まぼろしの われを惜しみて とこしへの 楽土の鍵を 捨つる馬鹿かな
*馬鹿な人間は今、幻の幸福の夢を見ています。それは何もない自分の闇を埋めるための、うっとうしいくらいきらびやかな夢なのです。
美しい衣装や、派手なアクセサリや、幸福そのものと言える家庭、すばらしい勲章、そんな、人生を飾るきらびやかなものが、馬鹿な人間は欲しくてたまらないのです。それがなければ、自分には何もないと思っているのです。
だから馬鹿な人間は、いくつもの幻の夢を捏造する。美貌や、車や、家や、すばらしいパートナー、見果てぬ夢をかなえるための、潤沢な金、そういうものを、ずると盗みで用意し、自分一人に着せるのです。
幸せでなければ、何かに負けると思っている。その幸せを作るために、馬鹿は馬鹿なことばかりする。人から盗んだ幸福を、糞のようにため込んで、うまそうに食っている。馬鹿がそれらはすべて幻なのだ。自分が幸せなのを、人に見せつけるために作った、しょうもない偽物の夢なのだ。
そんなものより、もっと素晴らしいものがある。それが本当の自分自身というものです。人間が解脱をして本当の自分に目覚めれば、自分こそが愛であり、愛ですべてをやっていくすばらしいものであることを発見する。それがすばらしい天国なのです。美しく正しい自分であることが、霊魂の至上の幸せなのだ。それは実に簡単なことで手に入る。自分に気づきさえすればいいのだ。だが。
馬鹿はそれをすると、嘘で得ていた偽物の幸福をすべて失うからと、やりたがらないのです。解脱をして本当の自分に目覚めれば、偽物の幸福はすべて消えてしまうからです。
愚かなことだ。きらびやかな偽物の光をいくら集めても、魂の飢えはおさまることはない。いつでも何かが足らないような気がして、馬鹿は次から次へといらぬものを欲しがる。そのために罪を重ね、自分がどんどん醜くなってくる。
醜い生き方をしている自分がつらくて、また欲しがる。そういう苦しい不幸の輪の中にいることに、馬鹿ははっきりとは気づいていない。
自分に目覚めさえすれば、そんな不幸の輪から抜け出し、本当の幸福の中に飛び込むことができるというのに、馬鹿はまだ馬鹿に迷い続ける。
本当の自分こそが、永遠の楽土に入るための鍵なのに。それを捨てて、幻の幸福にいつまでも迷い続けている。