ぼくは行かない どこへも
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気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

猪谷千香 ギャラリーストーカー 美術業界を蝕む女性差別と性被害 中央公論新社

2023-03-16 23:11:42 | エッセイ
 猪谷千香さんは、ジャーナリスト、ライター、現在、弁護士ドットコムニュースの記者、と言っていいのだろうか。産経新聞文化部記者や、ハフポスト日本版のレポーターなど務められた。あ、そうそう、ツイッターで「文筆業」というのがしっくりくるとおっしゃっていたな。著書に『つながる図書館 コミュニティの核をめざす試み』(ちくま新書)、『町の未来をこの手でつくる 紫波町オガールプロジェクト』(幻冬舎)、『その情報はどこから?-ネット時代の情報選別力』(ちくまプリマー新書)などがある。
 実は、私は、気仙沼市職員として、最後は図書館長であったが、その時代に、猪谷さんの著書『つながる図書館』を読んでずいぶんと参考にさせていただいた経過がある。最近作の『小さなまちの奇跡の図書館』(ちくまプリマー新書)も買って、読み終えているので、このあと、続けて紹介するつもりである。
 で、この書物であるが、最近、ネット上で、関係する話題というか、ジャニー喜多川氏のこととか、渋谷区の公衆トイレの問題とか、いろいろ、考えなければいけない問題は多い。それらについて論ずることは、また別の機会とする。
 しかし、私自身のことを言えば、すでに66歳、市役所の管理職も経験し、地域では詩の同人誌の編集担当で刊行のたびに地域紙で作品の紹介もされ、また、人前で詩の朗読やギター一本で歌を歌うなどの活動も続けている男性である。それなりに強い立場にいる側、ということになってしまうだろう。そういう人間が、この書物の紹介をするというのは、なんというか、イノセントではいられない、というところもある。
 だいたい100%イノセントだったら結婚もできなかった、などと言ってしまいたくなるが、いやいや、そういうふうに問題をあんまり広く一般化してしまってはいけない。
 『失われた時を求めて』のシャルリュス男爵とか、蓮實重彦の『伯爵夫人』や、田山花袋の『蒲団』だとか、大島弓子『バナナブレッドのプディング』だとか、往年の映画スターの行状とか、もちろん、巨大な業績を残した画家や大学教授たちの振る舞いとか、性に関わる問題は、途方もなく広く深くわけであるし、豊かだというべきである。
 しかし、だからこそ、この書物で取り上げられる問題については、厳密に切り分けて厳格な対応をすべきだということになるだろう。程度問題だ、ということではない。

 「ギャラリーストーカー」とは、ギャラリー=画廊を中心に、若い女性の美術作家につきまとうストーカーであり、新進の作家ならば数点は購入もできる程度の小金を持って、年齢の割には洒落た装いもしていると自覚している中年以上の男性と言うことになるだろうか。
 第2章「ギャラリーストーカーが野放しになるわけ」の冒頭、小見出し「背景にある美術マーケットの特殊な構造」から、続けて引用する。

「なぜ、これほどまでに深刻な被害が広がり続けているのに、ギャラリーストーカーは野放しにされているのだろうか。被害に遭ったことのある作家たちへの取材から、その深刻な背景が浮かんできた。」
「有力なコレクターが所有していた作品は、価値があるとみなされ、より高額で落札される傾向にある。」
「国内でも有力なコレクターは存在する。たとえば、精神科医の高橋龍太郎さんが築き上げた「高橋龍太郎コレクション」は、草間彌生さんや奈良美智さん、村上隆さんをはじめ、国際的にも知られる日本人アーティストの代表作が集められている。」
「まだ駆け出しで無名の若い作家が、少しでも有力なコレクターとつながりを持ちたいと考えるのは、当たり前のことだろう。コレクターからの食事の誘いを断り、相手の機嫌をそこねることを恐れるのも無理はない。」〈52ページ〉

 ギャラリーを会場にする個展の場では、力を持つコレクターから、ほとんど力を持たないコレクターもどきまで、グラデーションのように明確な境目がなく、すべてはお客様となってしまう。
 誘われてもお食事程度なら問題ない、とはいえないし、さらに、それ以上の被害を被ることもある。
 そして、問題は、ギャラリーストーカーのみではない。師ともなるような著名な美術家や、有名美術館のキュレーター、美術大学の教授が、加害者となっている現状があり、女性性を売り物にせざるを得ないような状況もあり続けたということである。その実例が、この書物にはあからさまに記されている。

 そういうなかで、例えば画廊「くじらのほね」の取り組みがあるという。画廊のオープン前に、次のような禁止事項をツイッタ-で公表したという。

「悲しいことに、近年様々な展覧会場で、在郎中の作家さんをターゲットにした迷惑行為が散見されます。
 作家さんの安全を守ることは画廊の責任であると私たちは考えます。
 法律家の知人と相談の上、方針を定めました。
 情勢を踏まえ、少々厳しめに行きます。」(76ページ)

として、以下のような項目をあげている(それぞれに付く数行のコメントは省略。)

「・在職する作家さんと二人きりになろうとする」
「・作家さんにプライベートなお誘いをする
「・作家さんに執拗に連絡先を尋ねる」(77ページ)

 第7章「変革を求めて」では、小見出しから拾うと、「美術評論家連盟が動いた」、「女性作家達からの声で生まれたガイドライン」、「声を上げ、一歩を踏み出した若い世代」、そして、最後の節は「すごく時間はかかるかもしれないけど変えていける」というものである。
 状況を変えていこうとする若い美術家たちが行動を起こしているという。
 巻末には、弁護士からのアドバイスとして「ギャラリーストーカー対策」と「ハラスメント対策」が掲載されている。本の帯に「弁護士ドットコムニュース編集部が総力を挙げて取材した驚愕の実態と対策のすべて」と記されている、その対策のひとつである。
 この書物で描かれているのは、日本において、美術界のみに限らない、社会の構造の大きな変革が迫られており、進みつつあるということだろう。



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