出てきた。

人間は、美しい女性が憎いのだと。あのようにきれいになりたいのに、なれないからだと。なぜなれないのかと言えば、馬鹿ばかりやっているからだと。そんな自分が嫌でたまらなくて、自分以外のきれいなものになろうとして、あらゆるあがきをしている、そんな馬鹿が自分なのだと。

苦しいですね。だがここを越えなければ人間は次に進めない。悲しいのは、こういうもっとも低級な人間の現実を、かのじょはできるだけ隠そうとしてくれていたということでした。

人間の最も痛い心を隠したまま、次の段階に押し上げてやろうとしていたのです。

そういうやさしい人だから、あんなにも美しかったのだが。それゆえにこそ人は憎んで、すべてをだめにしてしまった。

そして最も痛いものが、とうとう出てきた。

人間はこの重い現実から逃げることはできません。ここで、一切を認めて、神にも月にも謝り、全部をやり直し、償っていくために、本当の自分に帰っていかねばならない。

その自分が、いかに難しいものであろうとも、そこにしか本当の自分の救いはないのです。






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