マダム・クニコの映画解体新書

コピーライターが、現代思想とフェミニズムの視点で分析する、ひと味違う映画評。ネタバレ注意!

ツォツイ/先住民族の赦し

2007-06-18 | 映画分析
 表面的には、父によって母と引き裂かれたトラウマを、マリア様のような女性ミリアムによって癒され回復する、主人公ツォツィの様子を描いているが、その陰には、先進国によって侵略された南アの哀しみが滲み出ている。
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 家父長的な父=ツォツイの暴力&赤ちゃんの略奪=先進国の侵略。
 父の暴力と先進国によるエイズ犠牲者の優しい母、乳をくれた黒人女性ミリアム&赤ちゃんの両親=先住民族の「赦し」
というメタファーの構図が浮かび上がる。

 いずれにしても、先住民族の「赦し」があるからこそ、我々先進国は存在できるのである。

 ツォツイが赤ちゃんを連れ去ろうとしたのは、彼自身が精神的に置き去りにされた記憶があるからだ。
 彼は父にエイズ患者の母と引き離され、可愛がっていた犬を殺され、生きる希望を失った。もうそんな悲しい思いをさせたくない、と赤ちゃんに自分を重ね合わせたのである。

 暴力的な日常から、赤ちゃんを通して、良心に目覚めたのだ。
 赤ちゃんは天使である。赤ちゃんの純真な笑顔を見ると、誰もが微笑みたくなるのは、全ての人に幼な心が備わっているからだ。
 赤ちゃんを手にしたとき、彼はゼロの状態(人間の原点)に戻った。
 そして、一から出直そうとする。

 彼は侵略者でもあり、犠牲者でもある。
 だから揺れ動くのだ。
 限りなく暴力的であるかと思えば、やさしい慈父のような行動もする。
 つまり、善悪の二面性を抱えたごく普通の人間なのだ。
 
 後半は、彼の人間性を回復していく過程が描かれる。
 彼は赤ん坊に乳を貰うためにミリアムを銃で脅かすが、シングルマザーの彼女は、それをゆったりと受け止める。

 人は赦されることで立ち直ることができるのである。

 極めつけはラストの赦し・・・。

 先住民族を搾取し続けている先進国は、彼らに赦されていることを悟ろうとはしないから、アフリカの悲劇はなかなか幕が降りない。
 アフリカ人の監督が訴えるのは、そういうことなのだろう。

 残酷さと美しさとが混在する力強い映像は、まさしくアフリカの現実だ。
 ツォツィの眼力がいつまでも目に焼きついている。
★★★★★(★5つで満点)


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (カオリ)
2007-06-24 16:33:21
なるほど、「赦し」ですね・・・
どんな人間でもゼロに戻れる、そんな希望を見出せる映画でした。
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