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気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

萩原浩史 詳論相談支援 その基本構造と形成過程・精神障害を中心に 生活書院2019年

2023-06-13 11:09:45 | エッセイ
 萩原氏は、1994年に東北福祉大を卒業なさっているとのことで、1972年あたりの生まれということになるだろうか。50歳を超えたところか。精神科病院のソーシャルワーカー(PSW)として働き、その間、日本福祉大学、立命館大学の大学院で学び、博士資格を取得なさっている。精神保健福祉士(MHSW)でもあるようである。
 いま、私は、東北福祉大学の通信課程で精神保健福祉士の資格取得を目指しているところで、大先輩ということになる。この著書は、大学へ提出のレポート作成においても活用させていただいた。

【複雑で分かりづらい制度】
 冒頭、序章に本書の目的が記されている。

「相談支援は、障害者総合支援法に基づく制度(予算事業)であり、障害者の福祉に関するさまざまな問題について障害者等からの相談に応じ、必要な情報の提供、障害者サービスの調整などを行うことが規定されている。しかし、厳密には財源、目的、実施主体等が異なる複数の事業で構成されていることに加えて、不明確な定義や用語が広範囲で使用されているため一口では説明のつかない複雑な制度になっている。」(7ページ)

 とても複雑で、分かりづらい制度になっているのだという。
 確かに、大学のテキストの、障害者に対するサービスの説明を見ても、法律の条文を見ても、なにか錯綜して分かりづらいという印象は持ったところだった。
 この書物に出会ったことで、分かりづらさに対する補助線を引いてもらった感がある。どうやら私だけが分からない、ということではなさそうだ、絡まった糸を辛抱強く解きほぐすための糸口をもらった、というような。

「本書では…これまで言及されることがなかった規制緩和や地方分権を始めとする社会保障制度改革との関係および相談支援の本質が変容していった過程について再構築を試みた。」(7ページ)

 規制緩和や地方分権、社会保障制度改革という、行政、政治の大きな動きの中に「相談支援」を置いて、その変容の経過を明らかにする試み、ということになる。

【谷中輝雄と相談支援】
 さて、相談支援とは、何か。
 著者は、谷中輝雄、障害者の「あたりまえの生活」の実現を唱えた精神科ソーシャルワーカーの大先達に触れて、次のように記す。

「精神障害者の地域生活について先駆的な取り組みを行ってきた谷中輝雄は、精神障害の「障害」を「生活のしづらさ」と捉えてきた。「生活のしづらさ」は調理や買い物など衣食住にかかる行為に対してヘルパー等の代替行為を必要とするものではなく、長期入院等による生活感覚のずれや日常生活そのものへの不慣れ、緊張、社会経験の乏しさからくる自信の無さ、要領の悪さ、周囲への配慮が行き届かない、現実的な判断ができないなど日々の生活で遭遇する些細な不具合を指す。」(7ページ)

 生活のしづらさとは、調理の仕方や買い物の仕方そのものが分からない、できないということではないのだという。不慣れ、緊張感、自信のなさ、などといったちょっとした違和感程度のもの、であり、傍目からはそんなに重大なこととは思われない。

「不安やさみしさの解消、時に助言や話し相手を求めてあちこちに電話をかけることも珍しくない。これらは幻聴や妄想などの症状とは異なる困難さを伴うが、事の重大さで言えば緊急性は低い。しかし、「生活のしづらさ」をきっかけに見る見るうちに生活を破綻させてしまう場合が精神障害(者)にはある。」(8ページ)

 この[生活のしづらさ]への対応は、こと精神障害者への支援において、重大な意味を持つ。しかし、法律制定、制度作りの過程で、この重要な支援について取りこぼされてしまうという大きな問題が生じた。

「特定相談支援事業には「生活のしづらさ」への支援に報酬単価が設けられなかった。」(9ページ)

 重大な事柄が、制度から抜け落ちてしまったわけである。

【相談支援と相談支援事業】
 第1章の「相談支援の概要」から、分かりづらさについて、もう少し、見ていく。

「相談支援は、義務的経費(国庫補助)を財源とする「相談支援」(…)と、裁量的経費である地方交付税(一般財源)を財源とする「相談支援事業」(…)の2つで構成されている。」(19ページ)(省略部分は、障害者総合支援法と歩児童福祉法の参照条文。)

 この間に具体的な制度、事業、サービスの項目名が列記され、その列記の中で、分かりづらさが見えてくるのだが、そこは書物にあたって欲しい。

「このように相談支援は、財源や制度上の位置づけ、報酬の有無などが異なる複数のサービスと事業とで構成され、いづれも類似した名称が付けられている。また、用語の定義なども明確ではないため、これらを一瞥しただけで制度の全体を把握することは困難である。」

 財源が別であるということには歴史的な経緯があり、理由があり、中身も一応違うものと説明できるものであるが、相談を受けて支援を行うという意味では同一の範疇のことである。実際の相談の局面では切り分けることができないものであろう。無理に切り分けようとすることで、利用者には不利益が生じることが多いというべきだろうか。支援者の側にも、本来不要な垣根を生じさせるというべきか。

【相談支援とケアマネジメント】
 第4章は「障害分野におけるケアマネジメント導入の過程」である。「相談支援」と「ケアマネジメント」という対の言葉が出てくるが、これは、上記の「相談支援」と「相談支援事業」の対とは、また、別物である。ややこしいことこの上ない。

「…相談支援とケアマネジメントは互いに不可分の関係にある…しかしながら両者は元々異なる背景から検討されてきた経緯があり、法的根拠や予算措置、目的なども含め別個の制度(予算事業)になるはずだった。」(121ページ)

 「相談支援」が、精神障害者の福祉の現場で、必要に応じて歴史的に発展してきたものだとすれば、「ケアマネジメント」は、介護保険制度の創出のなかで導入された、法制度上のサービスの組み合わせに関する技術と言えるだろうか。本来は、ひとりひとりの障害者に対する包括的な「相談支援」の一部として、具体的な制度の活用計画としての「ケアマネジメント」が必要となる、という構造のはずである。
 しかし、「2012年の障害者自立支援法の一部改正により、相談支援と障害分野のケアマネジメントは…完全に同義」(121ページ)とされたという。

「相談支援とケアマネジメントが同義とされたことで、制度としての相談支援(サービスを調整する支援)と、理念としての相談支援(相談の内容を問わない支援)という2つの価値が生じることになった。前者に忠実な立場にとって生活問題の相談や複合的な課題を抱えた相談は規定以外の業務であり、その部分に支援を求められることに関する不満は少なくない。結果、後者には膨大な手間と時間が必要とされながらも報酬単価が設けられていないため、採算性の理由から敬遠される傾向にある。」(121ページ)

 ここまで述べた「相談支援」と「相談支援事業」という対、「相談支援」と「ケアマネジメント」という対、この2種の対の奇妙にねじれた関係が、分かりづらさの根源にあるということなのだろう。

【相談支援と報酬の保障】
 著者は、終章第3節「提言」で、相談支援について次のように記す。

「精神障害(者)は状態の「良い時」と「悪い時」が併存する特徴があり、身体障害(者)や知的障害(者)のように障害が概ね固定しているわけではない。そのため手厚い支援が必要な時がある一方で、さほど支援を必要としない時もあり、その時々に応じて強弱を付けた臨機応変さが求められる。…「生活のしづらさ」による混乱が少なからずある精神障害(者)への支援で最も基本的かつ重要な特性でもある。しかも、緊急時を除いて立ち話的な助言や何気ない声掛けなど、ほんのわずかな関わりで済む場合が多…い」(221ページ)

 そういう対応で済むのであっても、常時それにそなえておくために、必要な報酬が制度化されていなければならない。

「ではこれらに対する報酬をどのように考えるべきか。」(221ページ)

 もちろん、必要な報酬は制度化されていなくてはならない。
 そのうえでいうのだが、いま、世の中のさまざまな専門職に等し並み生じている、不正規雇用の蔓延に伴う低い待遇の問題がある。その是正には「公務員の給与体系に準じた」報酬の保障が必要である。そして、その一方で、「その支援が報酬に値することの合理性を具体的に示す事が必要と考える」と、著者はいう。(222ページ)(ここでの公務員は、いうまでもなく正規雇用のそれである。)
 ところで、私が思うに、「その支援が報酬に値することの合理性を具体的に示す」というのは、相当に困難な課題に違いない。図書館司書や保育士、そして介護従事者など、世の低賃金にあえぐ専門職が、全般としてどれほど「標準的な報酬に値する」のだという合理性を示しうるだろうか?今よりは高い、ふつうの生活が成り立つような報酬額に、である。
(もちろん、私はそれらが「標準的な報酬に値する」のだと信じている。ここは、著者を非難しているのではなく、課題の困難さの前に手をこまねいている私自身への嘆息である。図書館勤務時代には、「非正規低賃金」の司書雇用を前提に計画立案にあたっていた当事者でもある。大きな制度に飲み込まれた歯車の一つでしかないわけだが。このあたりの問題は、立教大学、自治総研の上林陽治氏が取り組んでおられる。)

【この書物の意義】
 さて、本書の末尾に推薦文を寄せる立岩真也氏は、立命館大学先端総合学術研究科教授、著者の大学院博士課程の指導者。専門は社会学であり、社会福祉関係の業績もあるようであるが、下記のように記す。

「とにかくこんな仕事(研究)がなされて欲しいと思う。…しかし本来、こんなややこしい、わけのわからない仕組みはあるべきでないし――こんな仕事を職業としてやっている人たちは、この本を絶対に買って職場においてそして読むべきであるけれども――そんなことを知らずに人々は生きていけるのが本来望ましい。…それでも、こうした本は、書かれるべきだし、出版されるべきなのだ。」(306ページ)

 この書物は、現場と理論と双方に精通した著者による、大きな問題提起の労作というべきであう。私自身としては、大学へのレポート提出に、大いに活用させていただいた。障害者へのサービスの制度について、とてもわかりづらいもの、整理しづらいものを感じていた。この書物に触れたことで、問題の整理が進んだことは確かである。

【蛇足 地方交付税について】
 ところで、以下は蛇足になるが、下記の引用において、地方交付税は補助金ではないことを指摘しておきたい。中央政府ではなく、地方政府全体に保障された財源である。しかし、それが、中央政府、総務省(旧自治省)による裁量的な運用で、中央省庁による地方支配の権力の源泉のひとつとして利用されてきたものでもある。その意味では、国交省や厚労省の本来の「補助金」と同様であり、行政法や地方自治論以外の分野からは「補助金」呼ばわりされることも、あながち誤用とは言えないかもしれない。[第2補助金]という呼び方もあった。

「市町村生活支援事業は、地方交付税を財源とし、民間の事業所への委託によって行われる補助金事業である。市町村の必須事業に位置づけられ、2016年4月現在、任意事業も含め11の事業が定められている。公布された補助金は、市町村の裁量で地域の特性や利用者の状況に応じ、個々の事業に柔軟に配布することができる。」(26ページ)

(なお、「公布」は「交付」の変換ミスに違いなく、校正漏れ。)

【書物の章立て】
 最後に、この書物の章立てを記しておけば、第2章は「社会保障政策と相談支援」、第3章は「精神障害者地域生活支援センターの事業化―全精社協と社会復帰施設」、第4章は「障害分野におけるケアマネジメント導入の過程」、第5章「社会的入院者への退院支援―「変容」の顛末」、第6章は「相談支援体制の再編―大阪市の場合」である。



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