チェインブレーカー及び関連領域の郵便史

ユーゴスラヴィア建国当時~1922年頃までの旧オーストリア・ハンガリー帝国地域のチェインブレーカーを中心とした郵便史

201222裏 Mokronog地方裁判所の返送受領書

2010年07月11日 12時57分47秒 | 封書
201222裏 Mokronog地方裁判所の返送受領書

Rek. Nr. 447 書留番号447
意味不明の番号 1237

左側の郵便印
TREBELNO 24. XII. 20 *a*
TREBELNO郵便局 1920年12月24日、消印識別記号a
TREBELNOの名前は、ドイツ語もスロヴェニア語も同じ名前です。

右側の郵便印
MOKRONOG 24. XII. 20 b
MOKRONOG郵便局 1920年12月24日、消印識別記号b
ドイツ語名Nassenfußを削除してスロヴェニア語名Mokronogだけにしてユーゴ化した消印

このMokronog地方裁判所からの郵便物及び返送受領書の配達経路
Mokronog地方裁判所からの発送: 1920年12月22日
MOKRONOG郵便局消印: 1920年12月24日---MOKRONOG郵便局からの発送印と推定
TREBELNO郵便局消印: 1920年12月24日---TREBELNO郵便局の到着印と推定
Trebelno近くのMirna vas št.5のG. Aloyzija Skušekによる受取: 1920年12月28日
TREBELNO郵便局消印: 1920年12月29日---TREBELNO郵便局の事務処理印またはこの郵便局からの返送受領書の発送印と推定

201222表 Mokronog地方裁判所の返送受領書

2010年07月11日 12時56分22秒 | 封書
201222表 Mokronog地方裁判所の返送受領書

オーストリア帝国時代のドイツ語とスロヴェニア語の二ヵ国語表記のMokronog地方裁判所の返送受領書
備考: このRückschein返送受領書は、郵便局に常備されている通常のものではなく、Mokronog地方裁判所専用にあらかじめ印刷されていた特殊なものであり、稀な使用例であると考えられます。

以下にドイツ語部分を翻訳します

Rückschein返送受領書

備考:このドイツ語表記Rückscheinは濃い青色の鉛筆で抹消されており、これも新国家建国後のユーゴ化の実例です。
オーストリア帝国のRückschein返送受領書の制度に関しては以下のドイツ語文献があります。
出典: Altösterreich – Lexikon p.219
翻訳: 受取人にサインさせて差出人に引き渡さねばならない返送受領書の発送を封書差出の際に望むならば、所定の料金は差出の際に封書に対して納付するものとする。

des k. k. Bezirksgerichtes in Nassenfuß
ドイツ語名Nassenfuß (スロヴェニア語名Mokronog)の帝国及び王国の地方裁判所
備考: この町はスロヴェニアの首都リュブリャナの東南東約50 kmの町です。

Sendung: Sklepz dne 22/12 20 A86/13/7
発送: Sklepz 日付け1920年12月22日 A86/13/7
備考: Sklepzの意味は不明です、この郵便物をMokronog地方裁判所が発送した日は1920年12月22日、A86/13/7は郵便物の番号だと思われます。

Empfänger: G. Aloyzija Skušek Mirna vas št.5 p. Trebelno
受取人: Trebelno近くのMirna vas št.5のG. Aloyzija Skušek (受取人名)

Ich bestätige mit meiner・・・以下のドイツ語文章の翻訳
私は上述の記号のついた郵便物を今日受け取ったことを、私のサインにより保証する。
am 28/12 1920 1920年12月28日

Zugestellt durch den beeideten Besteller:
宣誓した配達者により配達された:
サイン Aloyzija Skušek
備考: サインの下の鉛筆書きは判読不能です

右上の部分のDa die Annahme・・・以下のドイツ語文章の翻訳
受取人に拒絶されたので、受取人が見当たらず代理配達ができないので、文書は署名された郵便局に供託された。
備考: この部分は、受取拒絶、受取人不明により配達できなかった場合のための書式です。

右下の郵便印
TREBELNO 29. XII. 20 *a*
TREBELNO郵便局 1920年12月29日、消印識別記号a
TREBELNOの名前は、ドイツ語もスロヴェニア語も同じ名前です。