すみわたる あをぞらの声 ものいはず 万言の書の ごとき沈黙
*今週も歌が一つも詠めませんでした。苦しいですね。妨害はどんどんひどくなる気がします。それだけ馬鹿が追い詰められているということでしょう。わたしも少し覚悟をせねばならないかもしれません。この状態が一生続くかもしれないということを。
なので、表題の歌は、5年前に詠んだものです。正確にはわたしの作ではありません。この存在を共有している仲間が詠んだものです。
大火がツイッターで教えてくれましたから、空にいらっしゃる神と、話ができるようになった人はたくさんいるでしょう。空にきれいな雲など流れていれば、それを見れば神のおっしゃりたいことがわかるのです。人間の感性もだいぶ進んできましたから、もうそういうこともわかる。
ですが時に、どんなに感覚を研ぎ澄ましても、神がおっしゃっていることがわからない時があります。神は答えてくださらないのではない。沈黙としか聞こえない神の声の中に、わたしたちの言語ではとても表現できない秘密が流れているのです。
わたしたちもだいぶ勉強が進み、いろんなことがわかるようになってきましたが、神のなさっていることには、とても理解ができない高いことがある。どのようにして神が、この星を動かしているのか。当然のごとく浴びている太陽の恵みが、どうしてあるのか。どのようにして神はその恵みを、わたしたちに下さることができるのか。それらのことはまるでわからないのです。
空を見て、神に、何をなさっているのですかと尋ねても、容易に答えがわからないときは、わたしたちにはまだわからない、崇高なことを、神がなさっている時なのです。
万言の書のごとき沈黙とは、すばらしい言い方だ。わたしたちにはまだわからない、尊い秘密の中に、涙が出るほど尊い愛が流れている。沈黙としか聞こえない声の中に、神がわたしたちのためにあらゆることをしてくれている、美しい努力の数々がある。
なんとすばらしい愛の中で、わたしたちは生きているものか。