
平成11年に、ある目的で書いて、発表できず、そのままお蔵入りになっていた文章。目的が違うので、今回、若干言い回しを変えている。
3回に分けて掲載したい。今日は、まず、上。
・木ですら旅が好き
詩人茨木(いばらぎ)のり子さんの「倚(よ)りかからず」は、二十万部近くという、詩集としては驚異的な発行部数を記録しているようですが、その冒頭の詩篇「木は旅が好き」は、次のような言葉で終わっています。
幹に手をあてれば
痛いほどにわかる
木がいかに旅好きか
放浪へのあこがれ
漂白へのおもいに
いかに身を捩(よじ)っているのかが
あの立ち尽くす木ですら旅好きだということです。
まして、わたしたち人間は旅にあこがれ、日常と別の世界に遊ぶことを求めるものでしょう。
わたしたちの住むこの気仙沼が、旅人に対して、つまり、他の地域からお出でいただく観光客の皆さんに対して、どれだけの非日常の魅力を与えることができるか。よその地域にない、気仙沼独自の魅力を見せることができるのか。それが、課題です。
観光とは、その土地の光を見ることだといいます。われわれは、ここで、気仙沼の光をいかに見せるか、その方法を考え、そこから行動に移す、ということが必要であると思います。
では、気仙沼の光とは何か。
一月七日付けの地元紙に掲載されていますが、商工会議所会頭、漁協組合長、農協組合長、また、お二人の県議との新春座談会においても、みなさん、美しい自然景観、豊富な海の幸、海の文化と、気仙沼はブームを起こす力量を、実は持っているんだとの認識を示されていました。しかし、その力量をどう活かすのかが課題であるというところも、また、共通の認識でした。
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