マダム・クニコの映画解体新書

コピーライターが、現代思想とフェミニズムの視点で分析する、ひと味違う映画評。ネタバレ注意!

家の鍵/無限の責任

2006-04-14 | 映画分析
 不在の母、突然出現した父、そして重度の障害を持つ15歳の息子の「人生の重みを問う」物語。力作である。
家の鍵

 出生時の事故で母親を亡くし、障害ゆえに父親にも逃げられたパオロ。孤児になった彼は、母親の私生児として叔父夫婦に大事に育てられてきた。
一方、父親のジャンニは、パオロを見捨てた罪の意識に囚われながらも、別の女性と結婚し、8カ月になる息子がいる。

父と子は、15年ぶりに顔を合わせ、交流を深めていく。
脳性マヒに加えて高機能自閉症を患うパオロは、善悪の区別が付かない純粋無垢の子供。身体が不自由なだけでなく、ニコニコしていたかと思えば突然、手がつけられなくなるほど不機嫌激になったり、姿を消したりと精神状態もきわめて不安定だ。
 どのように接したらよいのか、戸惑うばかりのジャンニ。

 不在の母の代わりに、父子の前に現れるのが、シャーロット・ランブリング演ずるニコール。彼女は回復する見込みのない娘のために、自分の夢をすべて諦めた強い女性だ。
彼女は言う。「子供の介護は母親にあてがわれた汚れ仕事。男は逃げてしまう」と。
ニコールとパオロの亡き母親は、女性を排除して成立する「父権的社会」を象徴している。

とかく格好を付けたがるジャンニに対して冷静に接し、本音を引き出すニコール。
 絶望的な状況を宿命として受け入れ、親としての「責任」を全うしようとしている彼女は、本作の原作である「明日、生まれ変わる」という本をさりげなくジャンニのもとに置いて行く。
 彼女の人生に立ち向かう真摯な姿勢に、次第に感化されていくジャンニ・・・。

 パオロとの旅の途中で、「何か」を感じ取ったジャンニは、もう決して息子を見放すまいと決心し、杖を海中に投げ捨てる。

 この「何か」とは何か。

ニコールの影響は否めないし、長年疎遠にしていたことへの不憫さもあっただろう。親としての愛情も芽生えてきたに違いない。
 だが、それだけでは、この若い父親に、ここまで決意を固めさせることはできなかったのでは、と考える。彼には、事情を詳しくは知らせていないだろうと思われる妻がいるし、腹違いの息子もいるのだから。

ジャンニは、パオロに「天からの光=神」のような存在を感じたのではないだろうか。光とは啓示であり、全ての命を包み込み蘇らせるもの。さらに、風や雲、水などの影響を受けて常に変化し、反射し、陰をつくるもの・・・。

 計算もプログラムもないパオロの直感に基づく言動は、まったく予測することができない光の移ろいのように、彼自身も一瞬一瞬変化し、周辺の人々にも絶えざる変化をもたらす。
 定まった真理とか起源とは無縁のパオロは、ジャンニを驚愕させ、喜ばせ、悲嘆にくれさせる。まさに、「父的な権威を転覆させる私生児 」の面目躍如である。

 タイトルの「家の鍵」とは、保護されるだけの子供ではなく、一人前の人間として認められた証拠に渡される「自由」のことだ。
パオロから啓示を受けたジャンニは、父親としての「責任」を果たそうとする。それは、育ての父である叔父と同様に、「家の鍵」を彼に渡すことである。
 パオロは、精神的には自由を謳歌できるが、肉体的には自力で鍵を操作できないので、誰かがフォローしなければならない。ジャンニは覚悟を決めてパオロと共に生きることを選んだが、難しい存在のパオロを誰が介護するのか、映画は明らかにしていない。

「責任」とは 、他者の不意の呼びかけに無限に応え続けることだ。しかし、そうするには必ず矛盾がついてまわる。
 旧約聖書の「イサク奉献の物語」のアブラハムのように、[唯一絶対の他者(神)に応える責任=最愛の我が子イサクをいけいえとして捧げよとの神の命令に従わなければならないこと]、と[他の他者たち(イサクおよびイサクを愛する者たち)に応える責任=イサクに死を与えてはならないこと]。この相反する二つの責任を同時に行わなければならないというパラドックスの惨さ・・・。

 一人の他者との関係に自閉して、他の他者たちへの責任を放棄してしまったら、責任は責任でなくなるのだ。私たちは、他者との関係に入ったとたんに、誰もが必然的にアブラハムの状況に置かれるのである。

 ジャンニのパオロに対して責任を果たそうという決意は、「人間は他の他者たちを犠牲にせずには、ある一人の他者の呼びかけや要求、命令、責務、愛などに対して応えることはできない」という犠牲の構造=パラドックスを生きること、を表している。
 ジャンニの家の鍵と弟を持つことを、素直に喜ぶパオロ。
 しかし、ジャンニにはニコールのように、全てを犠牲にしなければならない生活が待っているのだ。

 ラストでパオロとジャンニの立場は逆転する。パオロが父親になり、人生の重みを知って泣くジャンニに、「泣いたらだめだ。僕がこうして一緒にいるのだから」と、息子をいたわるように諭す。
 
 「父的な権威を転覆させる私生児 」そのものを体現するこのシーンは、言外で「お互いに無限の責任を請け合おうよ」と呼びかけているのである。
★★★★(★5つで満点)



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14 コメント

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Unknown (マヤ)
2006-04-17 10:36:10
TBありがとうございました。とても興味深く拝読しました。家の鍵というタイトルには宗教的な寓意があると思っていましたが、私の思い至らなかったことを教えていただきました。

「相反する二つの責任を同時に行わなければならないというパラドックス」というのは、シャーロット・ランプリング演じる女性と娘との関係でもそうですね。
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リンク先に行ってみました (冨田弘嗣)
2006-04-19 00:00:09
 マダム・クニコさんがリンクされている自主映画制作工房を訪ねて、コメントを読ませてもらいました。難しい文章で、ミーハーファンは苦手だうけど、確かに面白い。昨夜は寝ないで、朝まで読み続けました。クニコさんがリンクを貼るのがわかります。私もコメントを残しました。返しで、自主映画制作工房さんは「マダム・クニコさんのような天才がいるから・・・」とおっしゃっていました。自主映画制作工房さんも天才ですが、私もマダム・クニコさんの博学に尊敬し、天才的文章に目を伏せてしまう凡人の一人です。こういう優れたホームページがあるのに、私などが書く必要あるのかと思う今日このごろ。方向性を変えようかと思ってもいます。
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富田様 (マダムクニコ)
2006-04-20 10:11:54
>マダム・クニコさんがリンクされている自主映画制作工房を訪ねて・・・



徹夜で記事を読まれたとか。

確かにしんさんの文章は、読ませる力を持っています。

製作者だけに、映像作りに関しても踏み込んだ批評をされており、とても参考になります。

辛口なところも気に入っています。

でも、彼の私に対する評価は、甘過ぎですよ(笑)。



私は、観念的なことばかり記事にしているので、いろいろと幅広い観点から書いておられる富田さんの姿勢を評価しています。

自信を持って、マイペースで評論してくだい。
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TBありがとう (Rainbow)
2006-04-21 18:44:05
こちらもTBさせていただきますね。
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評論の難しさ痛感の日々 (冨田弘嗣)
2006-04-22 01:50:09
 私のところも、クニコ女史にも、コメントたくさんありがとうございます。私は台本を書いたり、演出したり、編集したり・・・これをもう20年以上、やっています。台本は特殊な文章分野で、人が読んだら、馬鹿にされそうな書き方です。読むものと聞くものは違うとみんなに教えた「プロジェクトX」には感謝しています。あのままの文章の本では、駄作です。私も文法を無視し、まともな文章が書けなくなりました。

 私のビデオソフト制作本数は500本をこえました。ですから、作り手の苦労もわかる。「どうしてここでパンするのだろう、どういう意味が?」「こんな撮影で、どこに照明をたいているんだろう。」「光と影の使い方が巧いなあ。」なんて、そんな事を半分考えながら観ている自分がいます。本当は純粋に画を観て、ストーリーを追いたいのだけど、もうこれだけは戻せません。テレビでニュース番組を見ても思うので、ある意味、病気です。

 マダムクニコ女史の励ましの言葉、見にしみます。ありがとうございました。書く場所を探したのですが、見当たらないので、最新のコメントに貼りました。失礼しました。 冨田弘嗣
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Unknown (mezzotint)
2006-04-24 23:34:44
京都では6月10日からロードショーです。ぜひ観たいと思っています
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Unknown (ケント)
2006-05-07 15:02:14
クニコさん、TBありがとうございました。

この作品のテーマは、重過ぎて映画として素晴らしかったかどうかは、判断の難しいところです。もし原作があるとしたら、かなり感動する作品に仕上がっているのではないかと思いました。

また少年が本当の障害者だったと後で知り、びっくりしました。

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パオロは天からの。。 (Cartouche)
2006-05-07 22:35:52
いつもながらの深い洞察力と素晴らしい文章力に敬意を感じながら読ませていただきました。なるほどパオロは天からの光なのですね!障害者の子を持つ親からたまに聞かれる言葉です。 それにしても父親になれない男性を描いた映画がけっこうあるものです。”ある子供”オゾン監督の”ふたりの5つの分かれ路”女性は10ヶ月間心の準備ができるけれど、男性は実感がないままなのでしょうか? いづれにしても後からじんわりと感動のくる映画でした。
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思わず… (rino)
2006-06-04 06:55:46
マダム・クニコさんの哲学的なレビューに感心して、思わず自分の書いたものを消したくなりました(笑)



アブラハムの不条理なパラドックス…選択の自由とその責任が人生には絶えずまとわりつきますね。
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Muses管理人です (contessa)
2006-06-07 08:20:25
TB有難うございました。



う~ん「イサクの奉献」はどっちかというとカテキズム的神学ですし

この監督とそれから原作者は、ごく普通のプラクティカルな信仰を匂わせているだけ、

むしろそこから派生し逸脱したごく健康的な「信条」と言ったものに重きを置く普通の現代人だと思います。

ですので、方向と重さという意味で、ちょっと作品とのベクトルのずれ、温度差を感じますが、そのあたりは日本人にはなかなかわかりにくいですよね。



それと、家の鍵を求めて得られず彷徨っているのは父親自身でもあります。子供は自分の家と鍵を持っている。新しい家の鍵が欲しいのは自分、と言う強烈なメッセージが最後に映画全体を搬化し昇華させていたように思います。
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