身を焼きて たれに食はさむ 月の餅 夢詩香
*月にはウサギが住んでいて、餅をついているという説話は、昔からアジア各地にありますね。
月の兎がついている餅とはどんなものでしょうね。月餅(げっぺい)というおかしがあるが、それはお饅頭のようなもので、丸い形をした皮の中に、とても甘い餡が入っている。餡と言えば、かのじょは一時期アンパンに凝っていました。とても甘いこしあんの入ったパンで、一個80円くらいだった。つらいことが続く日々、毎日一個アンパンを買って、それを食べることを慰めとして、生きしのいでいたことがあった。
先日の俳句では、子を食われるなどという話をしましたが、月のウサギにはこういう話がありますね。ジャータカにある説話です。
猿、狐、兎の3匹が、ある日行き倒れた老人に出会う。施しをしてくれと頼まれたので、猿は木の実を、狐は魚を持って来たのだが、兎は何も見つけることができず、自分を食べてくれと言って、火の中に身を投げた。すると、老人は実は帝釈天であったので、その正体を現し、兎の心をほめて、月にあげた。
自分をそのまま与えるということが、最も麗しい愛であるということを、このかわいらしい説話は伝えている。なぜなら自分というものこそ、自分にとっては最も大事なものだからです。なんでもやっていける自分存在の自由そのものを、神という愛に差し上げる。そのときに、自分というものは月のように美しく高いものになる。
だが、そのような愛は、とても甘いものだ。どんなことをしてでも、あなたを助けてあげようという、女性のような、ほとんど無条件の愛だ。愛する人がどんな人であろうとも、ただ愛しているというだけで、すべてをやってくれる。自分というものを燃やし尽くして、すべてをやってくれる。
いいことばかりしてくれる。
こんな愛を、人はよく甘いと言って馬鹿にするが、いつでも、自分が馬鹿になってきたら頼ってくるところは、こういう甘い愛のあるところばかりなのだ。
甘い餡の入ったアンパン一個があるだけで、生きることがどれだけ楽になるだろう。甘い味はひと時の安楽をくれる。人間は時にそういうものを頼って、苦しいことを生きしのぐことがある。
飴(あめ)と餡(あん)は漢字もことばも似ていますね。月の兎がついている餅とは、とにかく人間が生きていくことを本当に助けてくれる、甘いお菓子のようなものでしょう。そんなものは子供だけが喜ぶものだと言って馬鹿にしていると、アンパンが食べられなくなりますよ。そうなったら困るのではありませんか。甘い味というものは、きついことを穏やかにしてくれる。そういうものを食べることで、人は苦しいことを生きしのいでいけることがある。
痛いことをする辛い男も必要だが、愛だけでほとんど無条件に自分をくれる女性のような愛がなければ、苦しすぎはしないか。
自分を低めて、自分そのものを愛する人にやった兎を、帝釈天は月というとても高いところにあげた。それは美しいものにした。
自分をささげるということが、最も美しい愛だからです。
玉桂 かすかに苦き 根の水を 混ぜて作らむ 月の白飴 夢詩香
「玉桂(たまかつら)」とは、月に生えているという桂の木のことです。月そのもののことを現すこともある。肉桂という木のことも意識しています。肉桂からはシナモンがとれる。ニッキともいう。ここまで言えばわかりますね。