先日は、代官山でパンケーキを食してきたが、今日は、気仙沼、内湾のK-portでパンケーキを食べた話。代官山では朝食だったが、今回は、昼食。代官山では食事用のパンケーキだったが、実は、今日のは、デザート。でも、お昼を食べないままに、お昼代わりにいただいた。にせの昼食。昼食もどき。代用食。いやいやそんな失礼なことを言ってはいけない。素直にとても美味しかった。
何と言っても、渡辺謙氏自らが焼いてくれたパンケーキなのだから。
K-portは、気仙沼の内湾に面した港町に、最近オープンしたカフェ。本当は、芝居もできるイベント・スペースであるらしい。
K-portのKは、気仙沼のK。気仙沼湾の古い美称は鼎ヶ浦で、その鼎のKでもあるだろう。(現在の気仙沼高校と統合される前の県立の女子高が、その名をとって鼎ヶ浦高校であったことは、気仙沼においては、あえて言う必要のない情報である。ちなみに併設された定時制に男子生徒もいたことで、気仙沼女子高の名称を避けたのだ。)
鼎とは、もとは中国のたぶん青銅器の器で、脚が3本ついている。火を焚いた上にこの器をのせて、お湯を沸かしたり料理したりものだろう。脚が3本というところがみそで、この美しい気仙沼の奥深い湾に、岬が3本突き出ている。蜂が崎(はちがさき)と神明崎(しんめいざき)とそして柏崎(かしざき)。この3つの岬を脚に見立てて、鼎と呼んだ。江戸時代の、仙台藩のさる文人の詠んだ詩(漢詩のことである。)にちなむとも言われている。(とすれば、たかだか江戸時代、さほど古い由緒ある、ということでもない、とも言える。)
神明崎の五十鈴神社や浮見堂のことを語るのはまた別の機会のことにすべきだし、鼎浦(ていほ)と号した哲人政治家小山東助のことを語るのもまた改めてということになる。
K-portは、この柏崎の下の海沿いに建っている。ということは、そのKでもありうる。
K-portのあたりには、郡立の水産学校があった。(今の県立向洋高校の前身である。)また、ほど近く日本で初めての水産用冷凍庫といわれる葛原冷蔵の冷蔵庫があった。(記念の石碑が、津波に流されずに建っている。)気仙沼らしい、水産、つまり食にまつわる土地である。
さて、K-portのKが、気仙沼のKであることは、命名者の念頭にあったことはほぼ間違いがないはずだが、鼎ヶ浦とか柏崎とかについては、いま、私が勝手に言ったことに過ぎない。そして、このKのもうひとつの由縁は、この店のオーナーである渡辺謙氏のKに他ならないし、恐らくは夫人の南果歩氏のKでもあるだろう。気仙沼と謙と果歩の、3つのK。おや、これも鼎か。
そして、パンケーキである。
謙のパンケーキを提供すると、フェイスブックには告知が出ていた。私が発見したのは前の晩のことである。午後2時から。渡辺謙氏のプロデュースとか、工夫とか、好みとかによるパンケーキが提供されるのであろうと考えていた。ちょうど仕事は休みだ。妻も休み。謙氏のお勧めのパンケーキを楽しみに出掛けた。
実は、明日は、「かほのよみきかせ」という告知もあった。南果歩さんが、小さなお子さん連れ、先着20組を対象に絵本の読み聞かせを行いますと。夫の渡辺謙氏も、気仙沼にはお出でになっているに違いないとは思った。
ちょうど2時ころ、店に入った。満席であった。すこし、店の外で待った。すると、店のスタッフが2人がけのテーブルふたつをくっつけて4人がけにしていたところを整理して、呼び入れてくれた。(ぼくたちのあとからも、ずんずんと客が入ってきた。席を立つ客を待つ来客が、代わる代わる入口に立っていた。)
店に入ると、右手のカウンターの中に、半ば背を向けた渡辺謙氏が立っている。壁側の三つ口のガスコンロに向って。その上には、3枚の小ぶりのフライパンが乗せられ、熱せられている。
窓際の席に座って、見ていると、謙氏は、ずっと立ちっぱなしで、フライパンに向っている。3枚のフライパンを使ってひっきりなしにパンケーキを焼き続けている。余計なことはしゃべっていないし、おあいそ笑いもしていない。寡黙に真剣に、パンケーキを焼いている。カウンターに背を向けて、内湾を眺める向きの席に座った妻は、後に振り向いては、パンケーキを焼く様子を窺っている。ぼくは、妻と席を交換した。
K-portの魅力は、内湾のビューにある、普段は。大島汽船のカーフェリーが、内湾をゆっくりと滑り、船着き場のエースポートに到着する。その景色を眺めている。この時期、夕刻になれば、すうかり暗くなった内湾に、灯りがともる。その光景も思い浮かべながら。
しかし、この日は、満席の店の中の女性たちは、じっと、あるいは、さりげなく、カウンターの中を見ている。恐らく汗をかいたまま、火の前に立ち尽くして、一心不乱にパンケーキを焼き続ける役者(であるはずの料理するひと)を見つめている。
もちろん、妻もそのひとりだ。
はじめに、コーヒーを出してもらって(ちょっと苦めの爽やかなコーヒー)、しばらく待っていると、三枚の焼きたてのパンケーキ。三枚を少しづつずらして重ねて、上の一枚にはチョコレートの格子模様、わきには粒のあんこと生クリームを添えて。渡辺謙氏が、自ら額に汗して焼き上げたパンケーキ。素直に、とても美味しいパンケーキ。付加価値がついて、なおさら美味しいパンケーキだ。
入口には、上品な奥様方が、席の空くのを待って立っておられる。何ごとか言葉を交わしながら、決して声高にではなく。
気仙沼で、こんなふうに、入り口に列を作って待つ、などということは見ることがない。K-portという店の魅力。これは、これからの気仙沼にとって、とても大きな力になってくれるものに違いない。それは、渡辺謙氏の力、南果歩氏の力であることは言うまでもないこと。
僕と妻も、パンケーキを平らげ、コーヒーを空にして、席を立つことにした。また近いうちに、今度は、ピザを食べに来よう。
具体的にいつ、という告知がなくても、ときおり、ふっと、かれがやってきて、寡黙にフライパンの前に立っていることがあるよ、というだけで、気仙沼に行こう、内湾のあの店に行こうという遠来のひとびとがあるに違いない。そういうことは、きっとある。
これが、大きな支援であることは言うまでもないこと。そこにいること、姿を見せてくれることだけで、気仙沼の人間を喜ばせるということももちろんあるのだが、それに加えてさらに、多くの人々を呼び寄せる力となること。
有難いことだ。
有難いと言えば、最近、食にまつわる話題は、NHKの朝のドラマ「ごちそうさん」。ヒロインの杏さんは、渡辺謙氏のお嬢さんだという。なるほど、その個性的な顔立ち。単に可愛らしいとか美しいとかというのとは違う、どこか力のある魅力。今のところまだ、演技力のある女優、ということではないようだが、傑出した存在感がある。(余計なことだが、あまちゃんが「空虚な中心」であったのに対して、こちらは「圧倒的に存在する中心」である。)
このドラマで、最近、メカジキのハモニカが(ついでのように、わざとらしくではあったかもしれないが)取り上げられ、サンマも取り上げられた。このサンマは、関東大震災の後に家族を亡くして生きる力を失いかけた若い女性の、その生きる力を回復するという大きな役割を果たした。これは、大阪が舞台であるとはいえ、実は、気仙沼を応援するためのドラマであったかと思わされた。
それは、全くその通りであるが、気仙沼のみをというわけではないのだと、一晩寝てから気づいた。これは、当初からの番組の狙いとして広言されてもいたわけだ。
震災後の東北を食の観点から勇気づけ応援するためのドラマであったのだ。日本の食糧庫である東北。食材基地・東北。おにぎりにする米であり、農産物であり、畜産物であり、気仙沼を含む三陸の水産物。あたり前のことだった。
この前の「あまちゃん」はもちろんそうだが、引き続き今回の「ごちそうさん」も、ドラマの力で、東北を元気にしたい、そういう意図をもって製作されたものだったのだ。当然のことだった。
いま、気仙沼に、有難いことは数多い。
遠くから(もちろん、車で動ける範囲の近場でもいいのだが)気仙沼にやってきて、たとえばK-portで昼食をとる、というひとがたくさんいるよ、ということになれば、これは、大変に有難いこととなる。乞い願わくは、さるひとびとのさらに多からんことを。
そういえば、落合直文の例の「恋人」にちなむKということも、語るべきだったかもしれないが、それはまた改めて。
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