goo blog サービス終了のお知らせ 

ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

御手洗瑞子 ブータン、これでいいのだ 新潮社

2014-01-03 22:37:39 | エッセイ

 日本人というのは、おれはこれでいいのだ、と居直ることのできるひとの割合が決して多くないのではないだろうか?

 気仙沼にいても、「気仙沼、これでいいのか?」と常に自問しているひとが多い、ような気がする。

 もちろん、それは、現状をより良くしたい、改良していきたいという前向きの姿勢であり、特に震災後の現在においては、現状このままでいいのだ、とはやはり言えないわけだ。復興していく必要がある。

 でも、日本全体で見たときに、いつまでも成長し続けるとか、進歩し続けるということでいいのか、ということは問われているところだ。私たちはこれでいいのだ、と居直ること、あるいは、自信を持つことが必要な時代となっている、ともいえるのだろう。

 革新から保守へ、成長から成熟へ、進歩から停滞へみたいな。

 それが、良きことなのか、悪しきことなのか、一筋縄ではいかないところだ。ということで、ここらあたりのことは、また別に論じるべきところではある。

 さて、この「ブータン、これでいいのだ」を手にしたとき、「気仙沼、これでいいのだ」と言っていいだろうかとふと思った。さて、どうなのだろう。

 さらに、「気仙沼ブータン化計画」を立てて、推進すべきではなかろうか、などとも思った。あの、国民総幸福量のブータンである。市民総幸福量の増大をこそ、気仙沼も追求すべきであろう。

 読み始める前のことではある。

 さて、どうなのだろうか?

 というのも、実は、御手洗瑞子(みたらいたまこ)さんは、気仙沼のひとであるからだ。正確にいえば、もともと東京のひとで、気仙沼と東京とを往復して暮らしている。株式会社気仙沼ニッティング代表取締役。会社は、気仙沼市神山、糸井重里氏の「ほぼ日気仙沼支社」内にある。

 気仙沼ニッティングについては、http://www.knitting.co.jp/ とか、あるいは、フェイスブックの同社のページとか参照下さい。震災以降、気仙沼のためにご尽力いただいている人物である。

 御手洗さんは、1985年生まれ、東京大学経済学部卒、経営コンサルティングのマッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、2010年9月から1年間、ブータン政府の初代首相フェローを務めたという。職場は、GNHコミッション、Gross National Happiness Commission 国民総幸福量局とでも訳すのだろうか。もとは国家計画局みたいな名称で、ブータンの重要政策の統括を行っている役所らしい。

 「首相フェローは、ブータン政府に1年間雇用された海外からの若手プロフェッショナルのことです。実はこのポジションは2010年9月にできたばかりのもので、私が第1号、お試し版のようなものです。このため決まった仕事があるわけではありません。自分で。どこの分野でどういった仕事をすればもっともブータンに貢献できるかを考え、仕事を設計し切り拓いていく必要がありました。」(66ページ)

 「そこで、観光産業育成、特にマーケティング戦略とそれを観光局が継続的に行っていけるようにする組織変革を手伝う、という仕事をすることになりました。」(67ページ)

 ふむふむ、なるほど。

 彼女の仕事は、例えばこんなこと。

 ブータンにとって、観光産業は大きな柱となっている。しかし、「最大の課題は、季節による観光客数の変動にあります。/3~4月と9~10月に観光客のピークがあります。」(139ページ)

 なぜ、ピークがあるのか。ブータンの人に聞くと、この時期には、ふたつの大きな祭りがあるからだという。しかし、本当にそうだろうか?

 彼女が調べてみると、むしろ、海外の人にとっては、ブータンの人びとにとってはごく当り前な日常の生活とか、そのままの自然とかこそが魅力であったのだという。

 「ブータンの旅行会社は『季節変動は2つのお祭りによって生まれている』と考えていましたが、ふたを開けてみると事情は違っていました。特定の時期を推薦することで、実は自分たちが季節変動を作ってしまっていたのです。ブータンの人が価値があると考えることは必ずしも海外の人にとってなそうではない。」(142ページ)

 こういう、外から見る眼として、彼女は良く機能していたようだ。

 さて、理想郷としてのブータンということについては、この本を読み進めるに従い、そう単純なことではないと気付かされる。まあ、良く考えれば当たり前のことではある。

 良きところもあれば、問題点もある。学ぶべきところは多々あるが、こちらから学んでほしいところも多々ある。

 日本でごくふつうの生活が、相当に便利な生活であるということ、日本であたり前なことが、ブータンでは望むべくもない水準の技術やサービスであること。

 「気仙沼ブータン化計画」の推進は、まあ、難しいことだった。

 しかし、彼女の上司がこういうことを言ったという。

 「僕たちの国王はいつもこう言っているんだ。『小さくても、できることをすればいい。最初は小さな動きでも、いいものは、波紋のようにどんどん広がって行くんだよ』ってね。/だから、自分がどうにかできることにフォーカスするんだ。それ以外のことについて、課題をみつけて嘆いたりしていても、仕方がないんだよ。自分の身の丈を超えて、生真面目に思い悩みすぎてはだめだ。/…肩の力を抜いて、リラックスして、こう思うことも大切なんだ。『これでいいのだ』ってね。」(216ページ)

 これは学ぶべきことだ。

 で、わたしは思うのだが、「気仙沼、これでいいのだ」と言うべきだと。

 たとえば、御手洗さんが、気仙沼ニッティングという会社を興して、事業を推進している。同様に、外から気仙沼にやってきて、様々な人々が、その力を気仙沼のために発揮していただいている。

 それだけでなくて、実は、様々の気仙沼の地元の人間が、様々の活動を行っている。いちいち例を挙げることはここではしないが。そして、これは震災後のこと、だけではなく、震災以前からそうなのだ。

 ああ、そうだ、あれのこともそうだし、あれのこともそうだ、と気仙沼人なら3つや4つはすぐに数え上げられるはずだ。

 それが、震災後というシチュエイションにおいて、さらに、外部からの力をブーストしてもらっている。有難いことである。

 もちろん、「気仙沼、これで(なにもしなくても完成しているから)いいのだ。」などということではない。もし、そんなことを少しでも思ったら、バカとか阿呆とか間抜けだとかの類いだ。そんなことではない。

 「気仙沼、(進むべき方向性は)これでいいのだ。」ということだ。われわれは自信を持つべきだと思う。気仙沼人は、結構、誇りが高いのだ。

 「気仙沼、これでいいのだ。」

 おや、これ、御手洗さんの本の紹介ではなかったか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。