マダム・クニコの映画解体新書

コピーライターが、現代思想とフェミニズムの視点で分析する、ひと味違う映画評。ネタバレ注意!

ブラック・スワン/「死」を賭して舞う

2011-06-20 | 映画分析
 「母と娘」がテーマ。子離れ親離れの出来ない2人。バレエ界で挫折した母の願望は、娘に贈った白鳥の湖のオルゴール人形のように、完璧な踊りを娘が実現して成功すること。そのためなら過干渉も厭わない。
 娘の方は母の期待がプレッシャーになり、依存と憎悪の悪循環に苦しみながらも、完璧な踊りをして、母に応えたいと思う。
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 白鳥の湖のプリマに選ばれた彼女は、大人になりきれないために、白鳥は完璧に踊れるが黒鳥を表現できず悩む。
 次第に黒鳥願望が膨らみ、劇場のモニュメントの人鳥の翼や、ライバルの背中の入れ墨の黒い翼が気になり、果ては自身の背中から黒い翼が飛び出てくる妄想など、彼女の中で黒鳥を巡るメランコリーが繰り広げられる。

 黒鳥になりきるには、「母殺し」をして大人にならなければならない。そのため、公演の当日、黒鳥の出番の前に、楽屋で「母」のメタファーである鏡(幼児にとって自己の身体のイメージはバラバラ。母の姿を見て自分の姿だと認識することで、自分の身体の統一化=自我の形成を図る)を割る。そして、黒鳥役を狙うライバルを破片で刺し殺してステージに立ち、2人の「死」と引き換えに完璧な踊りをし、喝采を受ける。

実は、ライバルは自分の分身だったのだ。黒鳥(悪)の面を備えたいと願うあまりの妄想。だから自分自身を刺したのである。
 人間にとって完璧なものとは「死」しかない。完璧な踊りとは、「死」を賭したもの。母の期待に応え、自身の欲望を満たすには、母殺しと自分自身の「死」が必然だったのである。
先輩のプリマであるベスとの関係も、主人公の心中にある願望や罪意識、恐れを表現したもの。ライバルのリリーとのレスビアン関係(同一化)や監督との恋競り合いも、背中の入れ墨と同じく、主人公自身の願望の表れである。

自我の形成に伴うおぞましい葛藤を、「白鳥の湖」をモチーフにして巧みに描いた傑作である。
★★★★★(★5つで満点) 

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